外部の圧力で「記者職」剥奪  
  週間金曜日 2003年1月24日
 
「個人的なことは政治的なこと」と
いうフェミニズムの合い言葉に依拠
して、今回は私の「個人的なこと」
を書かせていただきたい。
 
私は読売新聞社に入社して今年で
満30年になるが、今月末で「編集
記者職」を解かれ、「営業渉外職」に
職種変更される。所属でいえば、メ
ディア戦略局データベース部から、
同局メディア事業部への異動だ。
 
 この配転の目的は、ただ一点、私
に「読売新聞記者」と名乗らせない
こと。具体的に言えば、本誌「人権
とメディア」欄に記している私の
肩書き『「人権と報道・連絡会」世
話人・読売新聞記者』から、「記者」を
はずさせることである。これは、私
の「憶測」ではない。私に異動を通
告した部長が、明言した「事実」だ。
原因もはっきりしている。私が本
誌で書いてきた「日朝交渉報道」批
判に関して、読売新聞社に外部から
かかってきた「圧力」である。
 
 昨年九月、私は本欄に《「日朝交渉」
報道/問うべきは日本の侵略責任》
など二本の記事を書いた。同月下旬、
私は局次長から呼び出しを受けた。
話の要点は、@日朝交渉に関する
私の『週刊金曜日』記事に関し、関
係者から社の広報部に「苦情」が来
ているA広報部は「記者個人の社外
での言論の問題」として対応したが、
社内で問題になっているB『金曜日
の肩書きから「読売新聞記者」をは
ずし、「ジャーナリスト」に改めても
らいたいーというもの。局次長は、
「わが社には、社論に反する内容を社
外メディアで書くことを禁じた社内
規定はなく、今のところ君を処分す
ることはできない。しかし、このま
までは、新たな規定が作られること
になるかもしれない。そうなれば、
他の読売記者も社外でモノを書きに
くくなるのではないか」とも言った。
 
 私は一瞬、「他の記者に迷惑がかか
るとしたら」と思いかけたが、すぐ
に考え直した。「社論に抵触するよう
な内容の記事は、『ジャーナリスト』
の肩書きで」という指示に応じれば、
結局は新たな社内規定が作られたの
と同じことになるではないか。
 
 私が社外メディアに報道批判の文
章を書く際、「読売新聞記者」と明記
しているのは、大手メディアに所属
しながらメディアのありようを批判
している私の立場を、読者にきちん
と示す責任がある、と考えてきたか
らだ。同時に、新聞記者が「会社主
義」にとらわれず、自由にモノを言
う「新聞記者の言論の自由」を守り
たい、との思いもある。私は、そん
な気持ちを局次長に伝え、「肩書き変
更」の意思はないと答えた。
 
 それから二ヵ月後、「曽我さん家族
インタビュー」記事をめぐって、「週
刊金曜日バッシング」が起きた。そ
の直後、部の次長から「こういう時
期だから、『金曜日』の記事は慎重に、
日朝問題にはなるべく触れないで」
と”自粛要請”された。私は、こう
いう時期だからこそ、「日本拉致記者
クラブ」と化した報道のありようを
問うべきだと考え、《「拉致」報道と
バッシング/翼賛メディアの報道統
制だ》(2002年12月13日付)を書いた。
数日後、部長から呼び出された。
 
 「金曜日のことですか」と聞くと、部
長は「いや違います」と答え、「単な
る人事」の話を始めた。だが、私の
担当業務は、誰かが簡単に代行でき
るものではない。(略)「これを
引き継ぐには最低でも半年以上の実
務経験が必要」と再検討を要請した。
その翌日、部長は前言を翻し、この
人事は「金曜日問題」をめぐる社上
層部の判断だと、私に「編集記者職」
から「営業渉外職」への変更を通告
した。業務に支障をきたしてでもや
らねばならぬ「対外向け」人事!
 
 私は10年前、「ロス疑惑」報道批
判と三浦和義さん支援に対する懲罰
人事で、取材部門をはずされ、記事
を書けなくなった。それは社内の問
題だったが、今度は違う。「苦情」と
いう形で圧力をかけてくる「関係者」
への屈服。この「関係者」がだれか
は想像に難くない。日本新聞協会の
新聞倫理綱領には、こうある。
新聞は公正な言論のために独立を
確保する。あらゆる勢力からの干渉
を排するとともに、利用されないよ
う自戒しなければならない
 
 
植民地支配への沈黙を問う  
  週間金曜日 2003年1月10日
 
 9・17日朝首脳会談から、まもな
く4ヶ月になる。この間ずっと私の
脳裡を一つの問いがめぐり続けてい
る。日本人・メディアは、なぜ植民
地支配の問題に沈黙を続けるのか?
その答えのいくつかを、昨年末、
都内で開かれた「植民地支配の責任
を問う!『9・17』を語り在日朝鮮
人の再生を目指してー12・14集会」
で、さまざまな発言から得た。「平壌
宣言」以降、在日の立場から発言・
行動している「2003年在日宣言
委員会」が主催した集会だ。
 
 最初の発言者、作家の金石範さ
んは30年前、強制連行による奴隷
炭鉱労働を描いた「糞と自由と」(作品
集『鴉の死』所収)で、私に植民地支配
とは何かを教えてくれた人だ。敬愛
する老作家は「過去の歴史をないも
のにしようとする動き」を指弾した。
「国交正常化は拉致問題のためでは
ない。植民地支配が終わった時点で
取り組むべきものだ。日本人は戦争
も、被害者の立場でしか考えてこな
かった。いつも、ひどい目にあった
と言うばかりで、加害の自覚を持っ
ていない。マスコミのやり方は歴史
を全部カットするものだ。過去のな
い日本なんてない。歴史健忘症でさ
えなく、意識的に忘れようとする歴
史抹殺だ。日本人は、いつのまに正
義のピュアな存在になったのか」
 
 社会学者の鄭瑛恵さん(大妻女子
大学)は、在日朝鮮人へのいやがら
せの背景にふれ、こう語った。
「日本政府は在日に対して何をして
きたのか。問題は植民地支配の清算
だけではすまない。私たちは今、
綻する日本社会のしわ寄せを受け、
そのスケープゴートにされている
関東大震災でも朝鮮人はスケープゴ
ートにされた。朝鮮人を殺さなけれ
ば自分が殺されると思った日本人が
いた。私たちは、国なき民としての生
き方を考えなければならない。9・
17以降、日本国籍を取ろうとする人
が増えているという。それでどんな
忠誠を誓わされるのか。在日同化政
策は、植民地支配を告発する人間を
なくしてしまおうとしている」
 
 作家の徐京植さんは、平壌宣言で
小泉首相が表明した「植民地支配へ
の反省」に疑問を投げかけた。
「たとえば3・1独立運動(1919
年)の後、1万人の朝鮮人にムチ
打ち刑が科せられた。我々は、その
痛みとともに生きている。また、た
とえば治安維持法によって、植民地
支配に抵抗した数千人の朝鮮人が弾
圧された。小泉首相は、本当にこれ
らを反省しているのか。いや、それ
以前に、日本人はこうした事実を知
っているのか。知ってもいないこと
を反省できるのか。小泉首相の反省
は空文句にすぎない。我々在日は、
日本がやったことを問い続ける生き
証人の役割を果たさねばならない」
 
 戦争を被害としてしか語らない。
メディアは歴史を抹殺する。閉塞し、
破綻する社会のスケープゴートを作
る。植民地支配の反省すべき事実す
ら知らない。それが、在日の人々の
目に映った私たち日本人の姿だ
 
 フロアの発言にも胸を衝かれた。
「私は、平壌宣言に在日の存在はな
いと感じた。私らはいったい何なの
か。自分の人生、親の人生、その苦
痛は何だったのか。言い分はいっぱ
いある。我々在日はこうである、と
いう主張を堂々と出していこう」(集
会を主催した男性メンバー)
 
 「日本は朝鮮の南北分断に加担し、
分断から利益を得た。自分たちが有
罪であると認識することなく、拉致
事件の背景も掘り下げず、北には血
の通った人間がいないかのような報
道ばかり繰り返すのは許されない」
(名古屋市から参加した若い男性)
 
 「私たち在日は、今も日本の植民地
支配から解放されていない。日本に
拉致されて来たまま。北も日本も似
たようなものだ。私は日本人拉致被
害者に、同じ立場の者として手紙を
書いた。権力の道具にされず、北と
の自由往来を両国政府に求めてはど
うかと」(川崎市の高齢の男性)
 
 「拉致、拉致、拉致。毎日の報道に
夜中、独り涙している。こんな日本
に、子どもや孫を住まわせなくては
ならない。だから、近くにいる日本
人一人一人に、本気で私自身のこと、
在日のことを話していこうと思って
いる」(町田市の高齢の女性)
 
 「見えない存在」にされてきた在日
朝鮮人を完全に抹殺する報道テロ。
「消えたチマチョゴリ」が象徴だ。
その在日の人々が「植民地支配の
清算は、私たちがやるしかない。南
北両政府にもメッセージを伝えてい
こう」(主催者)と、動き始めた。
それでもなお、日本人・マス・メ
ディアは、過去に沈黙を続けるか
 
 
 
残留と拉致
  坂本龍彦  週間金曜日 2002年12月20日
 
 当面、拉致被害者五人に祖国永住の
法的な基盤を作り、北朝鮮(朝鮮民主
主義人民共和国)の帰還要求を封じる
狙いもあって、今月4日(2002年12月)
拉致被害者支援法が国会で成立した。
永住帰国を前提とする拉致被害者や家族
の生活のために「支援法」は不可欠であ
ろう。
 
 同法について「北朝鮮による拉致被
害者家族連絡会」代表の横田滋さん
(70歳)は報道陣に「中国残留孤児に
対する支援金などに比べ、手厚い内容
だと思います」と語ったという。
 
 拉致被害者とその家族は夫婦で月額
24万円、単身者で17万円が5年間
支給されて額の見直しもある。中国残
留孤児支援法による帰国孤児への支援
金(自立支度金)は一回限りの支給で
16万余円だ。拉致被害者には拉致され
ていた24年間の国民年金保険料を国
が負担することにしているが、帰国孤
児が満額の国民年金を受け取るために
は1ヶ月6000円の追納保険料を支
払わなければならず、その額は百何十
万から最高288万円にも達する。
納保険料は年利5.5%を含む額だ。
ただ国民年金国庫負担分の三分の一
(月額2万2000円)を帰国孤児に
支給することにしており、「生活でき
なかったら生活保護で」という政府の
方針である。祖国での勤続年数が少な
帰国孤児の厚生年金はよくても月額
4〜5万円で2〜3万円やゼロの人も
多く「老後、食べて行けない」と国家
賠償を求める集団訴訟に踏み切った。
 
 さらに孤児二世(子)、三世(孫)の
帰国問題がある。拉致被害者の配偶者、
子、孫の帰国のために、国は最大限努
力する(支援法第3条)とされ、当然帰
国旅費も支給される。
 一方、中国残留孤児の場合、一世の
親は国費で帰国できるが二・三世の国
費帰国には制限があり、親は日本、子
は中国に別れて暮らすことによる家族
離散、家族崩壊が問題になっている。
 
 原告の一人である田中文治さん(61
歳)は帰国した86年には牡丹江市体
育学校の校長をしていた。帰国手続き
の際、当時25歳の長男は結婚してい
る、長女は20歳を超えている、と帰
国旅費は出なかった。帰国した田中さ
んは日本語を学ぶ日時もなく酒卸店で
重労働をして帰国旅費を稼ぎ出した。
昨年七月(2001年)定年。腰痛に悩む。
「食えないけれど中国訪問も自由にで
きない生活保護を受けるのはご免だ」
という。
 
 さらに国籍法で「女性帰国孤児が昭
和40(1965)年以前に出生した
子は母親が日本国籍を取得しても入籍
できない」と定められ、長男か長女は
中国国籍のままという状態がある。
 原告の和田玉恵さん(61歳)は日本
籍に就籍したが@長女は昭和40年以
前の生まれA長男は和田さんの就籍許
可から3ヵ月以内に人籍手続きをして
いない、という理由で日本籍が認めら
れない。中国籍のままだ。「中国残留孤
児二・三世の帰国や国籍取得を邪魔す
る政府は、拉致被害者.一世は本人の希
望のあるなしにかかわらず強く無条件
の帰国を求めている。拉致被害者の責
任は北朝鮮にあり、残留孤児の責任は
日本にある。なぜ差別されるのか」と
話す原告団の代表相談役・菅原幸助さ
んは「この支援法ができたことで、
国残留孤児への施策がいかに手薄いか、
かえってはっきりした」と言う。
(略)
 
 
翼賛メディアの報道統制だ  
  週間金曜日 2002年12月13日
 
 「9・17日朝首脳会談」から約三カ
月。日本のメディア全体が、一つの
巨大な記者クラブと化しつつある。
情報源から提供された情報を鵜呑
みにし、ただ無批判に流す横並び報
道。情報をもらうため、情報源の意
に沿わない取材や報道を回避する自
己規制。その仲間に加わらず、独自
の取材・報道をする者には、「協定破
り」として制裁を加える陰湿さ。そ
うして流される膨大な情報は、見事
に統制されて、「世論」を形成する。
 
 この三カ月間の日朝国交正常化交
渉をめぐる報道は、こんな日本独
特の記者クラブ報道の弊害をすべて
包含している。九月一七日以来、「粒
致問題一色」「北朝鮮バッシング」の
報道洪水は恐ろしいまでに画一化し
た。(略)
 
 この”記者クラブ”の情報源は、拉
致被害者の取材窓口となっている
「救う会」「家族会」と「拉致議連」、
それに安倍晋三・官房副長官や外務
省の「タカ派」だ。彼らは、拉致問
題報道で今や最も売れる「ニュース
商品」となった帰国被害者と被害者
家族の情報・映像を独占し、その
材対応を通して、主要メディアをほ
ぼ完全にコントロールしている。
 
 メディアの側は、彼らの機嫌を損
ねて情報をもらえなくなるのを恐れ、
警察報道と同じパターンで、「救う会」
や政府・外務省の見解を、無条件・
無批判に流し続ける。中には、伝聞
情報も少なからずあるのに、メディ
アは何の留保もつけず、「○○さんは
こう言った」と拉致被害者から直接
取材したかのように報じている。
(略)
 私はむしろ、「金曜日バッシング」
というメディア現象を問題にしたい。
この現象が今、日本のメディアが陥
っている危機を象徴しているからだ。
メディア自身による報道統制である。
日朝交渉をめぐる報道では、「救う
会」や政府の決めた方向以外の取
材・報道はしない、という「暗黙の
報道協定」が結ばれていると思われ
る。その状況証拠を挙げてみよう。
 
 たとえば、政府が拉致被害者五人
「永住帰国」に切り換えた問題。
外交上の約束を一方的に破棄する重
大な方針転換なのに、なぜメディア
から疑問が出ないのか、異論が報じ
られないのか。「永住帰国」が家族の
希望だとしても、それは一種の賭け
にも似たリスクの大きい選択だ。
帰国した被害者が朝鮮に残してき
た家族と再び会えなくなる恐れはな
いのか。政府間の約束を反故にした
結果、ほかにもいる可能性のある拉
致被害者を、朝鮮側が今後、帰国さ
せなくなる恐れはないのか。拉致問
題に限っても、そんな当然の疑問の
声が、封じられている。そればかり
か、ようやく開いた日朝交渉の扉が、
再び閉じられる恐れさえある。
 
 もう1つ挙げよう。「9・17」以降、
全国で多発する在日コリアン、とり
わけ子どもたちに対する暴行・脅迫。
それが、なぜ報道されないのか。こ
れこそまさに重大な人権侵害であり、
理不尽なテロだ。その実態を報道す
ると、「北朝鮮を利することになる」
とでもいうのだろうか。
 
 タブーを排した多様な報道・言論
は、ものごとを民主主義的に解決し
ていく基本のキだ。現在の日本は、
メディアがあげつらう「言論の自由
のない北」と、どれほど違うのか。『金
曜日』バッシングは、「暗黙の協定」
を拒絶し、ジャーナリズム本来の役
割を果たす者へのねじれた嫉妬、見
せしめ懲罰だったと、私は思う。
それに便乗して『金曜日』報道を
非難した小泉首相や福田官房長官の
発言は、報道への露骨な権力介入だ。
それを嬉々として伝えるメディアに
は、もはや「法規制」の必要もない
と、首相らは思ったのではないか。
(略)
 
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日本人拉致と朝鮮人強制連行
重なり合う怒りと悲しみ       
 
多くのマスコミは、「平壌宣言」に謳われた日本による
植民地支配の清算に関心を示さない。
だが、朝鮮人強制連行というもう一つの「拉致事件」は、
いまだ解決していない。
 
週間金曜日、2002年11月1日号  伊藤孝司氏
 
 日本人拉致被害者五人の羽田空
港での肉親との再会のようすをテ
レビで見ていて、ある光景を思い
出した。1980年代末から90年
代初めにかけて、サハリン(かって
の樺太)と韓国の空港で繰り広げ
られた「朝鮮人拉致被害者」と家
族たちの再会場面である。
 
白昼堂々と拉致され朝鮮人たち
 
ベリヨンゴン
喪龍権さん(一九二〇年生ま
れ)は、妻と息子がいた兄の代わ
りとして、サハリンの炭鉱へ連行
された。
「腹が減ってたまらないので、朝
食の時に昼の弁当まで食べたんで
す。それがばれないように弁当箱
へ石炭を詰めたんですが、見つか
るとひどく殴られました。約束の
二年間が過ぎた時、帰らせてほし
いと言った人はタコ部屋へ送られ、
より過酷な労働をさせられました」
 
 日本によってサハリンヘ強制連
行された朝鮮人は約六万人。厳し
い自然環境の中で、炭鉱などで過
酷な労働を強要された。日本の敗
戦時、サハリンにいた朝鮮人は約
4万3000人で、日本人は40
万人近く。その日本人は、日本政
府がソ連政府と積極的に交渉した
ため次々と帰国できた。だが朝鮮
人たちは置き去りにされ、望郷の
念を抱きながら次々と亡くなって
いった(注1)。
 
 89年になり、サハリンで暮ら
す朝鮮人の韓国への一時帰国と、
韓国の家族によるサハリン訪問が
可能になった。菱さんはその年の
二月に里帰りをし、空港で肉親と
半世紀ぶりの再会をした。これ以
降、韓国とサハリンの空港で感動
的な再会が繰り返されたのである。
 
 日本政府はサハリンの朝鮮人に
対し、5000人以上を一時帰国
させ、永住帰国者1000人が入
居できるアパートを韓国に建設し
た。だが、強制連行と半世紀もの
置き去りによって、朝鮮人たちの
人生を翻弄したことに対する補償
はしていない。
 
 菱さんのように労働者として連
行された男性たちは、家族に危害
を加えられるのを恐れて仕方なく
従った。日本軍の性奴隷(日本軍
「慰安婦」)にされた女性たちの多
くは、「工場の仕事」とだまされ
て「慰安所」へ送られた。本人の意
思に反しての連行であり「拉致」
である。.
 
 シムクルリヨン
 沈達蓮さん(1927年生ま
れ)のように暴力的に連れ去られ
た人もいる。
 「1941年のことです。食料の
足しにするため、姉と一緒に自宅
近くでヨモギを摘んでいました。
すると後ろから忍び寄ってきた兵
隊たちに腕を突然つかまれ、幌を
かぶせたトラックに押し込まれた
んです。荷台には何人かの女性が
すでにいました。姉の行方はこの
時以来わかりません」
 沈さんは、日本軍の性奴隷とし
て台湾へ運行された。「慰安所」で
受けた過酷な体験により、自分の
過去を部分的にしか覚えていない。
日本軍によって記憶まで奪われた
のだ(注2)。
 
 9月17日の日朝首脳会談で朝
鮮民主主義人民共和国(朝鮮)に
よる日本人拉致が明らかになった。
東西冷戦下で、韓国と軍事的に厳
しく対峙する中で起こした過ちで
あるが、いかなる言い訳も許され
ない行為だ。しかし日本のマスコ
ミは、会談の合意事項である日本
による植民地支配への謝罪と補償
については取り上げようとしない
日本人の拉致事件を厳しく追及す
るのと同様に、日本が約60年前
に朝鮮で行なった「朝鮮人拉致事
件」にも目を向けるべきだ。
 
 日本が朝鮮植民地支配で強制連
行した朝鮮人の数を見てみよう。
労働者として鉱山や軍需工場・発
電所・飛行場などの建設現場へ連
されたのは、厚生省勤労局が米
軍戦略爆撃調査団に提出した報告
書によると66万7684四人、
蔵省管理局編の「日本人の海外活
動に関する歴史的調査」では72
万4787人。朝鮮人強制連行の
   パクキヨンシク
研究者・朴慶植氏は112万8
032人(『日本帝国主義の朝鮮
支配(下)』)としている。また同
氏は、朝鮮内の建設工事などに約
480万人が連行されたとする。
 
 軍人・軍属として召集された朝
鮮人たちは、厚生省が発表した数
字では、軍人11万6294人、
軍属12万6047人で、そのう
ちの2万1919人が戦死。『在日
本朝鮮人の概要(前編)』(公安調
査庁)によれば、軍人・軍属の合計
は36万4186人となっている。
 
 日本軍が性奴隷にした女性の数
について日本政府は公表していな
い。民間においては、8万人(『従軍
慰安婦」千田夏光)、17万〜20
万人(『天皇の軍隊と朝鮮人慰安
キムイルミヨン
厘金一勉)という数字がある。45
年に海外にいた日本兵は約351
万人で、業者が適切としていた
将兵29人に「慰安婦」一人とい
う割合で計算すると約12万人。
女性たちが病死したり制裁で死亡
したりすると補充していたので、
それを加えると20万人近い可能
性もある。その多くが朝鮮人女性
だったのである。
 
 このように、日本によって強制
連行された朝鮮人は膨大な数にな
る。彼らは一切の自由を奪われ、
「消耗品」として扱われ、奴隷労働
を強要された。その結果、多くの
朝鮮人が死亡した。
 
 朝鮮植民地支配が終結して57
年が過ぎた今でも、挙国一致で日
本が行なった国家犯罪である「朝
鮮人拉致事件」はまだ解決してい
ないのだ。
 
 日本人拉致被害者の家族と、朝
鮮人強制連行の被害者家族の思い
は同じはずだ。・・・
 
 日朝両政府ともに過去の清算を
 
 日本人拉致被害者とその家族に
は思いを寄せても、他民族へ与え
た大規模で残忍な拉致被害につい
ては関心を示さない日本拉致さ
れた被害者とその家族の怒り、悲
しみ、苦しみを知った日本は、朝
鮮人に与えた被害の深刻さにも思
いを馳せるべきだ。サハリンヘと
強制連行された朝鮮人たちが肉親
との再会で流した涙。それは日本
人拉致被害者が流した涙と違わな
いのである。
 
 日本と朝鮮の政府は、共に「過去
の清算」をする必要がある。朝鮮政
府は日本人拉致についての完全な
解決。事実関係の調査・公表、責
任者の処罰、再発防止策の実施、
そして被害者への補償である。
本政府は朝鮮人へ行なった強制連
行の実態調査と被害者への補償の
実施だ。日本人拉致に対し朝鮮政
府が誠実に対応し被害者への補償
を行なえば、日本政府は朝鮮人被
害者に補償をしない理由を失う。
 
 また、韓国、中国、フィリピンな
どの被害者たちから、日本の政府
と企業を相手にした数十件もの補
償要求裁判が起こされていること
をみれば、政府間での決着だけで
「過去の清算」が終わらないのは明
らかだ。朝鮮に対して、経済協力と
は別に被害者個人への補償を行な
うべきだ。でなければ将来、朝鮮の
被害者やその遺族たちも日本政府
に補償要求をするといった事態に
なるだろう。
 
 朝鮮へ誠意をもって「過去の清
算」を行なうことは、朝鮮だけで
なく日本がかつて侵略したアジア
諸国との信頼と友好を築くために
も必要だ。
(注1)サハリンに強制連行された朝鮮人
については、拙著「樺太棄民」(ほるぷ出
版)に詳しい。
(注2)「週刊金曜旦170号(1997年5
月16日)に、拙稿「奪われた記憶を求め
て」として拉致現場を確認した時のようす
を掲載している。
===================
いとうたかし・1952年生まれ。フォ
トジャーナリスト。近書に「続 平壌からの告発』
(風媒社)「アジアの戦争被害者ち」(草の根出版会)など。
 
 
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拉致一色」報道が隠す
 日本側の侵略責任
   週間金曜日、9月27日号
     山口政紀氏(「人権と報道・連絡会」世話人)
 
・・・・・・
17日の首脳会談で、朝鮮民主主義
人民共和国(以下、朝鮮)の金正日総
書記が「拉致八人死亡・五人生存」
を認め、謝罪した。同日午後以降の
テレビ、新聞報道は、拉致問題での
朝鮮断罪一色に塗りつぶされた。
・・・・・・・
 
 一連の報道は、昨年の「9・11」
後の米国メディアを想起させる。
被害の無残さに目を奪われ、背景
にある問題や歴史的経過を冷静に
伝えるジャーナリズムの使命を忘
れて「報復感情」を煽る報道。
 
 「テロ国家」「無法者の国」「危険
な国」「異常な国」。18日以降の
各紙社説が朝鮮に対して使った表
現だ。そして≪この国を「普通の
国」へ誘導していくことが隣国で
ある日本の責任≫(18日付『毎日』
政治部長署名原稿)、≪普通の国に
変わるよう、国交交渉を通じて促
していく必要がある≫(二〇日付『朝
日』社説)という。
 
 なんと傲慢で尊大な物言いか。
かつて、韓国を侵略や内乱から保
ると称して「保護国」化し、併合
した初代韓国総監・伊藤博文の「保
護者気取り」を思い出す。
 
 隣国を侵略・植民地化し、土地
を奪い、名前を奪い、言葉を奪い、
郷里を奪い、抵抗する者は殺し、
男は徴用工や皇軍兵士に、女は「慰
安婦」として強制連行=拉致した
うえ戦場を連れ回し、おびただし
い命を奪いながら、敗戦後五七年
間、謝罪も賠償もしてこなかった。
そんな日本は「普通の国」か。
 
 朝鮮が閉鎖的・独裁的軍事国家
の道を歩み、ついにはテロ・拉致
に手を染めるに至った戦後史にも、
日本は責任がないとは言えない。
朝鮮半島の北緯三八度線分断
は、日本軍の作戦配置にそった米
ソ両国の占領に由来する。38度.
線は米ソ冷戦の最前線となり、19
48年には南北分断政権が成立。
以来、日本は米国の冷戦政策に追
従して朝鮮敵視政策を取り続けた。
 
 1950年の朝鮮戦争では、日
本は米軍の兵站基地となり、「朝鮮
特需」で経済復興を実現。さらに
自衛隊を創設し、米日韓による「対
化車事包囲網」を構築した。
 
 サンフランシスコ講和条約で主
権を回復した日本は1952年、
日韓国交正常化交渉に着手した。
この時点で植民地支配を謝罪し、
過去を清算する相手は、南北二つ
の政権だったのに、「北」は無視、
敵視したまま。そうして1965
年に締結した日韓基本条約で、韓国を
「朝鮮にある唯一の合法的な
政府」とし、分断を固定化した
日本が戦後一貫して取ってきた
朝鮮敵視政策と米日韓の軍事包
里。それ抜きに、朝鮮の「軍事独裁
国家」化やミサイル開発などの
軍事戦略を語ることはできない。
拉致事件が、その延長線上で起き
た暴走であるとすれば、日本はた
だ朝鮮を非難するだけではすまな
い。
 
「日韓方式」への疑問
 
 首脳会談報道のもう一つの大き
な問題は、「日韓方式による過去の
清算」への評価だ。18日付『読
売』社説は、≪北朝鮮がこれまで固
執してきた「補償」については、
いわゆる経済協力方式を軸に検討
することで一致した。(中略)日本
の主張が通ったと言えよう≫と述
べた。22日付『朝日』社説も、≪小
泉首相のおわびを受けて北朝鮮が
従来の賠償要求を取り下げ、日韓
条約と同じ経済協力方式で妥協し
た。金額などはこれからだ。ほぼ
満点である≫と称賛した。
 
 日韓方式は、そんな立派なもの
だったのか。・・・・・
65年には高杉晋一首席が「日本
は朝鮮をより豊かにするために支
配した」などと発言。金東詐・駐
日韓国大使は韓国内の反発を恐
れ、この妄言をなかったことにす
る「偽装劇を演出」(金東酢著『韓
日の和解』サイマル出版会)した。
 
 1961年の軍事クーデターで
政権についた朴大統領が、日本側
妄言を隠してまで妥結を急い
だ日韓基本条約と日韓請求権及び
経済協力協定。そこには植民地支
配に関する謝罪の言葉はなく、無
償三億ドル・有償二億ドルの供与
で両国間の請求権問題が「完全か
つ最終的に解決された」とした。
 
 五億ドル供与といっても、日本
の生産物と役務による支払いだ。
「経済協力」は、日本の資本にと
ってはリスクのないヒモつきビジ
ネス、朴政権には日本企業からの
リベートも含め、軍事独裁政権を
支える政治資金の源泉となった。
 
 90年代、韓国の元「慰安婦」
や徴兵・徴用の被害者が次々起こ
した賠償請求訴訟で、日本政府は
この日韓基本条約を盾にし、「すべ
て解決済み」と賠償を拒んだ。「日
韓方式」は、日本にとって実に
都合のいい戦後処理方式だった。
 
 これを日朝交渉でも受け入れさ
せたのは、侵略責任をとろうとし
ない日本政府にとって「百点満点」
だったろう。それでさえ『読売』
は、≪北朝鮮が軍事独裁国家である
限り、経済協力などできるもので
はない≫(18日付政治部長署名記
事)と言う。朴政権は「軍事独裁
政権」ではなかったのか。
 
 朝鮮でも1992年以来、日本
軍の性奴隷にされた元「慰安婦」
被害者218人が名乗り出てい
る。そのうち96人は、居住地や
旅行中に拉致されたと証言した
(百本軍性奴隷制を裁くー2000年
女性国際戦犯法廷の記録』
第3巻/緑風出版)。日韓交渉の
時には表面化していなかった「慰
安婦」問題が、すでに国連でも問
題になっている。今後の日朝交渉
でも、これを無視し、「経済協力」
で「解決済み」にするのだろうか。
 
 21日付『読売』は、≪北朝鮮に
賠償請求へ≫の見出しで、政府が
拉致事件について、被害者への賠
償、犯人引き渡しなどを要求する
方針を固めた、と報じた。
 
 被害者や家族の思いを考えれば
当然の要求だと思う。ただし、日本政
府は、かつての「朝鮮人拉致」
にも同じ対応を取る必要がある
元「慰安婦」、元軍人・軍属の
戦死傷者、被爆者、強制徴用など
被害実態調査と被害者・遺族へ
の個別賠償、それらの犯人・責任
者の調査と処罰。それを韓国・朝
鮮の全域で実施する責任が、日本
政府と、私たち日本人にはある。
 
 19日付『東京』のコラム「筆
洗」は、朝鮮の新聞が「拉致」を
報じないことを批判し、≪要するに
知らされない。厳しい情報統制の
下に人々は暮らしている≫と書い
た。日本のメディアは、未清算の
過去を「知らせている」か
 
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能登沖不審船」報道
  欠落した「公正・冷静・反省」
   週間金曜日、9月20日号
     山口政紀氏(「人権と報道・連絡会」世話人)
 
 まずは以下の見出しを読んでほし
い。九月五日付朝刊各紙の報道だ。
<能登半島沖に不審船/護衛艦・巡
視船挺が監視/排他水域外>=『朝日
新聞』
<能登沖に不審船/16隻派遣/追
跡・監視/政府「経済水域外」>=
『読売新聞』
<能登沖/公海上に不審船/海自・
海保/監視活動/朝鮮半島方向へ>
=『毎日新聞』
<能登半島沖に不審船/公海上北
朝鮮工作船と酷似>=『産経新聞』
<日本海に不審船/能登沖400
キロ/北朝鮮工作船と酷似/巡視船
15隻出動》=『東京新聞』
 
 どの新聞も、「能登沖」または「能
登半島沖」で「不審船発見」と報じ
た。しかし、各紙に掲載された地図
を見ると、「発見現場」は日本海の
ほぼ真ん中。日本より、ロシアまた
は朝鮮民主主義人民共和国(以下、
朝鮮)の方が近い。詳しい地図で見
ると、ロシアの「ナホトカ沖」また
は朝鮮の「清津沖」に当たる。
 
 日本の新聞は「客観報道主義」を
自認する。だが、辛うじて「客観報
道」の名に値するのは、「東京」の「日
本海・能登沖400キロ」ぐらいか。
 他は、現場が能登半島の近辺である
かのように読者に印象づける「非客
観報道」というべきだろう。
 
 次に「不審船」はどうか。日本政
府がこれまで「不審船」としてきた
のは、日本や中国の漁船名を付けて
他国船籍を偽装したと見られる「無
国籍船」だ。これは海洋法条約違反
に当たるとして、海上保安庁は公海
上であっても日本の排他的経済水域
内であれば、日本の漁業法に基づき、
立ち入り検査などを求めてきた。
 
 しかし、今回の「不審船」には、
煙突に朝鮮国旗が描かれ、所属港を
示す朝鮮の都市名、船籍番号も船体
に記されていた(その写真が公表さ
れたのは五日午後だが、海上自衛隊
機は四日夕、この船をデジタルカメ
ラで撮影しており、防衛庁幹部は四
日夜の段階で知っていたはずだ)。
 
 つまり、この船は国籍も船名も明
示して公海上を航行していたのであ
り、「不審船」には該当しなかった
 
 それが、なぜ各紙一斉の「能登半
島沖に不審船」報道になったのか。
原因は単純。政府発表を、そのまま
客観的事実として報道したからだ。
 
 日本めエセ「客観報道」の悪弊。
官庁や警察が発表したことを、その
まま報道するのが「客観報道」だと
誤解している。しかも「○○がこう
発表した」と客観的に書かず、発表
された内容を、まるで自ら確認した
客観的事実のように報じる。・・・
 
 船の写真が公表された後、『朝日』
『毎日』『東京』の「不審船」報道は
沈静した。・・・
 
 ところが、第一報を一面トップで
大扱いした『読売』『産経』は、振り
上げたオノを正当化するためか、六
日付でさらに<不審船経済水域に
いた>=『読売』、<経済水域に侵入不
審船>=『産経』と報じた。
 
 だが、排他的経済水域といっても、
海洋資源の管轄権があるだけ。本来
は公海であり、その航行は自由だ。
『読売』『産経』は、排他的経済水域
を「領海」並に格上げしてまで、
者の「反北朝鮮感情」を煽った
 
 ナショナリズムの怖さ、それを煽
る報道の危険性は、「9・11」後の米
国を見るまでもない。かつて日本の
新聞は、日本軍が引き起こした柳条
湖事件や廬溝橋事件を、「暴戻支那に
よる排日侮日攻撃」とねじ曲げ、反
中国感情と中国侵略を煽った。その
反省が日本のメディアにはない。
 
<新聞は歴史の記録者であり、記者
の任務は真実の追究である。報道は
正確かつ公正でなければならず、記
者個人の立場や信条に左右されては
ならない>(新聞倫理綱領)
 
 今回の「不審船」騒動に限らず、
朝鮮をめぐる新聞報道は、この綱領
を大きく逸脱している。日本の新聞
には正確さ、公正さ、冷静さを欠い
た<排地的報道領域>が存在する。
 
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