「いじめ」の臨床教育学
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 地域の学校で、いじめが激化しているという。子どもが通う中学校でも「いじめ」は後を絶たず、その対応に教師が頭を悩ましている。
 また、昨年子どもが卒業した小学校でも、子ども間でのいじめは、子どもが通っていた頃よりすごいという。しかも、暴力的なものより、陰湿な形でさりげなく行われているらしい。たとえば、ある母親の話では、自分の娘の上靴に毎日押しピンが入っていると嘆いていた。ほかに、特定の子の教科書が全部ゴミ箱に入れられたり、モノがこわされる、なくなるといったことが相次いでいるらしい。子どもが通っていた頃は、仲間はずれやからかいが主流であったので、いじめの手段が高度化しているように感じられる。
 同時に、体調を崩して休む教師が続出していると聞いて驚いた。小学校高学年を担任しているある女性教師は、児童にバケツいっぱいの汚水をかけられ、その後声が出なくなってしまったそうだ。他の学年のクラスでも、教師に対する悪質な授業妨害がくり返されていて、高学年の担任を、希望する者がいなくなりつつあるようだ。他の学年では2人の担任が交代し、校長から保護者への説明会が開かれた。これは、子どもたちのいじめの対象が教師にも向かっているといえる。
 一体どうしてこんなにも子どもたちのこころがすさんでしまったのだろう。と、ある日恒例のマンガ雑誌を手にして、一点に眼が凍り付いた。
 ビッグ・コミック2月25日号に掲載された「C級サラリーマン講座・260回」である。以前「ねじれた差別の臨床教育学」で触れた山科けいすけのマンガである。怒ったのは山科のマンガより以上に、小学館の担当記者のコメントである。「人の弱味に土足で踏み込むのって楽しい©」とある。どうしてここで笑えるのか!激怒したのは私だけなのだろうか。子どもは大人の鏡である。このような大人が、子どもへのいじめを示唆しているのではないか。いじめをして楽しい人は自分がいじめられて楽しいのだろうか。
私はどう考えても納得がいかない。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 先日、日本経済新聞に、「強いストレスがいじめを誘発する」という記事があった(2月23日付け、夕刊)。すなわち、今の子どもはそれほどに激しいストレスを抱えているということになる。記事にあった国立教育政策研究所の報告では、ストレスの2大要因は「成績」と「友人関係」で、競争意識の高い子どもほどストレスを感じやすいということだ。つまり、「成績」にこだわり、高い競争意識を持つ子どもは「いじめ」に走りやすいということになる。
 同様に、大人の世界でも「強いストレス」をもつ人は多くいて、きっといじめをやめることができないのであろう。やはり「成績」や「人間関係」であろうか。山科けいすけや小学館の記者もさぞかし「相当強いストレス」を抱えているのだろう。大人のストレスといじめの調査をしてほしいものだ。
 大人がいじめをやめないかぎり、いくら子どもの教育うんぬんを語っても、ざるから水がこぼれ落ちるようなものだ。「いじめの再生産」は大人社会の側で断ち切っていくべきだろう。
 
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