第19日目(2002年11月30日 土曜日)  太田宿〜鵜沼宿〜加納宿

★太田宿脇本陣、林家住宅(国重文) / 太田宿本陣門

さらに少し行くと、脇本陣林家の住宅がある。享保年間に太田宿が大火に遭った後、明和6年(1769年)に建て替えられた。その後、何回か洪水に荒らされ、修復を重ねながら林家の住宅として利用されている。中山道に面した6100uの敷地に、母屋、質倉、借物倉、表門が配置されており、卯建のついた母屋の外観は堂々とした立派なものである。昭和46年に国の重要文化財に指定されており、中山道宿場建築の遺構として貴重なものである。
その先には本陣跡がある。現在は、立派な門だけが残っている。これは文久元年(1861年)和宮ご通行の際に建てられたものである。残念ながら他の遺構はすべて失われてしまった。


歩行距離  約25Km   万歩計 46,500歩


★中山道新加納立場付近 / 切通付近の街道風景

やがて賑やかな町の様子が薄れ、旧道らしさが戻ってくる。しばらく歩くと「中山道新加納立場」の説明板が見えてくる。鵜沼宿と加納宿の間は4里10町(約17Km)と距離が長いため、立場(たてば)と呼ばれる小休憩所が、ここ新加納に設けられていた。
時刻は既に16時になっており、だんだんと薄暗くなってくる。旧道に沿う形で名鉄各務原線が走っているので、適当なところで電車に乗り岐阜に出るつもりである。切通し付近についたところで駅を探し、電車に乗った。電車に乗ったのは17時頃だったが、既に真っ暗だった。岐阜駅近くのビジネスホテルには17:30頃到着した。


★国道21号線(中山道) / 航空自衛隊岐阜基地入口 / 各務原(かがみがはら)市民公園












鵜沼宿を出た後、旧道は国道21号線と合流する.国道とほぼ並行してJR高山線と名鉄各務原線が走っており、国道沿いの町並みは途切れることなく続いている。ジェット機の爆音がやけに耳につくと思っていたら、ほぼ国道に沿って航空自衛隊岐阜基地があり、訓練飛行のジェット機が多いようだ。やがて基地の入口があり、「歓迎 航空祭」と書かれていた。後で分かったのだが、明日ここで航空祭が開かれるという。急降下を繰り返しているジェット機があったが、もしかしたら明日の航空ショーの練習をしていたのかな。
国道を5Km近く歩いた後、旧道は右に分かれ、賑やかな商店街になってゆく。やがて道は各務原(かがみがはら)市役所、市民公園を通る。この市民公園は元岐阜大学農学部の跡地で広大な敷地である。この辺が各務原市の中心なのだろう。


★大安寺川橋 / 鵜沼宿本陣跡 / 鵜沼宿街道風景












犬山城遠景を堪能した後、旧道に引き返す。大安寺川橋を渡り、鵜沼宿の中心部に入ってゆく。少し先に本陣跡の碑と説明板が建っている。碑の建っている場所に脇本陣があり、隣接して本陣の広壮な建物があった。鵜沼宿は明治24年の濃尾大地震により壊滅的な打撃を受け、当時の建物は残っていない。街道沿いに旧家も見られるが、いずれもこの大地震後に建てられたものである。


★犬山橋 / 木曽川河畔より犬山城を望む

まっすぐにどんどん歩いてゆくと、やがてJR高山線、名鉄の踏切を渡り犬山橋に達する。ここからは、対岸の山の上に犬山城を望むことができる。往復2Kmくらいの寄り道だがせっかくここまできたのだから、犬山城は見ておきたいと思った。橋を渡れば城まではそれほど遠くはないだろうが、さすがに城まで歩く気はない。ここで遠景が見られれば十分である。光線の加減で黒くしか見えないが、紛れもなく白帝城の姿であり満足した。


★うとう峠一里塚 / 旧道と緑苑団地の住居棟

峠を下る途中に、旧中山道うとう峠一里塚がある。道の南北両側に残されているが、北塚のほうが原形をよく保っている。各務原市内にはここ以外にも3ヵ所の一里塚があったが、現在残っているのはこの塚だけだという。
山道を下りるにつれ旧道は公園内の道という感じが強くなり、やがて緑苑団地住宅棟の脇を通る。この先からは道も広い舗装道路になり、一気に町なかに迷い込んだような気がする。鵜沼宿は、この道路をしばらく歩いてから右に曲がってゆくのだが、かまわずまっすぐにどんどん歩いてゆく。


★うとう峠の旧道 / 展望台から木曽川を望む / 展望台付近の紅葉












国道をトンネルで渡ると階段になっており、すぐに山道となる。ここから鵜沼宿までは16町(約1.8Km)の山坂で、うとう峠と呼ばれていた。道はハイキングコースとしてよく整備されている。途中に展望台の案内板があったので寄り道した。結構急な登りが続き汗をかいたが、展望台からの眺めは素晴らしかった。木曽川の流れと歩いてきた国道(中山道)が一望に見渡せる。また、展望台から下る途中の山々の紅葉も素晴らしかった。まさに全山紅葉の景色である。


★国道21号線と並行する木曽川土手上の旧道 / 国道と合流した中山道 / 国道を渡るトンネル












木曽川堤防上の道は国道21号線と並行し、やがて国道と合流する。この辺りの国道は川のすぐ近くを走り、山が迫っている。このような道を3Km近く歩くが、景色がよいので快適である。やがて、国道の左側にカフェテラス「ゆらぎ」が見えてくる。旧道はここの駐車場の先の階段を下りて、人一人通れるような細い道のトンネルをくぐって国道を反対側に渡る。実は、最初これに気がつかず、国道をどんどん先に進んでしまった。どうもおかしいことに気が付き、ガイドブックをよく見たら、ちゃんと詳細図が書いてあった。元来た道を引き返し、カフェテラスに戻ったときには12時近かったので、ここで昼食にした。
このまままっすぐ国道を歩いていっても、目的地の鵜沼宿には行けるのだが、昔はこの少し先で危険な個所があり、旧道はここから山道で迂回したのである。


★太田宿旧跡、小松屋(吉田家住宅) / 永楽屋 / 御代桜酒造












祐泉寺の先に「太田宿旧跡 小松屋(吉田家住宅)」という看板を掲げた古い家がある。中が公開されており、自由に見学できる。展示コーナーもあり、この町で生まれた坪内逍遥に関する展示が興味をひいた。その少し先には、永楽屋という看板をかけた古い商店がある。この辺りの旧道は、古い町並みの残る落ち着いた佇まいである。その先には御代桜醸造の新しい建物と、古い住居、酒蔵などが続いている。江戸時代には、茶屋と酒の販売を営んでいたが、明治になってから旧本陣家から酒造権を譲り受け、酒造業をはじめたという。


★JR高山線、美濃太田駅 / 祐泉寺観音堂

今日は東京駅から初めて「のぞみ」に乗った。6:53東京駅を出発し、名古屋で高山線の特急に乗り換え、美濃太田駅に着いたのが9:21。美濃太田駅は岐阜を出てからはじめての特急停車駅であり、大きな駅である。太田宿の最寄駅であるとともに、現在では美濃加茂市の中心となっている。
駅前の広い通りをまっすぐに行くと国道21号線にぶつかり、横断してさらにまっすぐ行くと中山道旧道にぶつかる。今日はここからのスタートである。
旧道を少し行くと祐泉寺がある。享保13年(1728年)再建の観音堂があって、本尊の観世音菩薩像は鎌倉時代の作。ここで有名なのは、文政11年(1828年)に槍ヶ岳初登頂に成功した幡隆(ばんりゅう)上人の墓があること。上人は5回目の登頂の帰り、脇本陣の林市右衛門宅で没し、ここに葬られた。また、木曽川を「日本ライン」と名付けた地理学者、志賀重昂の墓もある。


★堤防上から見る木曽川(日本ライン)風景 / 急流を通るライン下りの舟

宿場の町並みは約800mくらい続き、宿はずれで左に曲がる。道はやがて木曽川の堤防上に出るが、この辺から見る木曽川の川幅は大変広い。昔の中山道を歩く旅人から「木曽のかけはし太田の渡し、碓氷峠がなくばよい」と謳われたように、木曽川を越えて太田宿に入るのは中山道3大難所のひとつといわれた。この川幅を見ると、さもありなんという気もする。木曽川は、この2Kmほど上流で飛騨川と合流し、水量もかなり増えている。しかし、この後川幅は狭まり流れも急流となる。ちょうどその辺りを歩いているときにライン下りの舟が通った。乗っている人たちにとっては、一番スリルのあるところだろう。