12 行事と植物

  松 正月の松飾り

「一夜松はいけない」と言われ、暮れのうち早めに伐ってくる。本数は、家々に伝わっている数であるが、一般的には、大松(玄関用一対)である。また大きさは、一般の家庭で三蓋松(枝の数が三段)を立てえる。特別の家では、玄関に向かって左に四蓋松、右に三蓋松、また、五蓋松と四蓋松を立てる。「くぐり松」といって、玄関へ入るのに、しめ縄をくぐるように松を立てる家と、玄関前に入口に向けて松を立てる家がある。また、不幸のあった家では、松だけ立てて、しめ縄をしない等の風習もある。松飾りを立てる杭も松で作る。木を違えるとキチガイになるといってきらわれる。

 

     かどぱやし−正月の松飾りの一つ−

 一蓋松に、シデをつけて、井戸、物置、便所、うす、蔵、牛や馬や、小屋、戸口等に飾る。また、墓にも飾る。

墓全体で一本にするか、石塔一つに一本ずつにするか、家々によって違う。松の代わりにソヨゴを使う家もある。

 

 ソヨゴ

 松といっしょに、赤実の付いたものを選んで山から迎えてきて、松飾りに添えて飾る。松だけで飾る家ど、ソヨゴを添えて飾る家の割合は、山口村では六対四ぐらいである。ソヨゴの代わりに竹を添える家もある。光西寺では、正面玄関に竹を添えて、しめ縄の代わりに竹の棒でくぐりにして、松飾りをする。かどぱやしで、松の代わりにソヨゴを使う。また、しめ縄のシデや藁の間に七つほど入れる。また、地ならし、建前などの神事の時、榊の代わりに、ソヨゴにシデを付けておはらい用に使う。

 

 

 松館りの添えどして、ソヨゴの代わりに使う家もある。正月の御神酒の口とりとして、トックリの先に竹の葉をさして、神棚に供える。これを「オミキスズ」と言う。一月四日左儀長の時、芯柱どして真竹の直径一○ab以上のものを使う。また、その上の御幣をささえる棒としても使う。一月一五日の飾りとして、松飾りのあとの杭に大きな竹を二本玄関に向けてはわせる。そこへ、ホソダル(ヌルデ)の三○abの木を稲穂の様につけて飾る。また、竹の枝の葉をすっかり取ったものに、切り餅を付けて、花餅として、おおぺ様(大黒・恵比寿)、神棚等に飾る。また、比較的大きなものを、マユダマを付けた木とともに、角桶に入れた米にさして立てる。鬼の手や節分の時のクシの材料として竹を使う。七月七日、七夕の時、竹に願いごとを書いた短冊を付けて飾る。七月二○日、祭りの為

に長さ一bほどの竹を割って、はしくらいの太さにしたものに造花をつける。それを、七月二六日、二七日の祭りの当日の花馬として、馬の背に飾る。祭りの後にそれを持ち掃って、田のあぜ等に飾る、祭りの次の日、おくり神といって、竹のうらを止めて、枝三段にした細い竹に、五色の短冊を付けたり、「こくぞ虫」「はえ」「のみ」等を付けたりして、お宮に奉納し、おまいりした後、木曽川に流した。

 

   わら (藁)

 注連縄(オシメナワとも言う)は一対の松飾りの間、床の間、御棚(床の前に諸々の神を祭るための棚)勝手場・水道・物置・うす等に飾る。ワラ三本を出したものを五つとシテ(紙)三つ、ソヨゴの枝七つで作るもの、ワラ三つ、シテ三つ、ソヨゴ三つで作るもの等ある。また、松飾りの根元には「オヤス」と言って、藁で作った入れ物みたいなものを付ける・平穏無事を祈って付けるどが、神様に飯を供える容器として付ける等と言われているが、その意味はよくわからない。恵比寿、大黒の棚には、特に大きく作ったシメ縄を「タイ」と言って、鯛を形作って飾った。それには、シテ・ワラ・ソヨゴを、三・三・三ど付ける。

 

  稲(苗のうち)

 昔は、六月二二日を中心に(田植えの真ん中の日)田植えをした。その中で一番大きい田(おおぜまち)を植える時、田の神を祝った。稲苗を三把、それぞれに緑のススキを立てて、庭に置いて、稲苗の上にごちそうを載せて田の神に供えた。稲が生長して、ススキのように大きくなるようにと願いが込められている。また、田植えが全部終わると、「しりあらい」といって、稲苗の古いもみを取って、小さな稲苗の把を三つ作り、恵比寿・大黒様に供えた。

古いもみがらが付いていると、もめごとがあるとか、無礼になるとか言われている。稲苗の把を作る仕事は嫁の仕事とされている。

 

   七草

 一月七日、七日正月として七草がゆを食ぺる。七草がゆは、春菜・ニンジン・ゴボウ等、その時入れられる野菜を適当に入れて作り、松飾りの杭の上にも供える。また、六日の年とりには、沢カニを御棚(諸々の神)にささげた・沢ガニはどちらもはいでいけるので、どちらにでもはいでいけるようにという願いがこめられている。七日の晩には、あじ飯をたいて、つぱぎの葉とようじで作った小さな器に入れて辻に供えた(春の七草といわれるものは、セサ・ナズナ・ゴギョウ・ハコベ・ホトケノザ・スズナ・スズシロである)。

 

   ヌルデ 

 一月一五日、小正月(農家だけ)の木として、一月七日に山に採りに行く。これを著木迎えと言って、ホンダル(ヌルデ)とマメプシ(キブシ)の木を伐って来る。二月一三日までにヌルデの木を二○〜三○abくらいに切って、何本か作る。そのうち三分の一は皮をきれいにむいて、皮のあるものとないものを混合して、青竹の先に付け、一大きな稲穂の形をつくる。それを玄関前の松飾りの杭にしばりつける。また、少し細めのヌルデの木、二本を五○abぐらいに切る。その木の樹皮を途中までむいて、床の間に飾っておく。一六日の朝、この刀で、「ホタレホ」と言って、玄関先に大きな稲穂の竹からヌルデの木をはらい落とす。その他十五日の小正月の準備として、ヌルデの木をたてに割ったものに、「十三」と消し炭で書いて、竹とキプシで作った「鬼の手」というものといっしょに墓

に供える。同じ様な鬼の手だが竹の下の方をくるりとまげたものと、「十三」と書いたヌルデの札を、諸々の神を祭る御棚と松飾りのあとに供える。閏年は「十二」と消し炭で記入する。

 

 キブシ(マメブシ)

 十五日正月の飾りものの鬼の手をつくる。三○abの竹の片の片方を五つに割って、そこへ、キプシを指の先の長さに切って、刺し手の形にしたもの。

 

 カ シ(おもにアラガシ)

 十五日正月にカシの木にマユダマやみかんを刺して、角桶に米を入れたものに立てて、おおぺ様(大黒・恵比寿様)に供える。

 

 イヌツゲ(ビンカ)

 十五日正月にカシの代わりに、イヌツゲにマユダマやみかんを刺して、おおぺ様に供える。 二月三日の節分の時、イヌツゲ・カヤ・アセビ・イワシの頭を、玄関・便所・戸口・倉・小屋の入口などに飾る。

 

 カヤ・アセビ 

 三月三日の節分の時、イヌツゲといっしょに戸口等に飾る。

 

 ヒイラギ 

 一五年ほど前から、節分の時、イヌツゲ・カヤ・アセビに代って、ヒイラギを用いるようになった。節分では、戸口に、イワシの頭やヒイラギを飾るほか、外の物干しに、メカゴとオダマキをつるして置く。鬼がオダマキに腰かけて、メカゴの数を数えるのだと言われている。また、大豆をいって、おおべ様に一升桝に入れて供える。

その夜、一升桝から、自分の年の数だけ大豆を取り出して食べる。これで、その年の自分の人生を占った。

大豆は仏様に供えておいて、初めての春雷の時に食ぺる。「夕立豆」と言って、夕立をよける願いがこめられている。

 

 ススキ

 端午の節句には、ススキの昨年の花軸四本とホウノキの葉三枚で、小さな小屋を田のあぜに作る。小屋の横には穂のついた昨年のススキの花軸と、ホオノキの葉が輸のように付いたものを立てる。ホウノキの葉でふいた屋根には、ヨモギとショウブを対にして、三組たらす。屋根の上には、おこわ(赤飯)・あらめ・コブ・ささげ豆大根干しを供える。また、ホウバマキ(米の粉で作ったあん入りのお菓子をホウノキの葉で包んだもの)の枝に五つ付いたものも供える。田植えの頃には、稲苗に縁のススキをたてて、庭に置いて、ごちそうを供え、田の神を祝った。お盆の一三日には、先祖様の位牌をのせる為に、縁のススキでゴザを編む。一六日の朝、そのゴザに、ナスやキュウリで馬を作って乗せ、川に流す。

 

 ホウノキ

 端午の節句の時、田のあぜに作る小さな小屋の屋根をふく。その横に飾りとして刺す。「ホウバマキ」と言って、端午の節句を祝う菓子を包む材料とする・お盆のとき、花といっしょに仏前に生ける。

 

 ヨモギ・ショウブ

 端午の節句の時、ヨモギとショウプを一対として三組を屋根に刺して、魔よけとした。ショウブは風呂に入れ、ショウプ湯とし、ショウプのはちまきをして、その中に入り、健康を願った。

 

 アマチャ

 卯月(旧暦四月八日)、子どもは、お寺で甘茶をもらう。家族みんなが健康を願って飲むほかに、虫険けと言って、みそやたまりの中にも入れる。アマチャの木は、ユキノシタ科の落棄かん木で、ヤマアジサイの仲問である。山口村では、一株みたことがある。アマチャの木の葉を煎したものが「甘茶」である。

 

 ゲンゲとスイコ     

 卯月(旧暦四月八日)、お釈趣様の入る毘台の屋根にはりつけて飾る。その中で天上天下唯我独尊と、お釈池様の像が、甘茶のうぷ湯を使われる。

 

 ヤブカンヅウ

 お盆を七月一三日から一六日に行っていたので、秋の花がまだなかったからヤプカンヅウを盆花として飾った。