マッキー レコード

Johnny Winter について

ジョニー・ウィンターを始めて聴いたのは、高校生の頃です。当時、ローリング・ストーンズやフェイセス、ジミ・ヘンドリックス、ジャニス・ジョプリン、クリーム、なんかを聞いていた頃、自然な流れで聴きましたね。コアなブルースよりも、ブルースに影響を受けた音楽をよく聴いていた頃です。ジョニー・ウィンターを聴いて、ブルースってカッコイイなあと思いましたね。たしか、ブルースの紹介本とかにはあまり紹介されていなくて、「白人の音楽はブルースとしては扱われないのかなあ」と、漠然と思っていました。でも、カッコイイものはカッコイイんですよね。今、改めて聴きなおすと、ブルースそのものじゃん!と思ってしまいますし。スティービー・レイヴォーン、ジミー・ヴォーン、ジョン・メイオールなんかも好きなんですが、ブルースとかロックとかジャンルじゃなくて、カッコイイ音楽だと感じる事が先ですよね。確かに黒人しか出せない音、表現、声、感覚というものもありますので、黒人の音は大好きです。でも白人にしか出せない音もあるんですよねえ。と、そんなことを考えながら聴いていた時期もありました。今思うと、大袈裟なんですが音楽の聴き方を教えてくれた人かなあ。なんて思ったりしています。

Biography

1944年2月23日テキサス州バーモントで生まれる。生まれつきのアルビノというハンディを持ちながらも音楽好きな両親のもとで弟エドガー (彼もジョニーと同じくアルビノ。この人もカッコイイアルバム出しています)とともに幼い頃から楽器に親しむ。
11歳の頃、ギターを手に。ハイスクール時代にはエドガーと共にバンドを組み、南部のクラブを廻るが、大学進学のために音楽から離れる。しかし、どうしても音楽を捨てきれなかった彼は大学を中退、再びローカル・バンドに参加しクラブまわりなどの活動を始める。

'68年12月、「ローリング・ストーン」誌に「大胆でつかみどころのない凄いプレイをするブルースギタリスト」として紹介され、これがきっかけとなり翌年'69年にメジャーレーベルCBSコロンビアと契約。この契約ではCBSとRCAとの間で壮烈な獲得合戦があり、最終的にCBSが提示した契約金が100万ドルであったことから、「100万$のブルース・ギタリスト」というキャッチ・フレーズが生まれる。
69年、「JOHNNY WINTER」でデビュー。ブルースファンのみならず、ロックファンにも多大な衝撃を与え、デビュー・アルバムにして全米24位のヒット。一気に人気者に。

70年にはマッコイズのリック・デリンジャー等と「ジョニー・ウィンター・アンド」を結成。71年「ジョニー・ウィンター・アンド・ライヴ 」という名盤を発表。この頃からハードな仕事のせいもあってドラッグ漬けに。入院してしまいます。

73年に復帰。カムバック作「スティル・アライヴ・アンド・ウェル」 など数枚のアルバムをリリースするも、あまり注目されず。。。
76年 「CAPTURED LIVE 」、エドガーと競演した唯一のライヴ盤「TOGETHER 」 を続けてリリース。両方ともカッコイイですよ〜。さすがにこれで復活。

77年自らのレーベル"ブルー・スカイ"を立ち上げ名作「NOTHIN' BUT THE BLUES」リリース。ちなみにこのアルバム、ブルース一筋の道を歩むという宣言でした。同77年にマディ・ウォータースの「HARD AGAIN」をプロデュース、ブルー・スカイからリリース。
80年「RAISIN' CAIN」を最後にブルー・スカイを離れる

84年アリゲーターから「GUITAR SLINGER」、85年「SERIOUS BUSINESS」、86年「3rd DEGREE」(こいつも名盤ですよ)の3枚を発表。

88年にMCAに移籍し、「THE WINTER OF '88」を発表。この1枚を残しMCAを去る。
90年に「LET ME IN」をポイント・ブランクから発表。
92年には弟エドガーがゲストとして迎えられた「"HEY, WHERE'S YOUR BROTHER?」 98年には久々のライヴ盤「LIVE IN NYC '97」を発表。

日本公演はいまだ実現せず。一度はライブを見たい!という人が沢山います。なんとかならないですかねえ。本国へ行ければいいのですが、なかなかねえ。。。

Lightnin' Hopkins

オフィシャルHPなんですが、作りかけ?


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