グローバル経済という怪物(日本の社会・経済状況)
T.グローバル経済という怪物
 現代の社会は、過剰な豊かさの中で生活する人々と、貧困や隷属・経済不安のために人間らしく生きることさえできない人々に二分されつつある。多国籍企業の拡大とその支配を許す構造こそ我々を取り巻く矛盾の原因である。経済のグローバル化により利益を受けるのは多国籍企業であり、さらに、無国籍化していく大企業である。大会社や投資銀行のトップ、投機家、スポーツ選手、それに有名スターといった人々が何百万ドルもの年収を得る一方で、およそ10億人が、一日1ドル以下の生活を強いられている。アフリカのさいはてでなくても、ニューヨーク市の中心部でもこの格差を見ることはできる。運転手付き、バー付き、テレビ付きの磨き込まれたリムジンから、優雅な衣服をまとった金持ちが降り立って、超高級レストランに入っていく。その傍らの歩道には薄い毛布にくるまったホームレスがうずくまり、寒さに震えながら物乞いをしている。
 貧富の差が広がったことによる社会への影響は明らかだ。犯罪や麻薬、離婚、十代の自殺、家庭内暴力が増え、政治的難民、経済難民、環境難民も増加している。世界中で、暴力犯罪の件数が増加の一途をたどっている。アメリカでは、『安定した家庭に育ち、大人になる』というささやかな望みさえ多くの子供たちにとって夢となりつつある。子供の半数以上は片親家庭で育てられ、平均すれば毎日10万人の子供が学校へ銃を持ち込み、うち40人が死傷している。大都市どころか、小さな町ですら、財産と生命の危険を感じずに暮らせる場所は珍しい。世界中で民間警備会社が成長産業として業績を伸ばしている。アメリカの話(『グローバル経済という怪物』デビッド・コーテン著)だが、まるで、現在の日本のことのようである。
 日本では、97年の神戸連続児童殺傷事件、98年1月の女性教師刺殺事件やシンナー中毒の未成年者による5歳の少女の刺殺事件などが起こった。まさに「犯罪や麻薬、離婚、十代の自殺、家庭内暴力が増え、政治的難民、経済難民、環境難民が増加している」状態である。また、総合学科や飛び級制・中高一貫教育といった産業界の要請による教育改革、(※1)労働組合の組織率の低下、失業者の増加などこれらの根っこには、経済のグローバル化という多国籍企業(無国籍企業)による利益誘導システムがある。
 経済の成長により、地域社会は解体され、コミュニティは崩壊した。人間は、ミクロ(孤立)化し、多国籍企業の活動を規制できなくなった。それを、私たちは、仮設住宅に見ることができる。最近、仮設住宅から公営恒久住宅に移った高齢者が、コンクリートの部屋で孤独感にさいなまれている。プレハブの仮設住宅には、身体を心配してくれる、郵便物を預かってくれる隣人達がいて、コミュニティがあった。しかし、鉄のドアの向こうには、インディビジュアル(個人)やファミリー(家族)・ガバメント(国家)は存在しても、ソサイエティ(地域社会)は存在しない。プライバシーは、ソサイエティがあって初めて守られる。犯罪が増え、警察国家が成立すると、個人のプライバシーを守ることは難しくなる。震災の被害に遭われた高齢者を孤独から救うためには、今ある仮設住宅を残しコミュニティを維持するか、恒久住宅の中に新しいコミュニティを建設することである。同じく、経済のグローバル化の中で、ミクロ化された我々人間を救うためには、健全な地域社会を再構築しなければならない。そして、先進国・途上国の市民社会がネットワークを組み、グローバル企業の力を弱めなければ、人間社会の未来はない。
 アメリカ政府は、ペリー以来日本政府に市場開放を要求しているが、ここ数年は、規制緩和(特に金融・証券・保険の自由化、大店法の改正など)を要求している。これらは、アメリカの多国籍企業の要求ではあるが、日本の多国籍企業も国民経済を解体してグローバル市場を確立するという目的は同じであるため積極的に応援している。例えば、銀行や証券系のシンクタンクの専門家をマスコミに登場させ、これらの規制緩和が如何に国民経済にメリットがあるかを、繰り返し繰り返し述べさせている。
 しかし、大規模店舗について、(※2)アメリカの例を見ると、地域社会を破壊し、雇用を奪い、消費者価格も思ったほど下がらず、我々庶民には、メリットよりデメリットの方が多そうである。
 
 ※1 経済のグローバル化が進むと、個人の拝金主義的傾向は強まる。労働者全体で富を分かち合うという考えは捨て去られ、労働者間で富を奪い合うようになる。労働組合の組織率は、アメリカは低く、ヨーロッパは高い。それは、資本主義国の中で、アメリカが一番早くグローバル化したからである。そのため、個人の孤立化という問題に早くから直面した。日本の場合も、労働組合の組織率は、経済成長とともに低下している。
 ※2 大手小売業者の成長ぶりは、アメリカで倒産した小売店の数を見ればわかる。89年に倒産した小売店は約1万1000軒だったが、91年以後は年間1万7000軒以上に増えた。その多くは巨大小売り業者に押されて潰れた店である。アメリカ第1のチェーン店であるウォルマートは、業界全体の売上げがせいぜい4%しか成長しないのに、25%も成長した。その陰ではたくさんの店が競争に敗れて消えていったはずだ。かつて、商業の中心であり、町や都市に多くの雇用を提供していた小規模な商店が特に大きな打撃を受けた。92年の時点でアメリカ国内総売上の半分を扱う小売店が、2000年までに消えると言われている。マサチューセッツ州の研究では、平均的ウォルマートは140人分の雇用を生み出すが、それより賃金の高い仕事を230人分奪う。また、ウォルマート、Kマート、トイザラス、ホーム・デポー、サーキット・シティ・ストアーズ、ディラード・デパートメントストアーズ、ダーゲット・ストアーズ、コストコといった超大型小売業者は、巨大な消費財ネットワークの中心的存在になりつつある。下請け業者を競争させて買い叩いたり、何の前触れもなく国内業者への発注を中止して、中国やバングラデシュといった低賃金国の業者に乗り換えたりする。得意先を失った零細メーカーは、倒産するしかない。プロクター&ギャンブルのような大手メーカーでさえ、独自の販売店を持たないため、価格を引き下げ、利益を低く抑えて、大手小売業者に買い付けてもらうしかない。また、零細企業が潰れ、生き残った大手メーカーがリスク回避に走れば、結局大型小売店と大手メーカーが結託して消費者価格を釣り上げ、技術革新が阻害される恐れがある。」と前著は述べている。
 
U.マネーゲーム
 毎日、世界中で、数十万の人々が夜明けとともに起き出してコンピュータに向かい、人間と物質と自然からなる現実世界を離れて、この世でもっとも魅力的なコンピュータゲームにのめり込む。そのゲームとは、マネーゲームだ。彼らのコンピュータはオンラインでネットワークに入り込み、果てしなく続く数字の波に呑み込まれていく。金はさまざまな形に姿を変えて、リスクと儲けの間を漂い続ける。ゲームのプレーヤーが目指すのは、取引を通して、他のプレーヤーが持っている金を自分のものにすることだ。互いに貸し借りすることで相場を釣り上げ、元手を大きくすることもできるが、いろいろな奥の手を使えば、実際に金を借りなくても、金を増やすことはできる。まさにゲームだが、そのゲームがもたらす結果は現実のものだ。大金持ちや世界帝国建設の野望を抱く人々は、確かに経済のグローバル化を目指している。しかし、私たちの社会に深く根づいた金の力も見落としてはならない。金は、人間のためにならない目的に向かって、誰も予期しなかったやり方で社会を変えつつある。そこでは市場の(※)「見えざる手」の邪悪な一面がむき出しになり、規制されない市場は、富の生産から富の抽出と集中へと実態を変えていく。善良で聡明な人々が金の魔力にとらわれ、果てしない欲望の追求のみを目的とするシステムの構築に力を貸し、望みもしない結果を招いている。その影響は全世界に及んでいるが、特に、アメリカが深刻である。第二次大戦後の世界の経済および諸機関は、アメリカが中心となって形成してきたからだ。グローバルなシステムの成功や失敗がまずアメリカで表面化し、その後世界各地へ波及していくことが多かったのも、そのためである。
 
 ※ これらのコンピュータは、昔ながらの「株式売買」を行っているわけではない。どんな会社の株かということには、何の関心もないからだ、国債を売買する際も、発行国がアメリカであろうとイギリスであろうとフランスであろうと関係ない。外国為替も同様であり、コンピュータにとって通貨とは、一定の利益を生むために売買する貨幣にすぎない。先物取引にしても、コンピュータにとっては手頃な買い物というだけの話だ。彼らはただ…金融商品(株、為替、国債、オプション、先物)に関連する数字を動かしているにすぎない。それそれの変数がコンピュータのプログラムに書き込まれた条件を満たしているかぎり、それがどんな商品の数字であるかは無意味なのだ。株券の場合、浮動性、株価、交換ルール、配当利回り、リスク係数が条件に合ってさえいれば、銘柄は関係ない。IBMでもディズニーでもMCIでも構わない、核爆弾や原子炉を作る会社だろうと、薬品会社だろうと気にしない。工場がノースカロライナにあろうと、南アフリカにあろうと、そんなことはどうでもいいのだ。金融システム内の決定権は、次第に、難解な数式を用いて抽象的な数字を増やすことを追求するコンピュータに握られつつある。1776年に出版された「国富論」でアダム・スミスが思い描いていた市場の「見えざる手」とは、似ても似つかない市場の姿だ。これが、90年代の「自由市場」システムの現実なのである。現代のグローバル金融システムは、まるで寄生虫のように生産経済に取りつき、その心血や肉をことごとく吸いつくそうとしている。
 
V.拝金主義
 アメリカの市場を支配下に入れたグローバル金融資本は、ボーダレス(国境のない)社会、グローバル・スタンダード(世界基準)、コスモポリタニズム(世界市民主義)を唱え、(※1)世界制覇をねらっている。NAFTAによりメキシコを支配下に入れ、日本及びアジアをドル圏に編入しようとしている。これらグローバル金融資本の要求で、2001年までに金融制度を抜本改正する(金融ビッグバン)。ビッグバンにより、日本は完全にアメリカ金融資本の勢力範囲に入る。すでに、98年4月から改正外為法施行で資本の移動が自由になり、日本国内でもドルが使用できるようになった。また、証券業界では、金融手数料の引き下げ・自由化の時代に入った(高額の金融手数料は、お金のグローバルな移動を妨げる)。金融面におけるグローバル化に突入したのである。アメリカの大手銀行、証券会社・保険会社は、日本の会社と提携したり、独自に支店網を築き営業活動を展開し始めている。将来的には、日本の金融、証券・保険市場は、外国のグローバル企業が主流を占める。これを(※2)ウインブルドン方式という。イギリスのビッグバン失敗の過ちを繰り返してはならない。バブル崩壊後の最悪の不況の時期に、金融ビッグバンをおこなう必要はさらさらない。人間性の回復、景気回復のためには、ビッグバンを先延ばしにするのが最適な経済政策である。
 「アメリカでは、投資のサイクルがきわめて短くなった。投資の運用担当者は、どれだけの利潤を生み出せるかによって、投資家の資金を任されるかどうかが決まる。ミューチュアル・ファンド(小口資金を集めて株式や債権に分散投資する投資信託の一種)の運用成果は主要新聞に毎日掲載され、さまざまな基準で月単位・年単位の比較が行われる。個人投資家は、過去の成果を参考に、電話やコンピュータで、あのファンドからこのファンドヘと資金を移していく。したがって、(※3)ミューチュアル・ファンドの運用担当者は、短ければ数時間、長くても1カ月という短期問で利益を上げなければならない、年金基金の場合は、これよりやや長いサイクルで成果が評価される。個人貯蓄の運用を一手に引き受けるファンドマネージャーは、激しい競争にさらされ、きわめて短期間に利益を上げなければならない。生産的な投資が成熟するだけの時間はないし、第一、生産投資の機会は、そんな巨額の資金を吸収できるほど多くはない、今の市場で期待される利回りは、ふつうの生産投資が数年かかっても上げられないほど大きなものだ。その結果、金融市場は生産投資を放棄して利ざや稼ぎに精を出し、人類に与える結果を無視して、自動的な投資を繰り返している。(※4)金融システムは、今や独立した一つの世界を形成し、生産部門の役割を大幅に縮小するような方向に機能している。その生産部門も、マネーゲームのプレーヤーが瞬時に動かす巨額の資金に翻弄されているのだ。」とコーテンは書いている。
 非人間的なグローバル金融に飲み込まれたとき、(※5)日本の拝金主義的傾向はさらに強まり、貧富の差も拡大する。不公正な社会が実現する。
 
※1 ヨーロッパは、ドルに対抗すべく、新通貨ユーロを共通の通貨とすることを決めた。
※2 会場のウインブルドンはイギリスが提供するが、活躍するプレーヤーは皆外国選手。
※3 タイ、韓国・インドネシア経済の崩壊は、グローバル経済による利ざや目当ての短期的な投資が原因であり、経済の不調が感じられるやいなやアメリカ系の資金は直ちに国外に出ていく。その後、ヨーロッパ系が続く。日本の資金回収は遅く、そのため不良債権となり、倒産する金融機関が続出している。
※4 「ニューヨーク・タイムズ紙の元経済部長で、現在ハーバード・ビジネス・レビュー誌の編集長を務めるジョエル・カーツマンは、生産部門を流通する資金と、純粋な金融部門を流通する資金の比は、1対20ないし1対50ではないかという−ただし、正確な比率は誰にもわからない。外国為替市場だけでも、1日に8000億〜1兆ドルがやりとりされており、モノやサービスの貿易高(1日当たり200億〜250億ドル)よりも、はるかに多い。カーツマンは、こう述べる。為替相場で動く8000億ドルのうち多くは、数時間か数日、長くても数週間というきわめて短いサイクルで投資される。……この金は、金を生み出すためだけに用いられているのだ。…これだけの資金があれば、日本の九大会社(NTT、七大銀行、トヨタ自動車)を言い値で買収することができる。…この金は、オプション取引、株式投機、金利取引に回される。ある相場で買った債券や外貨などを他の相場で売却して、利ざやを稼ぐこともできる。コンピュータを使えば、購入と売却を同時に行うことさえ可能だ。この金は、いかなる実質的な価値とも結びついていない。しかし、数百万ドルの大金を瞬時に動かす担当者は、市中の金利よりも高い利回りを上げることに、プロとしての名声と出世を賭ける。そのためには、モノやサービスの生産量の増加とは関係なく、金融市場を流通する金が果てしなく増え続けなければならない、その結果、実際生産にたずさわる人々の実質所得や相対所得が減少する一方で、あぶく銭を動かす人々の経済力や購買力だけが伸びることになる。」(「グロ−バル経済という怪物」より)
※5 98年3月ヤクルトがデリバティブ(金融派生商品)の取引に失敗し、1,000億円を超える損失を出した。
 
W.自民党の経済政策
 98年7月の参議院選挙で自民党は惨敗し、橋本首相は退陣を表明した。敗因は経済政策の失政による。
 このところの政府・自民党の経済政策は、あまりにも国民を小馬鹿にしたような政策だった。大企業・大銀行優遇の政治に国民がノーを突きつけたのである。この間の金融政策を少し少し振り返って見ると、
 ・95年9月(※)公定歩合史上最低の0.5%に。…庶民の金(金利を低く抑えた分の額)をかすめ取り、銀行に回す。この結果、1,200兆といわれる個人資産は、外国に流出し、円とドルの交換レートは、98年には140円前後の円安となった。95年4月の1ドル=80円から円の価値は急激に下がった。つまり、円の価値の減少分は銀行に回ったことになる。
 ・96年6月の住専に対する6,800億円の税金の投入、農協と銀行を助ける。…バブルの崩壊によって、住専7社が大量の不良債権を抱えた。商いに穴を空けたのであるが、その穴を国民の税金で補填した。政府・大蔵省の言い分は、金融秩序の維持のため、というがそのような名目は、とうてい通用しない。
 ・97年11月三洋証券、北海道拓殖銀行の倒産、山一証券廃業…大型倒産が続き、自民党は、預金者保護を名目に、破綻した金融機関を救済するために預金保険法を改正した。さらに、30兆円の公的資金の導入を柱とした金融システム安定化策をまとめた。そして、98年3月に不良債権で苦しむ銀行(大手18行と大手地方銀行2行の20行)に2兆円の補助金を投入した(都銀は1行当たり1,000億)。方法は、銀行の株を税金で買い、国の信用で経営を支えた。親切にも苦しい銀行だけやると「ダメ銀行」とレッテルを張られるので、横並びで買ってあげた。
 ・原価法…98年3月、銀行が決算期をむかえるのに際し、株価が下落すると銀行の保有する有価証券の評価損が生じる。そのため、株式評価のルールを変え、株価が下がっても銀行決算が悪くならない優遇措置を設けた。
 ・98年3月31日、PKO(プライス・キーピング・オペレーション)を実行…郵便貯金や簡易生命保険などの公的資金で株価を買い支えた。国家による株価操作で銀行の決算を支援。
 政府・自民党のなりふり構わぬ銀行救済は、目に余るものがあった。金貸しが、倒れるのをどうして国民の税金で救済するのか理解に苦しむところである。結局、選挙の敗因は、国民を小馬鹿にした経済政策が反感を招いたものであろう。
 
※ 経済学の初歩を学んだことのある人なら、銀行がどうやって債務を上乗せしていくか、ご存じだろう。たとえば、米農家のA氏が米を100万円で売り、その金をM銀行に預けたとする。M銀行は10%を支払準備金としてとっておき、残りの90万円をB氏に融資する。B氏は、それをN銀行に預金する、このとき、A氏はM銀行に100万円、B氏はN銀行に90万円の預金があることになる、N銀行は、10%の準備金を引いた81万円をC氏に融資し、C氏はそれをO銀行に預金し、O銀行はD氏に72万9千円を融資し…といった具合に続けると、モノの生産で作られた100万円が、銀行から銀行へと流通するうちに900万円分の債務を作り出して、合計1,000万円の預金に膨れ上がる。実質的な価値を何一つ生まずに、これだけの金が生み出されるのだ。このプロセスに参加した銀行は、100万円分の米の売り上げをもとに、合計900万円の債権と1,000万円の預金を持つことになった。仮に、6%の利息が見込めるとしよう。すると、900万円の融資によって、何もないところから年54万円の利息が得られることになる。調達金利は0.5%であるので銀行業が儲かる理由だ。
 
X.リージョナリズム(健全な地域社会)の形成
 野村・大和・山一・日興証券と第1勧業銀行が、小池隆一(総会屋グループ代表)に対し、不正な利益提供と迂回融資を行った事件。三菱地所・三菱自工・三菱電機・日立製作所・東芝が、総会屋に利益提供していた海の家事件。松坂屋事件。味の素事件。あさひ・第一勧業・三和・拓銀が、大蔵省の金融検査官に対し、多額の接待を繰り返し、贈賄に問われた事件。野村証券が、外国債発行の主幹事になろうと、大蔵省OBの道路公団理事に多額の接待をした贈賄事件。同じく、日興証券が、大蔵省OBの新井将敬国会議員に一任勘定により利益を提供した事件。最近、不当利益供与事件で名前が出た会社及び役所・人物名である。これらに共通するのは、日本を代表する大企業であるという点である。これらは、大企業の役員に倫理観がないのではなく、もともと、会社は最大利潤を追求するため、会社の存在そのものが拝金主義であり、会社が成長すればするほど金欲も増すという点である。時代劇を見ても、中小商人は健全な倫理観を持っていることが多いが、代官や家老などと結託した大商人はあくどい商売をしていることが多い。また、大蔵省は、役所の中の役所といわれ、国家の中心機関である。道路公団の元理事も大蔵省の局長から天下った人物である。そのトップの役人達に倫理観が欠如しているということは、国家統治機関は、大会社に抱き込まれ、ために活動している証拠である。
 98年、栃木県で中学1年生が女性教師を刺殺したり、東京で中学3年生が、警官をナイフで襲いピストルを奪おうとする事件があった。政府(文部省)は、中学生の持ち物検査を行うように各都道府県の教育委員会に指示をしたらしい。しかし、そのような、対策が功を奏するとは思えない。原因は、金中心の国を作った大企業とお役所にある。また、経済成長という美名の下で、地域社会を破壊し、個人をミクロ化したことである。日本でも、経済のグローバル化により、産業が空洞化し、自動車工場の閉鎖などが起こっている。また、大会社は、コスト削減のため、ダウンサイジング(本社規模の縮小、本社は管理部門のみで、生産などは外注)するため、リストラにより大量の失業者が発生する。その隙間を、アルバイト・パートタイマー・派遣労働者・外国人出稼ぎ労働者・季節労働者などの非常用労働者が埋める。これら非常用労働者は、組織化されていないため、地位が弱く、会社は、賃金を抑制しやすい。その一方で、大会社や投資銀行のトップ、投機家、スポーツ選手、それに有名スターといった人々が何億円もの年収を得る。経済が成長すればするほど、貧富の差は、広がる一方だ。貧富の差が広がったことによる社会への影響は明らかだ。犯罪や麻薬、離婚、十代の自殺、家庭内暴力が増え、政治的難民、経済難民、環境難民も増加している。世界中で、暴力犯罪の件数が増加の一途をたどっている。犯罪が増加し、武装しなければ自分の身を守れない社会を作り出した。中学生も武装するようになったのである。
 この問題を解決するためには、大企業の活動を抑制し、経済を地域化することである。大企業を抑制するためには、政府に大きな権限を持たせて規制する必要はない。政府が大きな権限をもつことは、ソビエトの社会主義の過ちを繰り返すだけだ。健全な地域社会を再建することである。我々は、地域の商店で買い物をして、地域の会社に勤めて、地域で遊ぶ。そうすれば、ガソリンを使って、遠くまで仕事やレジャーに行かなくて済む。中学生も活動範囲が狭まり、それほどお金を必要としなくなる。会社も出張旅費や輸送コストが減少し、管理的な経費は大幅に減少する。全国規模で展開する巨大レジャー施設は、不要だ。規模を縮小して地域化するのが望ましい。巨大レジャーランドは、人々の欲望を煽り、遊ぶのにたくさんのお金を必要とする。私たち市民には、地域の動物園や植物園などが相応しい。産経新聞とサンケイスポーツが、冬季長野五輪の開会式の内容を漏らした件で、IOCの広報部長が「驚きと感動は、『商品』。内容を漏らすということは、商売に差し障る」と述べていた。何でも、お金の世の中である。私たち人間に必要なのは、安全に快適に暮らせる社会である。
 
Y.テレビによる文化の画一化
 神戸の連続児童殺傷事件は、その猟奇性から、国民に与えたインパクトが強く、マスメディアは、こぞって犯人像・犯人探しに奔走した(犯人として「黒いゴミ袋の中年男」が登場し、FBIの心理捜査官を招聘したTV局もあった)。また、14歳の少年が、被疑者として逮捕されると、「少年が、何故この様な凶悪犯罪を起こしたのか」を、教育問題と絡めて一斉に取り上げた。心理学や教育学・精神医学などの専門家や評論家が、TVや新聞・雑誌に登場し、それぞれの専門分野から、少年が犯行に及んだ背景やその原因を分析していた。
 その中で、「近頃は自然が少なくなって、子供が、動物や植物に触れる機会が少なくなってきている。命の大切さを学ぶには、小さいときから豊かな自然の中で育つことが必要だ。自然が少なくなったことが、原因。」と誰かが、語っていた。たしかに正論だが、少し、短絡的なように思う。須磨の事件の後、奈良県の月ヶ瀬村で、女子中学生が、顔見知りの近所の男に殺害される事件があった。人家の少ない自然の豊かな場所でも凶悪犯罪は、発生する。結局、凶悪犯罪が発生する要因として、自然のあるなしはあまり意味を持たないのではないか。むしろ、テレビの影響による文化の画一性や規格化の方が、問題である。我々は、神戸に住んでいようと月ヶ瀬村に住んでいようと、同じシューズを履き、同じブランドのTシャツを着て、4WDの車に乗り、ファミレスで食事をする。規格化された商品と風俗の中で生活しているのである。結果、犯罪も、場所を選ばなくなっている。
 
@グローバル企業のテレビ利用 〜アメリカの事例〜
 現代社会で、文化伝達の中心的役割を果たしているのは、間違いなくテレビだ。その次に重要なのは学校だろう。現代の会社は、おもにテレビを通して、アメリカ人の文化と行動をコントロールしている。ここに恐ろしい統計がある。2〜5歳のアメリカの子供は、平均すると、1日3.5時間テレビを見る。大人は平均5時間、1日のうち労働時間と睡眠時間に次いで長く、地域活動や家族の団欒、趣味、読書などにとって代わっている。この割合でいくと、平均的アメリカ人は、1年間で2万1000本のコマーシャルを見ることになる。その多くは、同じメッセージを発している―「これを買って。さあ早く!」というメッセージだ。民間放送では75%、公共放送では50%の番組が、アメリカの上位100社の提供で制作されている。ゴールデンタイムのテレビCM枠は、30秒で20万〜30万ドルなので、大会社でなければ手が出ない。スポンサーが直接番組の内容に干渉することはなくても、プロデューサーとしては会社が買ってくれる番組を制作しなければならないから、常に会社の意向を伺いつつ番組作りを進めることになる。
 ジェリー・マンダーは、なぜ大会社にとってテレビが理想的なメディアなのか、こう説明している。「テレビには、数百万人の心に同じイメージを植えつける力があるため、人々の考え方、知識、好み、欲求を画一化し、送り手の好みや利害に同調させることができる。そのイメージを送り出しているのは、科学技術を信じ、物質主義的で、自然に敵対する会社だ。衛星放送が発達したため、これまでテレビの影響を逃れていた地域にまで、会社の作るイメージが浸透しようとしている。」
 グローバル企業が地球のすみずみに進出するにつれ、単に既成の製品やブランド名だけでなく、テレビなどのメディアやマーケティング戦略までもが輸出されて、あらゆる文化がそこに取り込まれていった。
 
A犯罪の広域化
 このように、テレビによって文化は、画一化・スタンダード化された。そして、犯罪も、日本全国で画一化し、規格化されるようになった。いや、犯罪は、世界中で同一性を持つようになってきたのである。自然が豊かな場所では凶悪犯罪は起こらないというのは、真っ赤な嘘である。
 
Z.学校に手を伸ばす大企業
 現代社会で、文化伝達の中心的役割を果たしているのは、間違いなくテレビだ。その次に重要なのは学校だろう。テレビを完全に支配した会社は、学校にまで手を伸ばそうとしている。単に商品を売りつけ、消費を広めるだけではなく、会社の利益と人間の利益を同一視するような政治文化を生み出そうとしている。
 私の勤務する高校でも、食堂に清涼飲料水や健康食品の自動販売機が置かれている。学校が、それらのメーカーの代理人となって商品を堂々と販売している。また、お菓子や化粧品のメーカーが試供品を学校に送ってくる。彼らの意図は明白だ、学校を通じ生徒に商品を売り込むことである。グローバル経済の先進国であるアメリカのメーカーがどのように学校現場を利用しているか、見てみよう。
 
@アメリカの事例
 コンシューマー・ユニオンによると、会社が提供した学校教材を使った子供は、90年だけで2000万人もいたという。中には、ジャンクフードや服や化粧品を臆面もなく売り込むものもある。たとえば、全米ポテト協会は全国ジャガイモ月間を記念するため、生涯学習システム社と協力して、算数教材「ポテトチップスを数えよう」を配布した。甘味料会社ニュートラスイートは、「全身健康」プログラムのスポンサーとなった。
 自社のジャンクフードを、学校の自動販売機や食堂に置かせようとする会社もある。学校給食関係者を対象とした番組や雑誌には、「タコベルのメニューを学校へ!」「ピザハットは学校給食を楽しくします!」といったメッセージがあふれ返っている。コカコーラは、ロビー活動を展開して、清涼飲料水など「栄養価の低い」商品を公立学校で販売することを禁じる法案に抵抗してきた。コカコーラ・アトランタ支社の広報担当ランドール・ドナルドソンは、こう語っている。「われわれは、誰でも欲しい時すぐにコーラが手に入る、手を伸ばせばそこにコーラがある、という状態を目指しています。学校という場を通して、その状態にさらに近づこうとしているのです」。
 環境問題への関心が高まると、会社は「地球にやさしい」イメージを身にまとい、自社に都合のよい解決法を提示するようになった。モービル石油が学校に配布したビデオは、プラスチックはもっとも埋め立て廃棄向きの材質だ、と説いた。エクソン社が提供した「エネルギー・キューブ」という教材は、燃料の効率性や、化石燃料にかわる代替エネルギーや、地球温暖化については一切触れずに、ガソリンと太陽熱を同等に論じ、「ガソリンのエネルギーは、化学結合によって内部に蓄えられた太陽熱からくる」と主張した。
 GMは、全米の公立・私立・教区小学校に、「私たちには地球が必要、地球には私たちが必要」というビデオを配布した。楽しそうに水遊びしたり、美しい風景の中を駆け回ったりする子供の映像に乗せて、緑化やリサイクルの重要性を説く内容である。モータリゼーションの弊害や、それを改善するための都市再計画の必要性は全く述べられていない。GMは、大型駐車場の建設や、モーターオイルの再利用を勧めている。ビデオや教師用手引書で述べられていることは、確かに間違いではない。しかし重要なポイントが意図的に省かれているので、全体的に見れば、やはり正しいとは言えない。
 企業が提供する学校向けテレビ番組「チャンネル・ワン」は、全国1万2000校に、一日平均12分間、キャンディやファーストフードやスニーカーの広告を送り込んでいる。学校側は、衛星アンテナとビデオ機器の無料配布を受ける代わりに、登校日の9割以上の日数、9割以上の生徒にチャンネル・ワンの番組を見せなければならない。教師は、番組中に発言することも、テレビを消すこともできない。ある調査によると、チャンネル・ワンは学校公認の放送なのだから、そこで宣伝される製品は良い物に違いない、と考える生徒が多いという。
 スカラティック社のマーク・エバンス社長は、雑誌「広告の時代」に寄稿し、広告代理店に向かってこう呼びかけた。
 「二一世紀になっても人気とシェアを保つためには、学校教育に食い込むことがもっとも有効なマーケティング手段である、と考える会社が増えています。…[十代の若者に安全カミソリを紹介するジレット社のプログラムは]…教室という場と、友人同士の力関係を利用して、特定のブランドや商品に対する忠誠心を定着させました。…あなたの会社は、生徒たちを学校から直接スーパーマーケットヘ送り込むような強烈なプロモーションを企画できますか?」
 もし企画できないなら、学校教材の大手制作会社であるわがスカラティックがお手伝いします、というわけだ。
 公立学校の営利事業化を提案している会社もある。教室がマスコミの窓口となり、影響されやすい若者たちが会社のマーケティングや、イメージ作りや、イデオロギーに取り込まれていくのかと思うと、背筋がぞっとする。
 
A教育病理は、経済の問題
 あなたの学校は、自動販売機を置いていませんか。あなたの学校には、企業などから様々なビデオや冊子といった教材、試供品が送られてきませんか。また、学校も教師も、そのような教材を安易に使用していませんか。グローバル企業は、マーケティングの媒体として学校を利用している。教師を使おうとしている。こうなってくると、学校は、経済と無関係ではなく、深く関係している。地域社会が破壊され、学校は、グローバル経済に飲み込まれる。そうすると社会の問題は、ストレートに生徒に届く。貧富の拡大による暴力犯罪の増加は、少年に影響を与える。競争社会の激化は、偏差値教育を生み、小学校の「学級崩壊」、さらに「キレル」中学生を出現させた。教育改革や心のケアが叫ばれているが、原因は、経済成長によりお金中心の社会が形成されたことである。また、学校がそれに組み込まれてしまったことである。
 教育病理は、教育の問題ではなく、むしろ経済の問題である。私たち教師がすべきことは、自販機の設置や企業教材といった学校に対するグローバル企業の申し出をきっぱりと断ることである。
 
 生徒数減少のため、営業の苦しい学生食堂が増えている。自販機の収入が食堂経営を辛くも成り立たせているようだ。また、学校も、「食堂は、生徒が昼食に外出しないために必要。外出は、生徒指導上問題である」といった閉鎖的な発想から、自販機を追認している。しかし、この発想は、学食がつぶれても、生徒のためという名目で飲料水以外のラーメンやうどん・ピザなどの自販機がおかれることは間違いない。中小の食堂経営者が去って、グローバル企業が営業を引き継ぐ。
(1998,10,27)
 
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