マナティに会いに行く(97年夏)
-その1-


「どうしてマナティが好きなの?」
とは、日本人にもアメリカ人にもよく聞かれた質問である。
その都度、「小さい頃にテレビで泳いでいるマナティを見て、平和でいいなと思ったの」
と答えている。
これは確かに本当なのだが、そのあとにいつも恥ずかしくて(?)飲み込むことばがある。
「その時、なつかしい気持ちになって涙がでたんです」
実際、そのテレビ放映がいつだったのか、どんな内容だったのかは殆ど覚えていないのだが、
マナティというユーモラスな動物の姿と名前は、わたしの記憶の中にしっかりと根を
下ろしたのだった。

マナティ。
日本人にはあまりなじみのない動物だ。
東洋ではジュゴン、西洋ではマナティ、というように一般には知られているらしい。
なぜわたしがジュゴンでなくマナティにこだわるようになったのかも、よくはわからない。
しかし、いつの頃からか決めたことがあった。
自分の心が疲れてしまったとき、自分がすり減ってしまったと感じたとき、彼らに会いに
行こう、と。

97年夏、わたしは大学3回生であった。
96年の夏は、以前から行きたいと思っていたドイツに2ヶ月滞在して、ドイツ語を学んで
きた。
とても充実した2ヶ月を過ごし、帰国したわけだが、このドイツ行きとその後97年春に
「消費税3パーセントのうちに」とパソコンを購入したこととで、わたしの大学に入って
からためた貯金はほぼ底をついていた。
そんな理由もあって、5月ぐらいまでは「今年の夏は遠出せずに家でのんびりしておこう」
「久しぶりに横浜(中2まで住んでいた)の友達にでも会いに行くかー」などと考えていた。
しかし、ずっと心にかかっていたことがあった。
来年は就職活動。その後はおそらく社会人生活を送るわけで、今のように時間が自由になる
ことは、これから何年、何十年の間ないかもしれない。
「彼ら」に会いに行きたい。
幼い頃から何となくずっと考えていたことが、急に現実味を帯びてきた。

アメリカに行ってマナティに会おうとした場合、絶対に必要になるのが車だ。
フロリダでは電車やバスなどの公共交通機関は発達しているとはいえず、どこへ行くにも
必ず車での移動となる。
アメリカでレンタカーが借りられるのは大体25歳以上からで、しかもわたしは運転免許
自体持っていない。
マナティに会うためには、誰かに連れていって貰うしかないのだ。
わたしは、フロリダに滞在する留学やホームステイのプログラムを探した。
ツアー、という手は考えなかった。どうせ行くのならば英語も勉強したかったし、何より
フロリダという土地に知り合いや友だちを作っておきたかったのだ。少々打算的ではある
が、知り合いがいれば今後また訪れることもしやすくなる。
夏の間野生のマナティはフロリダ半島周辺の浅い海域や、さらに北上した海域に暮らす。
そして冬になって水温が下がると、暖かい湧き水を求めてフロリダの川や泉に集まって
くる。
よって、夏の間野生のマナティを見るチャンスは少ない。
夏に確実にマナティに会おうとするなら、水族館や公園内で飼育、または保護されている
ところを見に行くしかない。
フロリダでマナティが見られる有名な施設といえば、オーランドのシーワールドだ。
シーワールド訪問をアクティビティに組み込んでいるプログラムを探しているうちに、
大学である広告を見かけた。
「フロリダとアトランタで国境を越えた友を作ろう!」
その広告を手に、「HOMESTAY INTERNATIONAL」へ問い合わせの電話をかけたとき、カレン
ダーはすでに6月だった。
将来の嫁入り資金を崩してもらって親に費用を借金(というのが情けないが仕方ない)した
わたしは、とうとうフロリダへ行くことになったのだ。

7月25日。
オーランドの空港に着いたのは、もう夜も10時近かった。
同じ関西国際空港出発の9人の同行者とともに、どきどきしながらホストファミリーたちの
待つ場所へと歩いていった。
ホストマザーのバーバラ(Barbara)はわたしをすぐに見つけてくれた。
「送ってくれた写真と同じ顔してたから、一目で分かったよ」
「マナティに会いたいんだってね?」
などと話しかけてくれて、気さくな彼女の様子にわたしの緊張も少し緩んだ。
バーバラは中学校でコンピュータを教えている。
彼女の娘さんは横浜で英語を教えているそうだ。
だんなさんはいない。
オーランドでのバーバラと2人の生活が始まった。

バーバラとその友だちのトムと一緒に過ごした週末があけると、すぐにシーワールド行きの
アクティビティが待っていた。
わたしの今回のアメリカ滞在、最大の目的だ。
そのわりには到着4日後であっというまなので、あと3週間半の滞在はおまけか?などと考えて
しまう。
プログラムの主催者ウォーレン夫妻に「早苗はずっとマナティのところにいるんでしょう」
などとからかわれながら大型のワゴン車に乗り込む。
(ウォーレン夫妻は英語も日本語もぺらぺらである。奥さんのユカリさんは日本人だし)
日本人13人と何人かのアメリカ人を乗せ、車はシーワールドに到着した。
シーワールド入り口
まずショーを見てから各コーナーをまわった方がいいと
アドバイスされ、有名なシャチのショー、アシカやトドの
ショー、イルカのショーなどを見た。
シーワールドは単なる水族館というのではなく、いわゆる
アミューズメントパークである。
夏休みということもあり、世界中から人が集まっていると
いう印象だった。
イルカのショーの前に、始まるまでに時間があるというので、
近くにあったマナティのコーナーを見に行くことになった。
とうとうご対面である。
果たして彼らはそこにいた。

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