第3日目 (2003年7月26日 土曜日)  八王子〜小仏峠〜相模湖町


★市守神社・大鳥神社 / 史跡一里塚址碑

今日は、京王八王子駅から歩き始める。広い国道20号線に出て少し行くと、右側に赤い大きな鳥居が建っている。鳥居の額には、市守神社と大鳥神社が併記されている。両社が合わせて祀られているのである。鳥居から本社まで細長い境内はなんとも殺風景な感じだが、11月の酉の日の大鳥祭には、境内や甲州街道沿いに熊手などを売る店が並び、参拝する人で身動きが取れない賑わいになるという。
この神社は、ちょうど八王寺宿の入口にあたっており、旧甲州街道は、この手前で鍵の手に曲がっていた。この旧道を少したどってみよう。今来た国道を少し戻って左(北)に曲がり、3つ目の角を右に曲がると、いかにも旧道らしい道が残っており、少し先に「史跡一里塚址」の碑が建っている。竹の花公園という小さな公園の中にあり、隣には永福神社という小さな神社がある。この一里塚は、日本橋から12番目のものである。

★八日市商店街と甲州街道 / 産(うぶ)千代神社(大久保長安陣屋跡)

一里塚址を見たら、もと来た道を国道に戻ろう。大鳥神社の先でJR八王子駅入口交差点の信号を渡る。この辺は横山町で、八王子横山宿のあったところ。その少し先が八日町で八日市宿があった。八王子宿の中心は、この横山宿と八日市宿で、両宿には人馬継ぎ立ての問屋があり、2軒の本陣と4軒の脇本陣がおかれていた。また、江戸時代には、4のつく日には横山宿で、8のつく日は八日市宿で市が立ち、あわせて月に6日の市が立った(六斎市という)。
八王子の街づくりをし、甲州街道を整備したのが大久保長安である。長安は、有能な人材を輩出した千人同心も組織している。八日町の少し先、ダイエーの脇を左に曲がって少し行くと、産千代神社がある。鳥居の横、道路に面したところに「史跡大久保長安陣屋跡」の碑が建っている。この神社は大久保長安の広大な屋敷の邸内社だったという。

★甲州街道と陣馬街道の分岐点(追分) / 八王子千人同心屋敷跡記念碑

国道に戻り少し行くと、道が二股に分かれる。左が甲州街道、右が陣馬街道である。ここのバス停名は「追分」。
右の陣馬街道を少し行ったところに、「八王子千人同心屋敷跡記念碑」が建っている。このあたりの町名も千人町という。
八王子千人同心は、武田家に仕えていた家臣で、武田家滅亡後徳川家に仕えた人たちが中核となっていた。千人同心は、10名の千人頭の下に、それぞれ100人の平同心を配し、この100名を10組に分け、一組に1名の組頭を置く組織であった。
千人頭と組頭は、今の千人町に住んでいたというので、この碑の建っているあたりにその屋敷があったのだろう。千人同心は、創設期には戦に出陣したが、戦がなくなってからは日光東照宮の警備が主な任務で、これは幕末まで続いた。

★千人町付近の甲州街道(イチョウ並木) / 多摩御陵参道入口付近(ケヤキ並木)

先ほどの追分から先は千人町となるが、このあたりから甲州街道の両側には立派なイチョウ並木が続く。これは、次の並木町、多摩御陵参道入口と続き、JR高尾駅の少し手前まで延々と4Km近くも続いている。
並木町を過ぎると、多摩御陵への参道が右手に見える。この参道は見事なケヤキの並木が続いている。この参道を10分くらい歩くと多摩御陵の入口につく。ここには大正天皇陵(多摩陵)、貞明皇后陵(多摩東陵)、昭和天皇陵(武蔵野陵)、香淳皇后陵(武蔵野東陵)の4つの御陵がある。御陵地内は広大で、中に自由に入れるが、まだ先が長いのでここから引き返した。

★甲州街道から見たJR高尾駅 / 国道20号線と旧甲州街道の分岐点(右、旧道)

甲州街道に戻り先に進むと、左手にJR高尾駅が見える。さらに行くとJRのガードがあり、これをくぐって少し先で道は二手に分かれる。左が国道の新甲州街道であり、右が旧甲州街道である。
大垂水峠を越える国道は、明治21年に開通し、小仏峠を越える旧道は寂れた。現在では、高尾山方面と組み合わせて、格好のハイキングコースとなっており、シーズンの休日には歩く人も結構多い。また、ハイキング客のために、高尾駅から途中までバスの便もある。

★小仏関所のあった付近 / 小仏関所跡碑と説明板 / 「甲州街道駒木野宿」碑











旧甲州街道を進むと、右手にちょっとした林が見えてくる。ここは、小仏関所跡で、国指定史跡となっている。小仏関所は、戦国時代には小仏峠に設けられたが、その後、北条氏の滅亡により徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移された。
この関所は、道中奉行の支配下におかれ、1623年(元和9年)以降、4人の関所番が配置され、特に「入鉄砲に出女」を厳しく取り締まった。以後、1869年(明治2年)の太政官令により廃止され、建物も取り壊された。
関所跡の碑のすぐ近くに、甲州街道駒木野宿の大きな碑が建っている。関所の近くに駒木野宿があったが、ここには旅籠はなく、本陣と脇本陣がそれぞれ1軒ずつあっただけだったという。一般の旅人はここでは泊まらず、一気に小仏峠を越えて甲州に入ったのだろう。

★甲州街道念珠坂碑ほか / 旧街道の脇を流れる清流 

関所跡の少し先にちょっとした坂があり、甲州街道念珠坂碑が建っている。ここにはほかに3つの古碑と小さなお地蔵様が建っている。
道は細い舗装道路だが、車はほとんど通らないので静かである。道の脇には清流が流れ、なかなか気持ちがよい。小仏峠に向かうハイカーのほとんどは、この道をバスで通り抜けてしまうが、旧道の雰囲気の残っているこの道を一度は歩いてみることをお勧めする。高尾駅からバスの終点まで約5Km、のんびり歩いても1時間ちょっとの道のりである。

★小仏峠登山口 / 登山道(甲州街道旧道)  

小仏バス停(バス終点)の少し先に寶珠寺というお寺があり、それからさらに10分くらい歩くと、舗装道路が途切れ、いよいよ小仏峠への登山道となる。右へ分かれる道は、景信(かげのぶ)山への登山道となる。
途中、ほぼ並行して走っていたJR中央線と中央高速道路は、すでにトンネルに入っており、このあたりから先は昔の街道そのままの姿が残っている。昔の大名行列はこの道をどのように通ったのだろう、などと考えながら登る。まだ梅雨が明けておらず、湿度が高いので、汗びっしょりであるが、峠の頂上までそれほど長い距離ではない。

★小仏峠頂上の茶屋 / 頂上のお地蔵様 / 小仏峠頂上の標識(頂上560M)











はぁはぁしながら峠の頂上に出た。ここには峠の茶屋があり、ベンチもたくさん置いてあるが、今日は天気もあまりよくないので、ほとんど人もいない。風が涼しく心地よい。
道の脇に小さなお地蔵様が立っている。脇に説明があり、このお地蔵様は、昔この地に関所があった頃、道行く人の安全を願って建てられたものだという。隣には庚申塔が建っており、きれいな花がいっぱい供えられていた。このお地蔵様の維持管理は茶屋の主人のボランティアによるものだという。ご苦労様です。
少し休んでから、茶屋の脇を抜けて先に進む。茶屋を抜けてすぐのところに、「小仏峠頂上 560m」の標識が立っている。この少し先にもう1軒の茶屋がある。こちらにも人はほとんどいなかった。

★峠の頂上から下る道(旧甲州街道の標識あり) / 旧街道の様子

茶屋を過ぎてまっすぐに尾根道を行けば、城山を経て高尾山方面に出る。旧道はここから相模湖方面に向かって下ってゆく。
下り口には、旧甲州街道の標識が立っているので、間違えることはない。よく整備されたハイキングコースである。
下り始めたら、驚いたことに後ろからバイクの音がする。若者二人連れが、この道をバイクで下ってきたのだ。いくら旧街道だって、ここはバイクの通るところじゃないぞ、といいたかったが、丁寧に挨拶していったので、気持ちも和らいでしまった。ただ、この先段差の大きい階段状の道が続いているので、かなり苦労しているようだった。やがてバイクの音も聞こえなくなり、静けさが戻る。途中、行き逢う人も全くなかった。

★相模湖側の登山口 / 登山口までの舗装道路 / 底沢バス停付近(国道20号線)











やがて登山道は終わりとなり、その先は舗装された自動車道を歩く。そのうち、トンネルを抜けた中央高速や中央線の線路が見えてくる。途中、美女谷温泉の近くを通るが、美女谷は伝説の照手姫の出生地と伝わり、ここに1軒宿の温泉がある。残念ながら、入浴だけはできないということなので、通り過ぎる。この先の旧道の道筋は、中央高速の工事などのため通行できないところもあり、迂回路を歩く。少し行くと国道20号線に出、底沢バス停がある。峠の頂上からここまで、約3.5Kmである。ハイキングの人は、たいていここからバスで相模湖駅まで出る。私は当然、国道を歩き続ける。ここから駅までは、約2Kmくらいである。

★旧小原宿本陣門 / 同 玄関 / 同 内部の様子 











国道を歩き始めてしばらくしてから、とうとう雨が降り出した。峠道を歩いているときに降られないでよかった。国道の左側を歩いてゆくと、やがて、「甲州街道小原宿 これより二町半」という標識が見えてきた。この標識から二町半の間が小原宿ですよ、という意味らしい。この標識の立っている道の反対側、つまり国道の右側に小原宿本陣が昔のままの姿で建っている。私は、先ほどの標識に気をとられているうちに本陣の前を通り過ぎてしまい、後で気がついて引き返した。
小原宿は、甲州街道9番目の宿場である。小原宿本陣は、清水家の建物が使われた。神奈川県下では本陣の建物が東海道と甲州街道合わせて26軒あったが、現在建物として残っているのは、この小原宿本陣1軒だけであり、神奈川県指定重要文化財となっている。
本陣建物は公開されており、内部も自由に見学することができる(入場無料。月曜日休館。8:30〜16:30)。ややこじんまりとしているが、控の間、中の間、上段の間と続き、上段の間からは庭の築山の眺めがよい。玄関を入ってすぐのところに、大きな大名駕籠が、でんと置いてあった。そのほかにも昔の道具がいろいろと展示されている。

★街道沿いの古い建物(旧旅籠?) / JR中央線 相模湖駅

旧本陣を出て国道を進んで行くと、小原バス停の脇に古い大きな建物がある。一般の民家で標識も何もないが、旧旅籠のような感じである。小原宿には旅籠は7軒あり、一般の旅人のほかに、富士山や身延山にお参りする講の人たちも多く泊まったという。
雨の降る中、国道を歩き、中央線の相模湖駅に着いたのは16時頃だった。帰りの電車で小仏トンネルを越えたが、峠道を思い出している暇もなく通り抜けてしまった。


歩行距離  約18Km   万歩計 36,000歩