後日談

 

 ホビーフェアの終わった二日後の6/15日は、新しいコロコロコミック7月号の発売日である。現在、電撃ホビーマガジン誌と並んで数少ないゾイド関連の定期刊行物であり、その発売日に、ゾイド情報のためだけにコロコロコミックを購読しているパワーユーザーもいるであろう。その7月号で視察団の目を引いたのは、レッドホーンの基地のディオラマであった。

 既に、新シリーズに再登場するゾイドが何であるか紹介したとおり、ホビーフェア会場では、一部のゾイドについてはパッケージのサンプルが本体とともに並んでいた。その中のレッドホーンのパッケージには、基地のディオラマが用いられていたのである。この同じディオラマが、別のアングルであるものの、コロコロコミック7月号のゾイドのコーナーに用いられていたのには、正直驚かされた。実際には、、レドラー、バリゲーター、ゴジュラス、モルガもそうであったが、レッドホーンの場合、基地のディオラマであったために、その相違が最もわかりやすかったのが理由である。

 パッケージと紙面が同じディオラマであるという事は、ゾイドは、明らかにコロコロコミックのバックアップにより展開されると言うことであり、開発(今回の場合は再販されるゾイドの順番と色を決めるという方が正解かも知れない)にも十分コロコロコミックの意見が加味されることを意味すると思われる。

 ゾイドというおもちゃを考えたとき、これがどこまで良い展開であるか見直す必要があるかも知れない。過去においてゾイドはメディアミックスにより大きな発展を見せた事実は否定できず、我々パワーユーザーもその恩恵にあずかった。しかし、ゾイド衰退も招いたのも、ある種、そのメディアミックスから来るゾイドのキャラクターおもちゃ化であり、当初の工作おもちゃとして始まった要素を欠いてしまったことであると思われる。

 ゾイドのメインターゲットを小学生とした場合、パッケージと同じ写真が購読している雑誌に掲載されれば、それは安心感につながるであろう。しかし、ゾイドが工作おもちゃであり遊びの素材とするのであれば、仮にコロコロコミックでゾイドが紹介されたとしても、その内容はトミーとは違う、コロコロコミック的解釈のゾイドであっても、ゾイドの遊び方として全く間違ったものではないと思われるからである。

 もちろんトミーとしては、コロコロコミックをキーメディアとして、更なる展開を望むと言うところである。まだ、ゾイドの再販が実現しない現時点では、発表された最初のラインナップがこのメディアとパッケージ(本体)の完全なる一致のみの展開は、仕方のないものかもしれない。しかし、ゾイド再販後に何らかのメディアでゾイドの紹介があった際に、トミーがこれと全く同じように、パッケージと同じディオラマのみで構成される紹介しか作ることを許さないような展開をするようであれば、それは当初のゾイドの遊び方、工作おもちゃとしての遊びの素材、という本来のゾイドの要素を奪ってしまうことになり、再びゾイドの衰退を招きかねないと警告しなければならないであろう。各雑誌、各メディアによって、ゾイドの遊び方は異なってくる。そんな違いが表れるのが、ゾイドの発展につながり、今度こそ永続的なトイシリーズとするべく展開を期待したいものである。(1999/07)

 

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