★品川宿商店街 / 「日本橋より二里」の標識

八ツ山橋でJR線路を跨ぎ、京浜急行の踏切を越えるといよいよ品川宿の入り口である。商店街の入り口に大きな横断幕「東海道400年祭」と書いてあり、大いにこれからの旅の気分を盛り上げてくれる。この商店街の道が旧東海道である。少し行くと品海公園という小さな公園があって、そこには「日本橋より二里」の標識も立っている。そうか、もう二里歩いたんだ。さらに少し行くと聖蹟公園というのがある。ここは昔の本陣のあった場所である。旧道はこの先で山手通りを渡る。

第1日目(2001年1月28日 日曜日)日本橋〜品川宿〜川崎宿


★お江戸日本橋
                        
「お江戸日本橋七つだち・・」、昔の旅立ちは朝まだ暗い七つ(朝4時)ころだったそうだが私の場合は朝9時ころから歩き始めた。日本橋は見慣れた橋だがやはり橋の上の高速道路は目障りだな、などと思いながら出発地点の写真を撮る。橋の近くには日本橋の由来碑、魚河岸跡の碑などが立っている。京都などあまりに遠く、そこに向かっての第一歩だなどという感慨はまだ湧いてこないが、旅の始まりである。日本橋から歩き始めるとすぐ左手には東急百貨店があったが、現在は取り壊され更地になっている。


★京橋親柱跡 / 銀座通り

日本橋からの中央通りは京橋にさしかかる。ここには昔、川が流れ京橋がかけられていたが、川はすでに埋められ、橋の親柱だけが残されている。この付近には「江戸歌舞伎発祥の地」碑や、「京橋大根河岸青物市場」碑なども立っている。道はこれから先、賑やかな銀座通りになる。日曜の朝まだ早いのに結構人が歩いている。銀座通りをさらに歩くと新橋のガードがある、この通りは正確には国道15号線(第1京浜)であり、品川まではこの国道が東海道の旧道と一緒になっている。


★高輪大木戸跡 / 泉岳寺

新橋のJRガードを越えてしばらく行くと、高輪大木戸跡につく。現在、国の史跡に指定されている。江戸の南の入り口として石垣を築き、夜は閉めて通行止めとし、治安の維持と交通規制の機能を持っていた、と説明板に書いてある。昔の旅人は朝暗いうちに日本橋を出発してちょうどこの辺で提灯を消したらしい。ここから少し行った所に泉岳寺がある。私は今まで泉岳寺にお参りしたことがなかったので立ち寄った。義士祭の頃でもないのにそれぞれのお墓には花と線香が供えられ、、義士の人気の高さが感じ取れた。泉岳寺を出て品川駅を通り過ぎると、漸く道は国道と分かれる。



★品川橋 / 品川寺

やがて道は目黒川に差し掛かる。ここには品川橋という橋があり、品川宿はここを境に北品川、南品川にわかれている。これから先、旧道沿いには古くからの社寺が多い。それも道のすぐ脇に建っている。その一つである品川寺(ほんせんじ)に立ち寄った。ここは江戸六地蔵の一つであったお地蔵様が、入り口を入ったすぐのところに現在も健在である。(お地蔵様というより大仏様みたいだが)境内には愛嬌のある七福神像などもあってなかなか楽しいお寺である。品川寺の隣には海雲寺というお寺がある。


★浜川橋(涙橋) / 鈴が森刑場跡

鮫洲の商店街を抜けると、前方の立会川に小さな石橋がかかっている。浜川橋別名「涙橋」といい、鈴が森の刑場に引かれていく罪人の身内が最後に別れるところだったという。この少し先にある鈴が森刑場跡は、旧道が国道と合流する地点にひっそりと残されている。ここでは八百屋お七や、由比正雪の起こした慶安の変の首謀者・丸橋忠弥なども処刑されている。説明板によれば、刑場は街道に面しており、間口40間、奥行き9間の広さだったという。現在はその一部が残されている。
道はここで国道15号線と合流し、これからしばらく国道を歩くことになる。


★磐井神社 / 梅屋敷公園

国道を少し行くと京急大森海岸駅があり、その少し先に磐井神社がある。これは延喜式にも載っている由緒ある神社だという。この先少し行くと旧道が一部(1km位)残っている区間がある。国道を離れこちらの道を歩くがすぐにまた国道に戻る。国道を行くとやがて梅屋敷公園というのが見えてくる。京急に「梅屋敷」という駅があるが、ここを通る度に何か由来があるのだろうと思っていたが、今回ようやくわかった。ここはもともと「和中散」という薬を売る店があり、大きな屋敷があった。そこに梅の名木が植えられており、江戸の梅の名所「梅屋敷」として知られていた。現在その跡が公園として開放されている。


★六郷神社 / 多摩川(六郷川)

京急蒲田駅の先で羽田線の踏切を越え、さらに国道を歩く。多摩川に差し掛かる手前左側に「六郷神社」がある。説明板によれば、昔は「六郷八幡宮」と呼ばれており、源頼義、義家の父子の時代に創建されたという。境内には梶原景時が寄進したという石橋なども残されている。六郷神社の前に旧道がわずかに残っており、これを行くと多摩川の堤防にぶつかる。昔はここは渡し舟で渡ったが、現在は国道に「新六郷橋」という立派な橋がかけられている。


★明治天皇六郷渡御碑 / 渡御の様子(レリーフ)

新六郷橋で多摩川を越えると、川崎宿である。橋を渡りきったところに、明治天皇の六郷渡御碑がある。その碑の中に渡御の様子がレリーフで埋め込まれている。東京への奠都の際に、多摩川に仮橋をかけて大行列が渡るさまが描かれており大変興味深かった。近くには川崎大師の常夜灯も立っている。また、六郷の渡しの説明があり、家康は1600年に「六郷大橋」をかけ、以来、修復や架け替えが行われたが、1688年に大洪水で流された後は架橋をやめ、明治まで舟渡しとなったという。


★旧東海道標識 / 田中本陣跡

新六郷橋を下り右に曲がる。ようやく長い国道歩きから開放される。旧東海道の道標があり、旧道ということが分かるが、宿場の面影はまったくない。しかし、要所には簡単な標識と説明があるので、わずかにここが川崎宿の跡だということが分かる。その一つに田中本陣跡の標識と説明がある。ここの当主田中休愚は川崎宿中興の祖とも言われ、宿場の発展に尽くすとともに「民間省要」の著者としても知られている人物である。
広い市役所通りを右に曲がるとJR川崎駅である。今日の歩きはここまでにしよう。


歩行距離 約 21km.  歩数 35,000歩