中山道の旅のまとめとして、いくつかに分けて旅の印象などを記しておきましょう。まずは武州路、上州路です。
私は板橋、巣鴨近辺に6年ほど住んでいたことがあるので、この辺の中山道は土地勘のある道筋でした。住んでいる頃は、この道がかつて京都への幹線道路だったなどと考えたことはありませんでしたが、今回の旅でそれを確認したことになります。
●巣鴨の庚申塚は、現在は小さな社の中に碑が収められていますが、「江戸名所図会」を見ると小さな塚があり、その上に碑が建っているのがわかります。付近は中山道の立場(休憩所)になっており、よしず張りの茶屋などが並んで様々な人が歩いています。同じ名所図会には、板橋駅の図も載っています。この図には太鼓橋の板橋が描かれ、付近を通行する人々の姿や、旅籠、料理屋の様子なども細かく描かれています。(「
参考書」参照)
●中山道旧道は板橋宿を出たあと、国道17号線の広い通りと一緒なりますが、蕨宿の手前で国道とはわかれ、旧国道(県道)あるいは一般道となります。浦和から鴻巣の先まではずっと旧国道17号線(現県道)で交通量の多い道であまり面白みはありません。古い遺構などもほとんど残っていないようです。熊谷の手前の荒川土手の道は昔の道筋ははっきりしないかもしれないが、歩くのは楽しい道でした。熊谷は空襲が激しかったということで、古いものはほとんど残っていませんでした。
●深谷、本庄と過ぎ、新町に入ると上州路になります。倉賀野宿の手前、日光例幣使街道の分岐点にある常夜灯、道標などは印象に残っています。また、倉賀野の烏川沿いの河岸跡なども栄枯盛衰を物語り、興味深いものでした。高崎は大きな町になりすぎて、面白くない。でも、赤坂通りなど少し旧道のイメージを残しているところもあり、ホッとしました。
●高崎から先は国道18号線になりますが、この国道もだんだんと拡大、新ルート化という方向に進んでいます。ガイドブックに新しくできた国道が記載されておらず、道を間違えたこともありました。
松井田近くなると妙義山ののこぎりのような山の姿が目を楽しませてくれます。坂本宿からはいよいよ碓氷峠にかかり、峠を越えれば信濃国・軽井沢です。