第9日目(9月23日 秋分の日) 韮崎〜台ヶ原〜教来石〜蔦木〜富士見駅

久しぶりの甲州街道歩きである。今年の夏は東京地方は記録ずくめの暑さだっただけに、夏の間は歩き旅といえるような歩きは一切やらなかった。秋のお彼岸になり、ようやく暑さも峠を越えたようなので、甲州街道歩き旅の再開である。


★韮崎、本町交差点 / 釜無川沿いの甲州街道(国道20号線)

新宿発7時ちょうどのあずさ1号で、韮崎駅到着は8:36。韮崎駅前の道を少し戻り、本町交差点で甲州街道(国道20号線)とぶつかる。今日のコースはここからスタートである。
街道沿いのあちこちに「武田の里まつり」の幟が立っていた。この祭りは10月10日前後の日曜日に行われ、武田勝頼公新府城入城祭とも呼ばれ、時代行列が行われるという。
国道を進むと、やがて道は釜無川沿いになる。この辺りに東京から152Kmの標柱が立っていた。

★桐沢橋 / 釜無川(桐沢橋より下流を望む)

国道はそのまままっすぐに進むが、旧道は左に曲がり桐沢橋を渡る。橋から眺める釜無川の流れは、水量も多く堂々としている。この川は、下流で笛吹川を合わせ、富士川となって駿河湾に注ぐ。
なお、韮崎から釜無川左岸沿いに小高い丘陵が始まるが、信濃の境まで28Km続く七里岩である。

★旧道の様子(青木付近) / 道端の道祖神

橋を渡った先はどれが旧道かよく分からないが、やがて県道になり少し先で旧道らしい道が分かれてゆく。分かれ道の道端には古い道祖神が立っていた。この道は、折居公民館の前を過ぎた後、再び先ほどの県道に合流する。


★円野町入戸野(えんのまちにっとの)付近 / 下円井(しもつぶらい)集落

県道は、円野町入戸野を過ぎ、戸沢橋を越えると下円井に入る。私はここで左に曲がる細い道を進み、下円野の集落へ入った。ここは古い情緒の残る集落だったが、この先で道を間違え旧道から外れてしまった。国道とぶつかる地点が先になってしまい、結果として上円井の集落を飛ばしてしまった。上円井の旧道を通るには、先ほどの県道筋に戻って道なりに進んだほうがよいようだ。

★国道の上円井信号周辺 / 旧道と国道の合流点付近 / 国道から七里岩を望む











道を間違えた結果、国道にぶつかったところがちょうど上円井の信号だった。ここで、上円井を通ってきた旧道が国道と合流しているようだ。この道を戻れば上円井の集落には行けるだろうが、ここは国道を先に進む。国道からは七里岩の様子がよく見える。少し先で小武川橋を渡る。ここからは武川村になる。

★国道と旧道の分岐点(武川村) / 牧原下バス停付近

しばらく国道を行くと、また、旧道が右手に分かれてゆく。分岐点に「ようこそ武川村へ」の看板が立っている。いかにも旧道らしい道が続くが、建物はこれといって昔の情緒を感じさせるものは少ない。バス停の牧原下、牧原中などを通り過ぎ、旧道は再び国道に合流する。


★大武川を望む川辺 / 大武川橋を渡る国道

少し先で旧道は再び分かれていくので、私はこの道を進んだが、300mくらい先で川にぶつかってしまった。そこは川辺で景色もよく、時間もちょうど12時頃だったので、ここで昼食とした。大武川はここから少し下流で釜無川に流れ込んでいる。
昼食もすみ、少し道を戻って国道に出る。国道には立派な大武川橋がかかっている。

★旧道の分岐点(上三吹信号) / 旧道の様子(上三吹バス停付近) / 旧甲州街道一里塚跡碑











国道は下三吹のバス停を過ぎ、やがて上三吹信号で旧道を分ける。この道もいいかにも旧道らしいが、あまりそれらしい建物などは残っていない。しかし、さらに進むと道端に新しい「旧甲州街道一里塚跡」の碑が立っていた。脇に「甲府より七里なので七里塚ともいう」と書いてあった。この少し先で旧道は再び国道と合流する。

★国道から旧道、台ヶ原宿への分岐点 / 台ヶ原宿本陣跡

国道をしばらく進むと、台ヶ原宿に向かう旧道が分かれてゆく。分岐点には「甲州街道台ヶ原宿」の案内板が立っている。旧道を少し行くと、本陣跡の標識が立っている。本陣の遺構は何もないが、そばに秋葉大権現の大きな石灯籠が建っている。昔、この地区に火災が続いたため、地区内外の篤志家の寄付金によって建立されたという。この付近には、脇本陣、高札場、問屋場跡などもある。甲州街道の中では、昔の面影が大変よく残されているといえる。

★台ヶ原宿、銘酒「七賢」の酒造家 / 明治天皇行在所跡碑(北原家) / 金精軒(菓子屋)











本陣跡の少し先に「七賢」の看板を立てた古い立派な建物がある。銘酒「七賢」を醸造する北原家である。店の中に入ると、展示や利き酒コーナーなどがあり、さらに奥には工場があり見学もできる。お酒を買いたかったが、荷物になるのでここで買うのはやめた。内部をぐるっと回った後、街道に出て見ると、建物の先に「明治天皇行在所跡」の碑が建っている。明治13年6月、明治天皇の巡幸の折、この北原家の西側の三室が使用され、当家の銘酒が差し出されたという。北原家住宅4棟は、山梨県有形文化財に指定されている。この建物の斜め前には、金精軒製菓の古い建物が建っている。

★田中神社、荒尾神社 / 白州町白須下付近の旧道の様子

少し先に田中神社、荒尾神社があった。由緒ありそうな神社で、祭礼の飾り付けがしてあった。ただ、その割には人は出ていないので、祭礼当日ではないのかもしれない。いかにも旧道らしい道は白州町白須下、白須上、前沢を経て国道に合流する。

★国道と旧道の分岐点(前沢先) / 旧道風景(荒田付近)

国道の橋で神宮川を越えると、旧道はまた右手に分かれてゆく。台ヶ原から教来石までは国道と平行して旧道がかなり長い区間続いている。その長い旧道区間すべてにわたって祭礼の支度がなされている。道沿いの家々には綱が張られ、所々に白い紙の飾りが下げられている。一本の綱にすべての家がつながっているようで、地域の絆の強さというようなものを感じた。ただ、祭礼行事はどこでも見られなかったので、今日は祭礼当日ではないのだろう。

★教来石(きょうらいし)宿付近 / 山口関所跡(上教来石)

荒田の先で旧道は国道と合流するが、また少し先で右に分かれてゆく。教来石(きょうらいし)宿はこの国道と旧道の分岐点辺りにあったらしい。国道の脇に「明治天皇御小休所跡」の石標が立っているが、ここに本陣があったという。旧道に入って少し行くと、右手下には田圃が広がり、その向こうには釜無川、七里岩などが望める。さらに行くと、上教来石地区となり、ここには山口関所跡がある。これは、甲州24箇所の口留番所の一つで、信州口を見張った国境の口留番所である。

★新国界橋 / 橋から釜無川下流方面を望む

旧道が国道と合流すると、すぐ先で国道の橋を渡る。新国界橋である。この橋の下を流れる釜無川が山梨県と長野県の県境となる。また、韮崎から釜無川沿いに続いてきた七里岩はこの辺りで終わりとなる。橋を渡った後は旧道は国道と一緒になり、そのまま蔦木宿に入ってゆく。なお、宿場に入る手前の山間の場所に車のための「道の駅 蔦木宿」が設けられている。

★蔦木(つたき)宿入口にある三光寺 / 国道沿いの蔦木宿風景

やがて国道沿いに人家が見えてくる。左側に三光寺があり、この辺が蔦木宿の入口である。この辺りから国道に面して、何となく昔の面影を残している家もちらほら見える。街道沿いに石碑なども立てられているようだが見落とした。
上蔦木信号のところにJR信濃境駅への矢印が出ていたので、ここから近いようだが、もう少しがんばって富士見駅まで歩く予定である。まだ結構距離があるので、少々ピッチを上げることにする。

★古戦場バス停 / JR富士見駅

蔦木宿を出た後、旧道は国道から離れる部分もあるようだが、とにかく時間が気になるので国道をひたすら歩く。瀬沢大橋を渡った後、道はだんだんと上り坂になる。かなり上ったところに古戦場というバス停があった。近くに説明板が立っていたが、じっくり読んでいる余裕はなかった。やがて富士見駅方面への案内板が出てきたので、表示に従い右に曲がる。その地点から駅までかなり早足で約20分ほどだった。富士見駅発17:58発の特急に間に合うように急いだのだが、結局30分前に着いてしまった。あまりあせることもなかったわけだ。少々時間ができたので、酒屋を探し、七賢と缶ビールを買い求めた。辺りはもう薄暗くなっていた。


歩行距離  約30Km   万歩計 54.000歩