9.11、テロリストの正体
                                    ichi
 
 「戦争が起これば最初に真実が犠牲になる」
(ハイラム・ジョンソン上院議員、1917年アメリカが第一次大戦に参戦した時の言葉)
 
 2001年9月11日、アメリカのペンタゴンと世界貿易センタービルが襲撃された。この事件を聞いた時、まず上の言葉が浮かんだ。この事件を契機に、アメリカとは本当は一体どういう国か、現在の「情報統制」はどのようになっているか、それに対してどんなことが可能か、考えてみたい。
 
*  −− 内容 −−            
T.絶え間ない戦争          
U.予期された9.11          
V.日本の言論の危機ー戦争への道  
W.テロ根絶の処方箋           
*          (どこからでもどうぞ)  
 
    T.絶え間ない戦争
 「非戦」(音楽家、坂本龍一監修、幻冬舎)を読んだ。その中に山本芳幸氏(国連高等難民弁務官、カブール事務所所長)が、個人的見解と断って次のように書いている。
 
 ネットで、アルンダティ・ロイ(インドの女性作家)という人が書いているこんなリストも見つけた。
 
 中国(一九四六、一九五〇〜五三)
 韓国・朝鮮(一九五〇〜五三)
 グアテマラ(一九五四、一九六七〜六九)
 インドネシア(一九五八)
 キューバ(一九五九〜六〇)
 ベルギー領コンゴ(一九六四)
 ペルー(一九六五)
 ラオス(一九六四〜七三)
 ベトナム(一九六一〜七三)
 カンボジア(一九六九〜七〇)
 グレナダ(一九八三)
 リビア(一九八六)
 エルサルバドル(一九八○年代)
 ニカラグア(一九八○年代)
 パナマ(一九八九)
 イラク(一九九一〜九九)
 ソマリア(一九九三)
 ボスニア(一九九五)
 スーダン(一九九八)
 ユーゴスラビア(一九九九)
 
 これは今アフガニスタンを爆撃し続けている国が、第二次世界大戦が終わった後で、戦争状態になった国、もしくは爆撃した国のリストだそうだ。この国の大統領が、我々は自由を愛する、平和的な国家だと、テレビカメラの前で胸を張り、笑みを浮かべる。その笑みが私には、文明の対極にあるもの、野蛮の現れとしか見えない。     (P80,81)
 
 正直なところ、このリストの中で、私が少し知っているのは、ベトナム(一九六一〜七三)、イラク(一九九一〜九九)だけだ。しかも、イラクの戦争は、私の記憶では1991年であり、「〜九九」とは思っていなかった。
 
 アメリカの有名な言語学者、ノーム・チョムスキーが9.11に関して、世界中のマスコミのインタビューを受けている。インタビューは主にEメールで行われ、9月19日から10月5日までの分が、本になった。「9.11 アメリカに報復する資格はない」(文芸春秋社)が日本でも出版された。その訳者、山崎淳氏は、「あとがき」でこう書く。
 「チョムスキーがつかみ出して、見せてくれる世界像、米国像は、米国や日本のいわゆる『主流』の新聞雑誌が描くそれとは、まったく違うものである。私はつい二年間ほど前まで、20年間ほど毎週欠かさず『タイム』と『ニューズウィーク』を読んでいた。国際情勢の推移については多少の知識がある、と思っていた。米国の事情にもある程度通じているつもりだった。しかし、実際は、多くのアメリカ人がそうであるように、本当のことは何も知らなかったのである」(P148/強調、引用者、以下同じ)。私自信も、「9.11」を読んで、「本当のことは何も知らなかった」と感じた。
 「9.11」から少し引用しよう。
 
  ニカラグア(一九八○年代) 
 一九八○年代のニカラグアは米国による暴力的な攻撃を蒙った。何万という人々が死んだ。国は実質的に破壊され、回復することはもうないかもしれない。この国が受けた被害は、先日ニューヨークで起きた悲劇よりはるかにひどいものだった。彼らは、ワシントンで爆弾を破裂させることで応えなかった。国際司法裁判所に提訴し、判決は彼らに有利に出た(注 1986年)。裁判所は米国に行動を中止し、相当な賠償金を支払うよう命じた。
 
 しかし、米国は、判決を侮りとともに斥け、直ちに攻撃をエスカレートさせることで応じた。そこでニカラグアは安全保障理事会に訴えた。理事会は、すべての国家が国際法を遵守するという決議を検討した。米国一国がそれに拒否権を発動した。
 
 ニカラグアは国連総会に訴え、そこで同様の決議を獲得したが、二年続けて、米国とイスラエルの二国(一度だけエルサルバドルも加わった)が反対した。しかし、これが国家の取るべき手段である。もしニカラグアが強国であったなら、もう一度司法裁判を行えたはずである。米国ならそういう手法が取れるし、誰も阻止はしない。それが同盟国を含め、中東全域の人々が求めていることである。(P23,24)    
 
 スーダン(一九九八)
 アメリカは、1998年8月、ケニアとタンザニアで発生したアメリカ大使館爆破事件に関連し、その主犯がオサマ・ビンラディンであると断定し、スーダンとアフガニスタンをトマホークで爆撃した。スーダン郊外のアルーシーファ薬品工場は、「化学兵器工場」であるとして攻撃された。私は、当時これを聞いて、クリントンがモニカ・スキャンダルをごまかすために、やったものと理解していた。
 
 スーダンのアルーシーファ薬品工場の破壊を取り上げよう。(略)もしビンラディンのネットワークが米国の薬品の備蓄の半分とそれを満たす生産施設を爆破していたらその反応はどうだっただろう?(略)もしも米国やイスラエルや英国がそうしたテロの標的になったとすれば、その反応はどんなものであろう?スーダンの場合、われわれは「おやまあ、残念、ちょっとした間違いさ、話題を次に進めようや。被害者などほっとけ」と言う。世界の他の人々の反応は違う。ビンラディンがあの爆撃の話を持ち出すと、それは人々の琴線に響いた。彼を憎み、怖れる人たちでさえ打たれた。不幸なことに、同様のことが、ビンラディンの演説の他の大部分についても当てはまるのである。
 
 (略)一つ面白いのは、誰かがあえてこの話を持ち出したときの反応である。(略)私は、「邪悪さと恐るべき残酷さ」(ロバート・フィスクの言葉)をもって行われた九月一一日の「恐ろしい犯罪」の被害は、一九九八年八月にクリントンが行ったアルーシーファ工場の爆撃の結果に比肩しうるかもしれない、と言ったのだ。(略)多くのウエッブ・サイトや雑誌などに熱を帯びた、奇抜な非難が盗れた。(略)二つのテロの被害が同じに見えるということを正確に述べた一文を、コメンテイターのある者が、まったく言語道断であると見なしたことである。どんなに彼らが否定しようが、どこか深いところで、彼らは弱者に対するわれわれの犯罪を空気のように当り前と見ている。そう結論せざるを得ない。(P46,47)
 
 では、爆撃があった98年以降、世界のマスコミは、スーダンの状況をどう伝えたか。
 
 あのスーダンの攻撃から一年後、
「命を救う機械(破壊された工場)の生産が途絶え、スーダンの死亡者の数が、静かに上昇を続けている……こうして、何万人もの人々ーその多くは子供であるーがマラリア、結核、その他の治療可能な病気に罹り、死んだ。[アルーシーファは]人のために、手の届く金額の薬を、家畜のために、スーダンの現地で得られるすべての家畜用の薬を供給していた。スーダンの主要な薬品の九〇%を生産していた……スーダンに対する制裁措置のため、工場の破壊によって生じた深刻な穴を埋めるのに必要なだけの薬品を輸入することができない……一九九八年八月二〇日、米国政府が取った作戦行動はいまだにスーダンの人々から必要な医薬品を奪い続けている」(ジョナサン・ベルケ、『ボストン・グローブ』一九九九年八月二二日号)。(略)
 
 アルーシーファの工場は「一〇万人を越える結核患者のため一ヵ月一ドルで買える結核の薬を生産する唯一の工場だった。もっと値段の高い輸入薬は大半の患者ー将来感染しているはずの夫や妻や子供たちーには手が届かない。アルーシーファはまたこの広大な、大半が牧羊地である国の唯一の獣医薬を作る工場だった。特産品は、羊の群れから羊飼いに感染する寄生虫の薬である。この寄生虫は、スーダンで幼児の死亡率が高い主たる原因の一つになっている」(ジェームズ・アスティル、『ガーディアン』二〇〇一年一〇月二日号)
 静かに死者が増え続けている。  (P49-51)  
 
 イラク(一九九一〜九九)
 私は、イラクとの湾岸戦争は、1991年に終わり、それ以降アメリカとイギリスが、「ときどき」空爆を続けていると理解していた。だから、次のチョムスキーの文を読んだとき、何を言っているかよく分からなかった。
 「イラクでおそらく一〇〇万人の非戦闘員と五〇万人の子供の主たる要因となった政策」(P46)。一〇〇万、五〇万という数、そしてこの「政策」とはなんだろう。
 「非戦」を読んでこれが理解できた。「水と子供たちのための祈り」と題して、デヴィッド・ジェームズ・ダンカン氏は、述べる。
 
 一九九一年のことだ。「砂漠の嵐作戦」のあと、アメリカの国防情報局は、イラクの貯水施設と下水処理施設を戦略爆撃で破壊し尽くしたらどんな影響が生じるかを調査した。アメリカ人のジャーリストでもあるトマス・J・ナギー教授は、以来、関連する国防情報局の文書を調べてきた。これらの文書は一九九五年に機密解除されている。ナギー教授は、自分の見出したことについて何本かの記事を書いたが、大手メディアや雑誌は一社として彼の報告に興味を示さなかった。私にはなぜかがわかる。恥ずかしくて信じられないような内容だったからだ。ミライの虐殺(訳注/ソンミ村大虐殺としても知られる)について最初に聞いたときのように。
 私がここに引用する記事は、プログレッシブ誌の2000年九月号に掲載された「制裁の裏の秘密ーアメリカはいかに意図的にイラクの水供給を破壊したか」である。ナギー教授が引用している文書はすべてオンラインで読むことができる(http://www.gulflink.osd.mil/)。
 
 これら一九九一年の諜報文書には、水マニアの私が驚くほど、イラクの水の供給源や水質に関する詳細な説明がある。イラクの河川の水には病原菌や汚染物質が含まれているで、塩素処理をしないかぎりコレラや肝炎、腸チフスなどの伝染病を引き起こすと書いてある。また、その塩素は食料やあらゆる飲料や医薬品と同様、経済制裁によってイラクには入ってこないとも書いてある。そして、イラクの上水施設が破壊されれば、その影響を受けるのはサダム・フセインではなく、イラクの貧しい人々、とくに子どもたちであろうと予測している。これを知りながら、ジョージ・ブッシュ(父)政権の政治指導者や軍事リーダーたちは、戦争のルールに関するジュネーブ協定にもかかわらず、イラクの上水および下水施設を計画的に破壊したのである。しかも塩素や医薬品の輸入を禁ずる制裁措置は継続された。
 
 国防情報局の文書はまだ続く。急性下痢症や赤痢、呼吸器系疾患、麻疹、ジフテリア、百日咳、髄膜炎などの病気がくり返し大発生して、子どもたちを苦しめた、と。最悪の場合は死だ。「ある難民キャンプでは、人々の八○%が下痢症、コレラ、B型肝炎、麻疹、胃腸炎などに罹患しており、死者の八○%は子どもである」と述べている文書もある。
 
 一九九〇年の中ごろ、ハーバードの医療チームがそんな伝染病の実態を目の当たりにして、医薬品を禁じている制裁は解くべきだと主張したことがあった。そのとき、国防情報局は、「イラク政権は政治的な目的のために疾病の罹患率を誇張している」と答え、経済制裁も汚れた水もそのままになった。そして今日まで、制裁も汚れた水もそのままなのである。いまでは国連ーイラクのプロパガンダなどではなく国連だーが、「その結果、イラクでは五歳以下の子どもたちが五〇万人も死亡しており、医薬品と安全な飲み水が手に入るようになるまで、毎月五〇〇〇人の乳幼児が死に続けることになる」と報告している。             (P213-215)
 
 十二億五〇〇〇万人のイスラム教徒はこのことを知っている。その結果、怒りで正気を失っている人々もいる。(略)もともとはアメリカが力を与えたイラク指導者の、その支配下で苦しむことしか知らない母親に生まれた罪のために、今月も五〇〇〇人の赤ん坊や子どもたちが死んでゆく。(略)わが子とすべての子どもたちを心から愛し、自分の体内の水とあらゆる生きている水を大切に思うからこそ、こんな制裁は狂気の子殺しであると糾弾したい。
(P217)                  
  
 ここで特に私が、気になったのは、
「これらの文書は一九九五年に機密解除されている。ナギー教授は、自分の見出したことについて何本かの記事を書いたが、大手メディアや雑誌は一社として彼の報告に興味を示さなかった」と言う部分だ。アメリカの一般の人々は、イラクで進行している事態が全く知らされていないのだろう。これは、日本でもほとんど同じだ。私も、イラクの上水、下水施設の破壊、国連の「制裁」、毎月五〇〇〇人の乳幼児の死亡については、殆ど知らなかった。しかし、「十二億五〇〇〇万人のイスラム教徒はこのことを知っている」。
 
 スーダン襲撃の事件に戻ろう。チョムスキーは「9・11」で、アメリカのFBIとCIAの動きを示す。
 
 一九九八年のミサイル攻撃の直前、スーダンは東アフリカのアメリカ大使館を爆破した容疑で二人の男を拘束し、米国政府に通報した。米国の役人も確認した。しかし米国はスーダンの協力の申し出を拒否した。ミサイル攻撃の後、スーダンは容疑者を「怒って釈放した」(ジェームズ・ライズン、『ニューヨーク・タイムズ』一九九九年七月三〇日号)。
 二人は、その後ビンラディンの工作員であることが判明している。最近リークされたFBI(米連邦捜査局)のメモはスーダンが「怒って釈放した」理由をもう一つ加えている。メモが明らかにしているのは、FBIは容疑者の引き渡しを望んだが、国務省は拒否した。(略)
 
 スーダンが提供しようと申し出たのは、ビンラディンに関する膨大な証拠だった。(略)スーダンが断られた申し出のなかには、「オサマ・ビンラディンとそのアル・カイダ・テロリスト・ネットワークの主要メンバー二〇○人以上に関する今日までの大部なデータベースが入っていた」。米国政府は、「何冊もの厚いファイルを提供するという申し出を受けた。ファイルには、ビンラディンの幹部たち多くの者の写真や詳しい経歴や、地球上の多くの場所にあるアル・カイダの財政的関係機関の重要な情報が入っていた」。だが、政府は、自らのミサイル攻撃の標的国に対する「理屈に合わない憎しみ」から、こうした情報を受け入れることを拒んだのである。
 「われわれがこのデータを持っていたら、九月一一日の攻撃を阻止する可能性はかなりあった、と考えるのは理に適っている」とこのCIAの高官筋は結論している(デイヴィッド.ロス、『オブザーバー』九月三〇日号、オブザーバーによる調査報告)。
(P5.56)。
 端的に言えば、アメリカ政府首脳部は、「オサマ・ビンラディンとそのアルカイダ・ネットワーク」を放置しておいた、ということだ。
 
 そもそもCIAとはどういう組織か、その幹部の声を聞こう。
 「父親のブッシュ元大統領は、フォード時代のCIA長官だった。私はCIAのコンサルタントを務めていたから、冷戦時代、敵を殺し政権を転覆させるために、CIAがいかに暗躍し、どれほど米国民の税金を大量に使ってきたのかをよく知っている。(略)そのCIAは、今回のテロでさらに権限が強化された」(「非戦」、P252)。
 「米軍が諸外国でどんな野蛮な行為をし、CIAが謀報活動の名目でどれほど非人間的な非合法活動を行い、人権を侵害してきたかを、米国民は知らされていない」(「非戦」、P249)。
 この証言は、2000年6月に著書「アメリカ帝国への報復」で今回のテロを予言した国際政治学者、カリフォルニア大学名誉教授のチャルマーズ・ジョンソン氏によるものだ。
 
 また、フォード、カーター両政権で初期スターウォーズ関連のすべての計画を指揮した元空軍中佐も述べる。
 「テロリストや秘密軍事組織に拷問や暗殺の技術を教え込む代わりに、われわれは米州軍学校(現在は『西半球安全保障協力研究所』と改名したラテンアメリカ向け親米ゲリラ養成施)を閉鎖すべきです。(略)世界中で暴動や社会不安、暗殺、テロなどの支援工作に明け暮れる代わりに、われわれはCIAを解体して資金を援助機構にまわすべきです」(「非戦」、「テロ根絶の処方箋」P101)。
 一言で言えば、CIAは、世界の平和を望まない、ということになる。「世界の平和を望まない」のは、軍需産業も同様である。
 
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     U.予期された9.11  
 ここまでの予備知識があると、当然次の疑問を共有する。
 「今回のテロ件は、アメリカでも日本でもジャーナリズムの基本である『何故』という疑問が出てこない。(略)何故アメリカの中心部で四機もの民間航空機が、同時に易々とハイジャックされたのか。(略)さらにはアメリカはテロがあることを事前に知っていたのかどうか。これらの当然すぎる疑問に日本の報道、とくにテレビはほとんど答えていない」(雑誌「世界」2001年一二月号、P27.28、「空洞化するジャーナリズム」、川崎泰資)。
 この川崎氏は、元NHK記者で、現在、椙山大学教授である。
 
 今回の事件で、「タリバン」(光文社新書)の著者、田中宇氏を知った。田中氏は外交評論家として、自分のHPで解説記事を載せている。
 その中で、2002年1月7日の配信「テロリストの肖像」、1月24日配信「テロをわざと防がなかった大統領」及び1月28日配信「テロの進行を防がなかった米軍」は、大変興味深いものだった。
1月7日の配信「テロリストの肖像」では、事件の首謀者と言われているアッタらの実行犯の足取りを追い、FBIによる実行犯への捜査は、極めて不十分であることを指摘する。一部引用してみよう。
 
▼不十分なまま打ち切られる捜査
 事件から3ヵ月後の12月11日、大規模テロ事件に関する最初の起訴が行われたが、その起訴状の中でも3ヵ月前と同じ氏名一覧が使われており、盗んで偽装した旅券で入国した実行犯については、米当局は本当の氏名すら把握していないことが分かる。イギリスのBBCの記事は、12月11日の起訴によって実行犯に対する捜査は事実上終結したとの見方を示しており、その見方が正しいとすれば、911のテロを起こした犯人が誰なのか全容も分からないまま、捜査が終わることになる。
 
▼怪しげな財政支援者
 アッタらハンブルグの実行犯グループはイスラム過激派組織「アルカイダ」のメンバーで、オサマ・ビンラディンの指令でテロ事件を実行したと報じられている。しかしこのテロ事件に関する報道や、当局が出した起訴状を見ても、アッタらとアルカイダとの関連を明確に裏づける証拠が何も出ていない
 両者の関係を表す「証拠」としてよく掲げられるのが「実行犯グループはアラブ首長国連邦(UAE)にいるアルカイダの財政担当者とされるムスタファ・アーマド・アルハウサウィから送金を受けていた」ということである。アッタや他の実行犯の若者たちがUAEから送金を受け取り、その後9・11の犯行数日前に残ったお金を同じ口座に送り返した送金記録を米当局がおさえているという。
 
 しかし、このアルハウサウィという人物が、アルカイダの財政担当者であるという根拠は、全く示されていない。アルカイダの活動は数年前からCIAなどにマークされていたはずなのに、アルハウサウィという名前が出てきたのはこの送金をめぐる部分だけで、それより前には一度も出ていない。
 極端な話、米軍やCIAは9・11より前から「テロとの戦争」を始めたがっていたことから考えれば、逆にアルハウサウィがCIAのエージェントで、そう気づかれないままテロ実行犯に金を送っていた可能性すら否定し切れない。
 
 このアッタの資金提供者というアルハウサウィとは、一体誰か?少し後で検討する。
 
 次の「テロをわざと防がなかった大統領」を見よう。
 
▼抗議して辞めたFBI幹部、無念の死
 マイク・ルパートというアメリカのジャーナリストが各種の報道記事を調べたところによると、2001年6月にはドイツの情報機関BNDが9・11のテロを察知して米当局に通告し、9月の事件発生直前には、イランとロシアの情報機関などが米当局に対して警告を発している。ケイマン諸島では、ラジオ局のリスナー参加型の生放送番組に9・11の発生を警告する電話がかかってきて放送されたりした。これらの警告を、アメリカ政府の最上層部はすべて無視したのだった
 
 田中氏のHPでは、データの出所が明らかになっている。このマイク・ルパートが調べ上げた「各種の報道機関」を実際に見てみた。
(http://www.copvcia.com/stories/nov_2001/lucy.html)。
 9.11に関して、マイク・ルパートは29の情報源を明らかにし、それを時系列に並べている。確かに、世界各地で9.11が事前にキャッチされていたようだ。
 
 29の情報源の内、18から22は株取引に関してである。(その銘柄が将来、上がるか下がるかがわかれば、株は確実に儲かる)。9月6日から10日にかけて、ハイジャクに使われた2つの航空会社、United Air Lines とAmerican Airlines の株取引が異常に多い。この2つの銘柄のPut Options(これは将来値が下がることを想定している)が、通常の6倍も買われている。それ以外の航空会社の株ではこのことが見られない。このPut Options を購入したのは、メリルリンチ、モーガンスタンレー、AXA Re(再保険会社)、ミュンヘン再保険会社などの超一流の金融資本である。すなわち9.11前後に、何らかの異変がおきることが、広く予想されていたのだ。
 
 世界貿易センターにこれらの金融資本のオフィスがあり、当然そこに勤務する多くの「エリート従業員」もこの異変に感づいていたと思われる。これらの人が、9.11に「休む」可能性は大変高い。事件直後、死亡者は7000人以上と言われていたが、日にちが経つにつれ、死者の数が減り、現在3000人を切るほどに「減少」した(朝日新聞、2001年12月20日によると、死者・行方不明者は19日段階で2992人)。
 エジプトの週刊誌(9月24日発行)が、「貿易センタービルで働く4千人のユダヤ人があの日出勤しなかった理由は?」「ユダヤ人101人がハイジャク機への搭乗予定を直前にキャンセルした理由は?」という中見出しの記事を掲載したという。これは朝日新聞の「テロリストの軌跡 アタを追う 13」(2001年12月12日)に紹介された。この朝日新聞の記事では、「意図的で根拠のないうわさ話のたぐいではないのか。」と、「疑問」を呈しているが、ニューヨークで取材すれば「事実」がわかるのではないか、何故そんな事実確認もできないのか。  
 
 さらに、マイク・ルパートが調べ上げた5と9の情報源は、意味深で、次のようなものだ。
 2001年5月にCIA長官(Director)George Tenet がパキスタンを訪問し、パキスタンの最高権力者ムシャラフ将軍と会っている。同時にパキスタンのCIAに当たるISIの幹部、マフムード・アーメド統合情報局長と会談をしている(ソース、The Indian SAPRA news agency,5月22日,2001)。
 このISIの幹部、マフムード・アーメド統合情報局長は、2001年9月に、側近に命じて10万ドルを、9.11事件のリーダーと考えられているアッタに送金(to wire tranfer $100,000.)した。この送金がインドによって暴露され、このことがFBIによって確認されて後、10月8日、アフガンへの空爆が始まった日の深夜、マフムード・アーメド統合情報局長は退役させられている(ソース、The times of India,10月9日,2001)。
 
 この情報が正しいとすると、田中氏が指摘した「アッタの資金提供者、アルハウサウィ」が、パキスタンのISIの幹部、マフムード・アーメド統合情報局長となる。パキスタンのISIとアメリカのCIAは通じているので、アメリカのCIAは当然、9.11を事前によく知っていたことになる。いや知るどころか、もともとこの計画にCIAが深く関係していたと考える方が自然になる。これは、とっぴょうしもない考えだろうか? 
 なお、朝日新聞の「テロリストの軌跡 アタを追う 36」(2002年1月18日)に「テロ準備資金」が追跡されている。このシリーズは情報源が明らかとなっておらず、アメリカ政府筋が情報源の多くを占めている可能性がある。記事では、「アッタの資金提供者、アルハウサウィ」について、「米捜査当局は、この男がアルカイダの財政責任者ムスタファ・アフマドと見ている」。「アタたちは、テロ実行の3日ほど前から、手元に残った約5万ドルの金をアラブ首長国連邦のアフマドあてに送り返している。テロの2日後、アフマドはパキスタンのカラチでその全額を引き出し、姿を消した」。記事では唐突にパキスタンが出てきており、何故わざわざパキスタンまで行ったのか、その理由が示されていない。
 
 2つ目の疑問、「何故アメリカの中心部で四機もの民間航空機が、同時に易々とハイジャックされたのか」を検討しよう。この疑問は、私も、9.11を聞いて、「あのアメリカで何でこんなことが可能なんだ」とすぐ浮かんだ疑問だ。
 これについて、田中氏は1月28日配信「テロの進行を防がなかった米軍」で詳しく説明する。ただ、この説明は、田中氏のオリジナルではなく、「ジャレッド・イスラエルというアメリカのフリージャーナリストが書いた3部作の英語の記事に載っている」ことを、田中氏が要約したものだ。
 
▼緊急発進に大統領の決定が必要だというウソ
 9・11では事件後「一般市民が多数乗っている旅客機を撃墜するかどうかという難しい最終判断を、米軍の最高司令官であるブッシュ大統領が下すのに時間がかかり、戦闘機の発進が遅れた」といった説明が、テレビのインタビューに答えるかたちで、チェイニー副大統領によってなされている(9月16日NBCテレビ)。
 だが、これは間違った指摘である。最終的に旅客機を撃ち落すかどうかという判断を下す前に、まず戦闘機が緊急発進し、ハイジャック機の近くまで行って強制着陸に応じるかどうか試してみるのが先である。
 戦闘機の緊急発進には大統領の判断など必要なく、管制塔(連邦航空局)からの要請を受けた米軍やカナダ軍が日常業務として行うことである。火事の発生を知らされた消防隊が火事現場に駆けつけるのと似ている。戦闘機の緊急発進は、それほど珍しいことではない。
 
 旅客機がハイジャックされたり、規定の飛行進路をはずれたまま管制塔からの呼びかけに答えなかったりした場合、連邦航空局は、米軍とNORAD(北米防空司令部、アメリカとカナダの合同防空組織)に連絡し、米軍やカナダ軍の戦闘機に緊急発進してもらう。戦闘機は旅客機の近くまで行き、その操縦室の様子を目視で確かめ、戦闘機の先導に従うよう命じる合図を送る(旅客機の前を横切るのが合図となる)。
 
▼無意味にニューヨーク上空を旋回し続けた戦闘機
 3機目の旅客機がワシントンを飛び立ったのが8時10分、ハイジャックされたのが8時55分で、その後9時10分ごろまでにはハイジャックの連絡が米軍に入った。
 このときには、すでに1機目と2機目を追いかけたF15戦闘機2機がニューヨーク上空を旋回し始めていた。ニューヨークからワシントンDCまでは約300キロで、最高時速2400キロのF15なら10分以内で到着できる。ニューヨーク上空にいる戦闘機をワシントン方面に向かわせれば、9時40分に国防総省に激突した3機目のハイジャック機を、その20分前には捕捉して強制着陸を命じ、応じなければ国防総省に突っ込む寸前に撃墜することもできたはずだ。
 しかし、そうした命令は下されず、戦闘機はその後3時間ほどニューヨーク上空を旋回し続けた。
 
▼国防総省がやられた後で繰り出した大部隊
 ニューヨーク上空の戦闘機をワシントンに向かわせる代わりに、米軍がとった行動は、ワシントンから200キロ離れたラングレー空軍基地から3機のF16戦闘機を緊急発進させることだった。これが実行されたのは9時30分で、米軍が3機目のハイジャックを知ってから20分後だった。
 しかも、戦闘機はワシントン上空に着くまでに30分近くかかった。時速2400キロまで出る戦闘機なのに、なぜか時速400キロしか出さなかった。最高速度で飛んでいれば、直前で激突を止められた可能性もある。ワシントンに着いたのは10時少し前で、すでにハイジャック機が国防総省に激突してから15分ほどたっていた。
(1機目と2機目を追いかけた戦闘機は、ニューヨークまでの約400キロを15〜20分で飛んでおり、最高速度に近い速さを出していた)
 
 もう一つ考えるべきことは、ワシントンDCを守備する担当の空軍基地は、200キロ離れたラングレーではなく、ワシントンから15キロしか離れていないアンドリュー空軍基地だということである。ここは大統領専用機「エアフォース・ワン」の母港になっているエリート基地で、空軍と海兵隊がそれぞれ戦闘機群を配備していた。
 ところが9月11日、国防総省に旅客機が突っ込むまで、この基地からは1機の戦闘機も飛び立っていない。「この日、アンドリュー基地の戦闘機は、緊急発進の準備ができていなかった」と述べた米軍関係者もいたようだが、これは間違いである。アンドリュー基地からは、国防総省に旅客機が突っ込んでから数分後になって、戦闘機やらAWACSなどが次々と飛び立ち、他のハイジャック機の飛来に備え、上空を旋回し始めたからである。
 
 端的に言えば、当然発動されるべきハイジャック対応の行動がなされていない。特にハイジャックされ国防省(ペンタゴン)に突っこんだ3機目への対応は、極めて不自然だ。ニューヨーク上空に旋回している戦闘機を向かわせず、ワシントンDCから200キロも離れているラングレー空軍基地から戦闘機を出動させ、しかもその戦闘機はゆっくりと国防総省に向かっている。15キロしか離れていないアンドリュー基地からは、国防総省に旅客機が突っ込んでから数分後になってやっと出動という有様だ。殆どマンガである。
 田中氏は、米軍の行動を紹介した後、控えめにまとめる。
 
 米軍の失態というより、ふつうなら機能すべき防空システムの重要な部分、たとえば連邦航空局から国防総省への連絡システムなどが、この日に限って正常に作動しなかった可能性が大きい。(略)
911当日の米軍の失態は、技術的な不調が原因ではなく、政府上層部による意図的なかく乱があったのではないか、と思われてくる。
 
 日本でも、9.11当時の米軍の動きとその前後の株価の動きを検討して、9.11事件は予期されていたと述べている人もいる(「ブッシュよ、お前もか・・・・」、増田俊男著、P60-62)。
 
 田中氏の情報源、Illarion Bykov 氏と Jared Israel氏は、もっとはっきりとHPで述べている。
 「9-11に対して Bush(大統領) Rumsfeld(国防長官)Myers(将軍) は有罪だ!」と。
 このHPのアップデートの日付は、2001年11月17日である。2ヶ月前だ。残念なことに大切な情報が多くの人に行き渡っていない。検証されるべき事柄がきちんと調べられていない。
HPは http://emperors-clothes.com/indict/indict-1.htm
 
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    V.日本の言論の危機ー戦争への道
 9.11の検討を通じて、「言論の自由」、「政府公報ではないマスコミの重要さ」を痛感する。では、日本の現状は、そして、これからは、どうだろうか?
 元共同通信記者、94年芥川賞受賞作家、辺見庸氏は、「単独発言」(角川書店)で「言論の危機」に警告をならす。
 
 僕はいつも力説しているのですが、状況の危機は、言語の堕落からはじまるのです。丸山真男は「知識人の転向は、新聞記者、ジャーナリストの転向からはじまる」と書き、歴史が岐路にさしかかったとき、ジャーナリズムの言説がまずはじめにおかしくなると警告しました。この言葉は一九五六年のものですが、言語の堕落、言説の劣化、ジャーナリズムの変節は、いまのほうがよほどひどいし、それらが全体として状況の危機を導いている。  (P62)
 
 マスメディアは、記者クラブ制度をふくめて、ほとんど国家内制度化しつつあると僕は思う。
 それから僕は戦後ジャーナリズム史の五指に入る汚点だと思うのだけれども、前政権下で起きた官邸記者クラブにおける首相会見指南書事件です(注)。これはだれでもがNHKだといい、人物もほぼ特定できるというにもかかわらず、NHKは局内調査をやった結果として「そのような事実はない」と平気でいい張る。処分もおとがめもない。(略)先般の「問われる戦時性暴力」改竄問題もふくめ、NHKには権力との境界線がないどころか、日本国策放送協会といわれてもしかたのないような傾向がますますつよくなっているのではないでしょうか。      (P66.67)
 (注)森喜朗首相が「神の国」発言についての釈明記者会見を開く前日(2000年5月25日)、首相官邸記者室内の共同利用コピー機のそばで、首相周辺にあてた会見指南書とみられる文書が見つかった問題。
 
 私は、この「会見指南書」を書いたのは、てっきり産経新聞か読売新聞の記者だと思っていたので、この辺見氏の指摘に驚いた。ただ、今回の9.11以降のNHKの報道があまりにも、アメリカ政府の発表を垂れ流したものが多く、不快感を持っていたが、この文を読んで納得した。
 
 去年、「テロ支援」と称して、日本を参戦させる法案が国会で審議されていた。その国会で、「報道の自由」をおびやかす重大な法案も同時に審議されていた。このことを、朝日新聞10月26日、「私の視点」で田島氏(上智大学/憲法・メディア法)が指摘した。
 
 9月のアメリカでの同時多発テロを機に、軍事・防衛にかかわる秘密保護を強める動きが急浮上し、国民の知る権利や報道の自由が不当に制限されかねない事態が生じている。
(略)
 さらに、既存の自衛隊員の守秘義務規定に加え、新たに「防衛秘密」保護のシステムを導入する自衛隊法改正案が参議院で議諭されている。これは、「防衛秘密」を指定する権限を防衛庁長官に与え(96条の2)、自衛隊員だけでなく、一般の国家公務員や民間業者も含む「防衛秘密を取り扱うことを業務とする者」がこの「防衛秘密」を漏らすことを5年以下の懲役という重罰で処し、その共謀、教唆、扇動に加えて、未遂犯、過失犯、国外犯も罰する(新設の122条)という提案である。
 
 10項目にわたって列挙された秘密指定の対象となる事項は広範であり、長官の指定を厳格に縛る仕組みも用意されていないので、秘密が濫用され、防衛に関する情報が広く国民の目から隠される危険がある。漏洩の処罰対象となる人や行為を広げ、刑も重くするとともに、漏洩の教唆なども処罰することにより、防衛情報を取材、調査するジャーナリスト、研究者、市民などの正当な活動が制約や妨害を受け、処罰さえされる危険が広がった
 
 かつて自民党が提案し、国民の強い反対で挫折した国家秘密法の部分的な導入にほかならない。別個独立の立法に等しいこんな重大な措置を、テロ対処のどさくさに紛れて、しかも自衛隊法の改正などという姑息な手段で、まともな議論もなく突然提案するのは、許しがたい暴挙としか言いようがない。
(略)
「有事」を正面から認める法体制が構築されれば、言論や情報が統制されるのは不可避である。近く審議開始が予想される個人情報保護法案をはじめとする一連のメディア規制措置に加えて、今回の国家秘密の強化と次に控える有事法制の仕組みが整えば、憲法21条の表現の自由条項は事実上改正されたに等しい深刻なダメージを被ることになる。
 
 「市民の元気をつなぐいのちと平和のためにネットワークメディア」を目指す「ピースネットニュース」2001年11月号も、この自衛隊法改悪に警鐘を鳴らしていた。
 
 「国家秘密法」の亡霊の復活、そして戦争への道を突き進む日本 平和の種をまき続けよう!
 
 この「自衛隊法改正案」では、対象者として自衛隊員などの公務員だけではなく防衛産業の民間企業の労働者も含まれ、さらに「教唆・扇動」そして新たに「共謀」した者も罰則の対象とすることから、ジャーナリスト・マスコミはもちろん一般市民も対象となっています。罰則が減刑され、外交秘密が外されているとは言え、この法律により防衛問題を批判することも調査することも困難となりかねません。そもそも何が秘密であるかは明らかにされず、それを指定する基準ですらはっきりしていないということで、政府の恣意的な運用が可能であり、使い方次第でとても怖い法律になりかねません。
 
 すなわち、この「自衛隊法改悪」で、「軍隊」に対しての文民統制は、「防衛秘密」を盾に不可能になってしまう。人々は、自衛隊に関する情報を知ることができなくなってしまう。防衛庁と特定の業者が癒着し、自衛隊の装備調達機構がブラックボックス化し、際限ない税金がそこにつぎ込まれていくだろう。この「自衛隊法改悪」は、防衛庁や軍需産業による国会へのクーデターとも言える。
 しかし、ご存じのように、マスコミで大きく取り上げられることなく、「自衛隊法改悪」が成立した。
 
 現在、焦点となっている重大な法案は、「個人情報保護法案」である。
 フリージャーナリスト、斉藤貴男氏は、朝日新聞、2001年5月15日「eメール時評」で注意を喚起する。
 
「言論の封殺」を許すな!
 
 これでいいのか、しょくん!
と、天才バカボンのパパを気取ってみたのはほかでもない。恐ろしすぎで怖いのだ。
(略)
 法案は<放送機関、新聞社、通信社その他の報道機関>の報道には適用されないという。組織に属さない私のような物書きや出版社への言及はない。(略)藤井昭夫・内閣官房内閣審議官の説明で何もかもはっきりした。藤井氏は「報道の自由は尊重する」と言った。ただし、一つ一つの記事なり番組が報道に該当するかどうかは内閣府の判断による、とも。おカミが報道だと認めなければ適用除外もクソもなく、内閣府の長は報道側に情報源の開示を求めることができ、取材源の秘匿を貫けばチョーエキ刑が待っている
 新聞も雑誌もフリーも、この点に変わりはない。事実上の言論封殺法。ジャーナリズムが大本営発表に成り下がる時代が、またしてもやって来てしまう。
ウソのようだが本当だ。(略)
 時代は「いつか来た道」へ。レレレのレ?なんてボケてたら、今度こそ手遅れになる。
 
 辺見庸氏も、「単独発言」で「個人情報保護法案」の危険性を指摘する。
 
 大新聞を頂点に、その系列の放送局、大手出版社、中小、弱小出版社・・・.といった「メディア・ヒエラルキー」のようなものができつつあるのではないか。情報の統制と操作のためには、このヒエラルキーは便利です。頂点の大新聞には一定の特権をあたえ、体制の側に完全に取り込む。統制の難しい弱小出版には監視と科罰をもって臨むということでしょう。新聞協会加盟の主要何十紙としては、個人情報保護法の適用対象外という"恩恵”に浴せれば、それでこと足れりという態度です。           (P67.68)
 
 よく読めば、保護ではなく、個人情報の国家による管理であり専有です。「個人情報管理法」というのが、より実相に近い名称でしょう。
(略)はじめは、報道機関は規制の対象から除外するというのですから、そこから外れたフリーランスのしかも体制批判的なライターをねらい打ちする意図をもっているのだ、といわれました。しかし時間がたつにつれ、(略)もっと広い範囲の、いわばこの国の全域にわたる情報管理・統制システムの構築をも視座においているのではないかともいわれるようになってきた。たとえば、法案のいう「個人情報取扱業者」に、パソコンをやる人間すべてをふくめ、国家がインターネット情報全般にわたる管理に踏み出しつつある、と想定することもできます。
 
 こうしたもくろみは、九九年の改正住民基本台帳法、つまり国民番号制度に発想の基礎を置いていると僕は考えますが、その九九年という年は、この国の近未来の祖型を一気につくってしまうというたいへんな年でした。ガイドライン関連法、盗聴法、国旗・国歌法、憲法調査会設置法などが次々にできた。戦争や紛争に対応できる国家再編です。今回の法案も、そこから地つづきで来ている。 (P58.59)
 
 日本の現在のマスコミの状況を、端的に物語ったのが2001年12月22日の東シナ海海上で起きた「不審船撃沈」事件だ。私の友人でかなり物事を考えていると思っていた人も、この事件での海上保安庁の行動を「支持」していたと知って、少しショックを受けた。マスコミで政府の一方的な見解や「ロケット砲」(本当かな?)の映像が多く流れ、事態のきちんとした法的な説明がなされなかった影響力は大きい。
 
 この事件では、前田氏(東京国際大学教授)が法的な背景をふまえ論じていた。 「検証『不審船』事件 ”排他的有事国家”への道」(「週間金曜日」2002.1.11号)の一部を引用しよう。(概要は次のHPにあります。
  http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/heiwa/maedakin020111.htm)
 
 昨年12月22日、東シナ海洋上で起きた海上保安庁巡視船による「国籍不明船銃撃・撃沈事件」は、日本が初めて国外において先制的な武力行使に踏み切り、外国人死者多数をもたらす事例として記録されることになった。
 
公海上を航行していた”不審船”
 
 EEZ制度は(略)領海に接続する水域であって沿岸基線から測って最大200海里(約370キロメートル)を沿岸国のEEZとし、その海域に特定事項についての「主権的権利」と「管轄権」を容認した。すなわち200海里海域内での海底・地下をふくむ海産物、海底資源探査・開発・保存・管理にわたる主権的権利、人工島や施設等の設置・利用および海洋科学調査または海洋環境保全にかんする管轄権がそれである。(略)
 
領海外での威嚇射撃
 
 発端から終末まで、現場海域はすべて日本の領海外である。当然、99年の「能登沖不審船」のような領海侵犯=不法入国容疑は存在しない。たしかに日本EEZ内ではある。同時に、そこで可能な日本の「主権的権利」は、密漁、海洋汚染、資源探査活動など違法取締りに限定され、これらの事項に違反しないかぎり、他国の船は引きつづき航行の自由を行使できる。”推定容疑”は排除される。(略)
 であるなら、”不審船”が銃撃とロケット砲で反撃してくる以前までになされた巡視船による威嚇射撃と、火災を発生させるほどの船体射撃(乗組員への危害も十分予測される)が適法であったか否かが問われなければならない。事態はそこにはじまるのであり、相手側によるロケット砲発射は一連の流れのなかで”事後的”になされたものだからである。
 
正当防衛ではない
 
 99年6月、関係閣僚会議で了承された「能登半島沖不審船事案における教訓・反省」において、武器使用条件の緩和方針が決定され、「テロ対策特別措置法」の成立国会で「海上保安庁法改正」もあわせなされた。(略)
 今回の銃撃にこの基準が適用されたのは、状況に照らして明らかだろう。しかし新基準はあくまで不審活動を「我が国の内水又は領海において現に行なっている」場合の武器使用準則であり、主権の及ばない(特定の主権的権利しか行使できない)EEZに当てはめるのは飛躍がある。領海侵犯をともなわないかぎり、”危害射撃”はいぜん適法とはみなされないのは明白だ。
 
 では、国際法の見地からはどうであろうか。前に見たように国連海洋法条約は、「沿岸国の権限ある当局」による追跡権や臨検を容認している。とはいえ、それは「外国船舶が白国の法令に違反したと信ずるに足りる十分な理由があるとき」にかぎっての例外であり、”外観の異常”や”乗組員の異常な挙動”をもって武器使用の根拠とすることはできない
 
日本政府の二重基準
 
 かつて日本船舶が公海上で外国公船に追跡・銃撃される”被害船”の立場におかれたさい、政府は、つねに公海自由原則を根拠に「不法な臨検・銃撃事件」の中止を相手国に抗議しつづけてきためである。
(略)
 「慣習法である国際法では『航海自由の原則』があり、原則的に自国の船以外に対しては臨検、発砲などの行為も許されていない」(93年2月10日付『産経』)と中国側の国際法無視を非難した。
(略)
 したがって今回の事件処理を正当合法とするなら、以後、中国、韓国、北朝鮮のEEZ内で日本”不審船”にたいし外国公船による追跡と銃撃が行なわれた場合、「相互主義の原則」から日本側は抗議の根拠を失うことになる。
 
 こう見てくると、今回の撃沈攻撃がいかに過剰で、国内法、国際法を無視したものであるかが理解できる。
 
 あまり大きく報道されなかったが、朝日新聞12月
30日に「不審船2遺体 死因『水死』が濃厚 司法解剖 1遺体、右足傷は銃創」という記事があった。そもそも、「不審船」を撃沈した後、海上に放り出された15名の救助活動が殆どなされていない。厳寒の海で、救命道具をすぐ投入しなければ、「水死」は必然だ。マスコミ報道では、「船体射撃は正確」というのが流されていたが、実際、この記事が示しているように射撃により人身に被害が及んでいる。
 さらに、前田氏が引用している小泉首相の発言は重要な問題を含んでいる。
 
 小泉首相も年頭の記者会見(1月4日)で、「日本人の想像を超えるような、理解に苦しむ不可解な意図と装備、能力を持って日本に危害を加えるかもしれないグループが存在していることも見逃すことはできない。どういう措置を平時から考えておくかは大変重要で、政治の責任だ」と”平時の措置”を強調した。
 
 この発言で特徴的なものは、事態の正確な把握がない、法的な捉え方がない、ということだ。また、「想像」によって相手を「凶悪化」し、日本が加えた「攻撃」には目をつぶり、相手からの「反撃」を前面に拡大して押し出し、まるで被害者のごとく議論をするという点である。このような発言が、その問題点の指摘もなく、そのままマスコミに垂れ流される状況は、大変アブナイ。
 
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      W.テロ根絶の処方箋
 私が、9.11で確信したことは、どんな強大な軍事力をもっても、人々の「安全」は保証されない、ということだ。アメリカは、世界最大の軍事力を誇り、事実そうだ。もし、軍事力が人々の安全を保証するなら、アメリカが最も安全な国になっているはずだ。しかし、事実はその正反対だ。アメリカが最も危険な国となっており、外国ではアメリカ国民が最も危険にさらされている。これが、明白な事実だ。
 
 ロバート・M・ボウマン氏が「非戦」で次のように書く。
 
 過去五〇年間にわたる核弾頭の偶像崇拝は、われわれに安全をもたらしてはくれませんでした。得られたのは、より大きな危険だけです。スターウォーズに類したものは・・・いかに技術水準を上げようと、どれだけ巨額の予算を注ぎ込もうと、テロリストの爆弾ひとつ防げません。
 われわれが兵器庫に蓄えたどんな武器をもってしても、ヨットや、軽飛行機や、スーツケースや、引っ越し用貸しトラックに積んで届けられる小型核爆弾を防ぐことはできません。アメリカが国防と称するものに年間注ぎ込む二七三〇億ドルのうち一セントたりとも、実際はテロリストの爆弾からわれわれを守ってくれやしないのです。わが国が誇る巨大な軍事体制のなかで、真の安全を保障してくれるものなどこれっぽっちもありません。それが軍事的事実です。      (P97)
 
 この発言のロバート氏は、フォード、カーター両政権で初期スターウォーズ関連のすべての計画を指揮した元空軍中佐である。幹部軍人がこのように言っている。
 
 「軍事力は安全につながらない」ということを、現実的に実現するために、「報道の自由」「表現の自由」が、本当に大切だ。「報道の自由」「表現の自由」がなければ、世の中で起こったことについて「白」を「クロ」と言いくるめることすら、大変簡単だ。
 
 1990年、91年に起こった湾岸戦争では、マスコミの情報操作に悔しい思いをした。
(「転機としての危機」4〜6 http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/heiwa/tennki_4_9111.htm
今、当時とは違い、インターネットが一定普及している。この文で紹介した「非戦」は、インターネットのメールリングリストでの情報交換をもとに、「お互いにほとんど顔を合わせたことのないメンバーたちが、主にEメールだけで編集作業に突入した」(P399)という。9.11に心を痛めた世界の人々が、この本に登場している。
 インターネットは、マスコミに対して、クチコミのようなものだ。しかもこのクチコミは、うまく使うと、相当役に立つ。この文もインターネットによって初めて、可能になった。「報道の自由」「表現の自由」の大切さを追求しながら、インターネットをうまく使いこなすことが、これからますます必要になってくる。
 
P.S.1
 この文では、「炭疽菌」について全く触れることができなかった。今では、米国内で郵送された炭疽菌は、米軍が開発したものであることがほとんど確実視され、2001年12月段階で、マスコミでも「小さく」報道されるようになった(朝日新聞12月20日、「炭疽菌の出所 『国内の公算大』 米大統領報道官」、1段の記事)。これについても、田中氏は、12月10日発信「炭疽菌と米軍」、12月13日発信「炭疽菌とアメリカの報道」できちんと書いている。
 
http:tanakanews.com/b1210anthrax.htm
http:tanakanews.com/b1213anthrax.htm
 
P.S.2
 アフガニスタンで、タリバン崩壊後、Japan Times 12月18日にマリアム・ラーウィ(RAWA:アフガニスタン女性革命協会)へのインタビュー記事が載った。それを東京東ティモール協会が訳している。その一部が、次のHPにある。
  http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/beikoku/afganrawa0202.htm
 これをみても、アフガニスタンの現状について、いかにマスコミがアメリカによって創られた「見方」でしか、報道していないかが、わかる。
 
<参考にした本>(☆:オススメ度)
☆☆☆「非戦」(監修坂本龍一、幻冬舎、2002.1)、1500円                            
☆☆☆「9.11」(ノーム・チョムスキー、文芸春秋、2001.11)1143円
         
☆☆☆「アメリカが本当に望んでいること」
   (ノーム・チョムスキー、現代企画室、1994.6)1300円
  〜 この本は、第2次世界大戦後、湾岸戦争までアメリカが、本当は何をやってき    たかを、具体的に示している。同時に、アメリカのマスコミの実情もわかる。
     
☆☆「単独発言」(辺見庸、角川書店、2001.12)1100円
                  
「ブッシュよ、お前もか・・・」(増田俊男、風雲舎、2001.10 ) 1500円
         
 
<オススメサイト>
・まなざし http://www.ne.jp/asahi/manazasi/ichi/
 
・田中宇の国際ニュース解説  http://tanakanews.com/
 
・池澤夏樹氏の「新世紀へようこそ」
http://miiref00.asahi.com/national/ny/ikezawa/backnumber.html
 
・共同通信ニュース    http://www.kyodo.co.jp/
 
・反戦・平和アクション   http://peaceact.jca.apc.org/
 
・ピースネットニュースhttp://www.jca.apc.org/peacenet
        
                       (2002年2月10日版)
 
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