第六章 緑の間 〜‘宇’〜

「ここは、一体何処なんだ?」
パッと捺輝が目を開けた時、辺りは緑が眩しい開けた草原だった。わけもなく捺輝はその草原を歩き出す。
「何処なんだ、ここは…」
見覚えがない場所なのに何処となく懐かしい、ここは前にきたことが…ある?そう思いながらまた歩き出す。向かう当てなどないのになぜか歩いていってみたかった。その先に何かが待っているような気がしていた。
「何処まで、続くんだろう?」
果てがない草原を捺輝は止まることなく歩く、すると前には森のように木が生い茂る場所へと抜けた。それでも躊躇うことなく捺輝は奥へと進んでいく、なにがあるのかわからない…だけど行ってみたい、危険なことが待ち構えているかもしれない、だけど…
それでも捺輝は歩いていった、抑えられない好奇心をぶら下げながら、森の奥へおくへと…
どのくらい歩いただろか、同じような所を歩いているのに捺輝にはちゃんと違う道を歩いているのがわかる。不思議に疲れた気もしない、何処までも歩いていける力が捺輝にはあった。
「俺は、一体なにをしているんだろう?」
捺輝もここまでくると自覚していた、自分の意志で歩いていないことに。そして、誰かに呼ばれているような不思議な感じにも…
「誰かが俺を導いているのか?」
声…いや、意志と言ったほうがいい。それが歩いていくたびに強くなっていく。それに比例するかのように捺輝の歩みもしだいに速くなっていた。
不安がいつのまにか好奇心へと変わり、それが強くなるたびに歩みが速くなっていく。しばらくした後、目の前の森が開け、眩しい光が捺輝を襲う、そこは小高い丘となっていて、中央に水が溢れる泉があった。木々に守られたその場所は、花が咲き乱れ一点の曇りのない空によく映えた。不思議に、今まで止まらなかった歩みが止まった。そのときはその美しい光景に足を止めたのだとばかり思っていたが違ったのだ。捺輝を呼ぶ意志がここにきたときが一番強くなっていた、けれどここには人の影すら…
「やっぱり空耳だったのかなぁ?」
止まった歩みを再び呼び起こし、なつきは泉のほうに歩を進める。泉のそばに腰を下ろし、捺輝は空を見上げた。真青な、文句のつけようがないほど透き通った空。時々流れる風が涼しさをつれては、またどこかへと消えていく。その優しい自然の中に捺輝は埋もれながら目を静かに閉ざし、それを体一杯に浴びた。日が射し、その暖かさを直に感じる。時間が止まったような空気が捺輝を包み込んだ。それから、どのくらいが経ったのだろう。ふと、捺輝は人の気配を感じ体を起こした。見ると、自分がいるのと反対の泉の周りを少女が1人、軽やかに、そして優しく舞いを自然たちに振舞っていた。捺輝はそれを見るや、体が硬直したように動きが止まった(というよりはむしろ、その舞いに見とれていたのだ)。泉の周りを蝶のように、妖精のように、軽く、涼やかに…その舞いは続いていた。高く飛び上がり、地に戻り、風のように舞いを楽しむその少女は時折表情を変えて表現に加える。捺輝はまだ動けず、舞いを見つめていた。そして少女は再び高く舞い上がり、静かにそれを終えた。
"パンパンパン"
終わりが告げられたと同時に捺輝は無意識に手を叩いていた。
「だっ…誰かいるのっ?」
甘い感じの声が厳しく響き、思わず叢に隠れてしまった捺輝。
「そこにいるんでしょう?隠れてないででてきなさいよ」
その声に慌てて捺輝が立ち上がった。
「あっ、ご、ごめん。盗み見、す、するつもりはなかったん、だ。ただ…」
顔を少し赤らめて捺輝は言葉を詰まらせた。
「ただ…なに?」
甘い声の質問は続く。その問いに、少し照れくさそうに捺輝は語る。
「ただ、とても綺麗だったから、つい見とれちゃっ、て」
赤くなった顔を見られたくなかった捺輝は下を向いていて、少女の顔をまともに見ていなかった、がしばらくして捺輝はおそるおそる顔を上げた、すると、同じように顔を赤らめた少女がそこにいた。
「あ、あの…」
思わず声を出してしまった。その声に少女はパッと捺輝に背を向けた。そして…
「あ、ありがと…」
その言葉と共に2人は真っ赤になった。そしててれながら向き合い、お互いの顔をちゃんと見るや否か笑い出した。
「俺、茉坂捺輝。君は?」
ちゃんと顔を見せてくれた少女は金色の綺麗な髪と、翡翠のような透き通る緑色の目を持っていた15,6歳の女の子だ。
「アルテミス」
少女はそういうと森の奥へと走り去ってしまった。そして振り向きざまに、
「またね、捺輝君」
「まっ…」
捺輝の声の前に少女は森の奥へと消えていってしまった。
「アルテミス…か。何処の子だろう?可愛かったなぁ」
そう呟いてまたその場に寝転んだ。目を閉じ、あの少女のことを思い浮かべる。
「また、会えるだろうか、あの子に・・・」
もはや、今いる場所がどこか、という問いは捺輝の中にはなかった。―――――――――――――

「…つき、おい、捺輝!!」
声に反応して、捺輝はもう1度目を覚ました。
「ここ…は?」
さっき見た場所ではない、どこかの部屋だ。
「お前大丈夫なのか?」
心配そうな洸吾が顔を覗かせる。
「こう…ご?俺一体どうした…」
体を起こそうと急に起き上がった捺輝の脳裏に激痛が走った。
「……ッ痛」
「まだ無理だ、寝てろよ」
あぁ、と軽く返事はしたものの捺輝は気になることを洸吾に問うた。
「洸吾、ここは何処なんだ?俺、今まで草原にいたはずなのに…」
「はぁ?ボケてんのかよ、お前。頭でも打ったんじゃないのか?ここは流ん家で赤の間で倒れたお前をここまで運んできたんだぞ、俺。」
捺輝には状況が理解できなかった。自分は確かに草原にいた、今でもその景色が鮮明に頭の中に残っている。夢や幻なんかじゃない、そう思っていたとき、まさにその瞬間だった。
「アルテミス…っていう子、いなかった?捺輝」
突然の声は昴だ。
「な、何でその名前…昴あの子知ってるのか?」
捺輝の言葉にため息交じりで昴が流に話す。
「流、どうしようか?緑の間もう開いてるみたいだよ。また厄介な所に。今回は協力することも出来ないし1番綺麗で大人しいところなのにどうしてこう厄介ごとばかりなのかなぁ?」
「まぁ、どうにかなるだろう。後は捺輝任せになるけどな。」
当本人だと思われる捺輝を無視して進められた会話に捺輝はさらに戸惑う。
「なんなんだよ、2人して…」
捺輝の不安そうな声に流と昴は経緯を話してくれた。
「あのな、捺輝。この前赤の間があっただろう?その次にある間はお前が司ってる'宇'の創り出した緑の間なんだ。しかもそいつは毎回毎回厄介な処に現れるんだ。しかも今回はもう開いてる」
「厄介な処?」
「うん。…今回はね、捺輝。あなたの心の中に開いてるんだと思う。夢で見た、と思ってる場所は実はあなたの心の中に開いてしまった緑の間だったんだよ。そして…アルテミス、って言うのは…」
「…緑の…間の主、ってこと…か?」
おそるおそる放たれる音。その音に昴は静かに首を縦に振る。
「う・・・そだろ?あの子が間の主なんて…あの草原も、俺が見た景色全部、間の中だ、って言うのか?なぁ、昴!!」
取り乱す捺輝。昴は捺輝を落ち着かせ重い口を開く。
「そうだよ。綺麗な景色だったでしょう?緑の間はね、赤の間とは正反対に創られてるの。別に故意でそんな風に創ったんじゃないけど…'宇'は心から平和を願う優しい人だったの。攻撃は出来ないけど回復能力なら誰にも負けないほど、とても優しい人。そんな'宇'が創った間だからアルテミスだって危害を加えるわけじゃない…」
「ならっ!!なんで、閉ざさなきゃいけないんだ?危害を加えないのなら、開いていてもいいじゃないか!!」
荒げた捺輝の声に、流が厳しく声を出した。
「捺輝!!いくら危害を加えないからって言ってもな、霊は霊なんだ!!」
その言葉に捺輝は何かが切れた様に動きが止まった。その捺輝の反応を見て昴がまた口を開く。
「流の言う通りなの、危害は加えなくても霊は霊。しかも今回は捺輝の中にある。封印しなければ、あなたの命にかかわって来る。だから…閉ざさなくては」
だが捺輝はもう既に言葉が自分の中には入っていってなかった。
(あの子が……アルテミスが…緑の間の主…)
しだいに捺輝の意識が遠退いていく。
「私たちは他人の心の中には入れない。だから、緑の間は捺輝1人で閉ざさなきゃいけなくなってくるの、でも忘れないで…アルテミスは………」
昴の声が幻のように聞こえては消えていく。その声はしだいに遠く、とおく…―――――― ―――――また、目が覚めた。今いるのは草原…泉のそばの叢に捺輝は寝転がっていた。そして昴の言葉を思い出す。ここは緑の間、アルテミスは…間の主。わかってはいるけど。
「あの子を…封印するなんて事…」
捺輝は首を振った。考えたくもなかった。
「そんなこと…できっこねぇよ!!」
そんなことを思いながら捺輝は空を見上げた。相変わらず真青な空。吹く風が気持ちよかった。そしてふと、昴の言葉が気にかかった。
「アルテミスは…その後、昴はなにを言いたかったんだろう?」
だがすぐにそんなことは忘れてしまった。捺輝は静かに目を閉ざし、光を浴びる。しばらくはそんな穏やかな感じに包まれていたが、ふっ、と目の前が暗くなり捺輝はゆっくりと目を開いた。するとそこにはあの少女、アルテミスが捺輝の顔を覗き込んでいて、目が開いたことに気づき、ぱっ、と顔を赤くした。
「こんにちは、捺輝君」
甘い声の少女はあどけない笑みでそういった。その笑みが一層捺輝を辛くする。
「?どうしたの?」
心配そうな少女。
「なんでもないよ」
慌ててそう答えるとぱっ、と笑顔が少女に戻る。そして、持ってきていたバスケットを捺輝の傍に置き、舞いを踊りだした。あの時のように…その舞いがあまりにも綺麗で、この子が本当に間の主なのか?と疑い…いや、捺輝はそう思いたくなかった。けれど、あいかわらず少女は舞いを続けている。妖精のように…風のように、その舞いが終わって少女は捺輝のとなりに座る。捺輝は重い口を開いた。
「君が間の主だったんだね、何故、俺に近づいたんだ?俺の傍にこなければ封印されずに済んだだろうに、何で……」
捺輝の言葉に少女は笑った。
「間を封じるための役目を持った人が言うセルフじゃないね。…私が来たのはね、封印されるため…'宇'であるあなたに…」
その言葉に思わず涙が出そうだった。
「封印…されにきたの…か?」
「そうよ」
少女は持ってきたバスケットからサンドウィッチを取り出し捺輝に手渡した。捺輝は促されるままそれを受け取り少女は捺輝の前に立ち上がった。
「ここの間、綺麗でしょう?でも、いつもこんな風じゃないの。ここは'宇'を司る人の心によってその姿、形を変えるの…この間がこんなに綺麗なのも捺輝君の心がとても綺麗だから」
少女は笑う、まだあどけない笑顔で。何で…捺輝もすっと立ち上がった。
「…んで、何でだよ、何でそんな風にいえるんだよ!!」
すっ、と頬を流れる1筋の涙、少女は近づいてそっ、とそれを拭う。
「だった、それがあたしの運命(サダメ)だもん。捺輝君にもあるでしょう。あたしは存在してはいけないの。だって…もう死んでいるのだから」

「―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――」

時が止まったように感じた。昴の言葉の続きがわかった。あれは
(「でも忘れないで…アルテミスは…もう死んでいるものなのだから」)
「捺輝…くん?」
少女の声に捺輝は振り向けなかった。溢れ出るものを止めることが出来なかったから。けれど、それを一生懸命に拭い、捺輝は少女のほうを向き、きいたのだ。
「いいのか?…本当に」
捺輝の声に少女は頷いた。その表情を見て捺輝は少女に抱きついた。
「好きだったんだ、きっと。1目見たときから、だけど…駄目なんだな」
少女…アルテミスはそっと捺輝に囁く。
「踊り…綺麗、って言ってくれて有り難う。嬉しかった…」
アルテミスは静かに目を閉ざす。捺輝の肩に緑色の透き通った光が'宇'の文字を浮かび上がらせた。
「………間鍵閉」
言葉と共に腕の中にあるものが薄くなっていく、そのとき捺輝の耳にそっと、甘い声が入ってきた。
「さよなら……大好きな捺輝君」
そしてアルテミスはその姿を無くしたとき捺輝の手には緑色の鍵があった。
「封印完了…」
呪文と共に辺りの草原は消えていく、ゆっくりと。扉が静かに閉まっていったような気がした。…緑の間が閉ざされたのだ。―――――――――――――――――――――――

「…つき、起きろよ捺輝。大丈夫か?」
「えっ?」
洸吾の声に目を覚ました捺輝は、涙が頬に流れているのを知り慌ててそれを拭った。
「どうしたの?大変だった?」
昴の問いにアルテミスのことを思い出しながらも、
「別に・・・なんにもないよ、大変じゃなかったしな」
「そう…」
昴の声に そうだよ、と返事をし、笑みを浮かべる捺輝。そんな捺輝に飲み物を取りにいくといって洸吾が出ていき、昴は流を呼びにいくと言って、捺輝が部屋に一人になったときだった。
「バイバイ、捺輝君」
「えっ?」
ハッ、と宙を見る、が誰かがいるわけでもなく気持ちだけが空回りした。
「気のせいだよな…さよなら、アルテミス」


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