伍ノ章...物井 要

夙の案内で物井の敷地から出る寸での所で、要は足を止めた。
「なぁ、夙。精はまだ眠り続けているのか?」
要の言葉に少々戸惑いながら、夙は言う。
「精様は12の時から一度として目覚めた事は御座いません。幸神座様は毎日通っておられる様ですが、未だに...」
「そう。か...」
要にして見ても、精には謝らなければいけない事が沢山有る。もし、自分が当主と成っていれば、或いは精はああは成らなかっただろう。けれど、俺は一族を棄てなければ為らない理由があったのだ。と自分に言い聞かせる。誰に言える訳でもない。相談出来るものでもない。其れ所か、誰にも知られてはいけない事だ。
紡ぎかけた言葉を押し殺し、要は懐かしそうに、済まなそうに己が前の家を見つめる。悲しい呪いに犯されている家を。
「突然訪れて悪かった。嫌な思いをさせてしまったな。どうしてももう一度此処に来てみたかったんだ。幸神座の顔も見たかった」
「要様...」
夙が気の毒そうに要に声を掛ける。其れを知ってか、要が軽く笑う。
「もう俺に様を付ける必要も無いだろう。それじゃぁ...」
哀しそうな笑みを浮かべ、要は物井の敷地から出て行った。夙は其の後姿を、ただただ、見送ることしか出来なかった。

                              †

(只、一人一人が自分の思い描くように進んでいるだけだ。最良の道を目指して...其の意見が食い違ってしまったのだから、もめるのは当たり前なのかも知れない。)
物井の敷地からそう離れていない場所で、要は足を止め、煙草に火を付けた。緩く立ち上る白い煙。ふぅ、と一息入れて、いろいろな事を思い出す。物井家を棄て、是までの年月を...

物井家に掛けられた呪いは『種呪』
人と交わり、子を成そうする時、契った相手にも、其の呪いが伝染していってしまう。けれど、そうしなければ、物井の血が途絶えてしまう。 
他人を犠牲にしてまで血流を守るか。呪いを拡げずに、血を絶やすか。どちらかの選択しか出来ないのだ。

幾ら探しても、此の呪いを解く方法を知る事は出来なかった。
呪いを掛けるために存在する一族が掛けた呪いだ。そう簡単に解けたならこんなにも永く縛り続けられてはいない。
蒸かした煙草が、只無常に時が過ぎるのを知らせてくる。残された時間は後どれほどなのだろう。わからない...
そんな風に彼是を思案していると、ふいに、
「要...さん?」
掛けられた声に、俯き加減だった顔を上げる。
其処に立っていたのは、幼い頃よく相手をしてやった裄次稜だ。
「あ、やっぱり要さんだ。帰って来てたんですね」
「あぁ。今幸神座に追い出された所だ。まぁ、仕方ないことだがな」
ゆっくりと煙草を口に運ぶ。細く吐き出された煙が、天に向かって昇っていった。
短い沈黙が訪れる。
「煙草。吸うんですね」
「あぁ。嫌なら消すが」
「いえ、別にそういう事ではなくて...只、意外で」
「意外?そうか?」
「えぇ。能力者はあまり好まないと幸神座に聴いたものですから」
あぁ。と、要が答える。
「俺にはもう関係無いからな。それに、煙草を吸うと逆に能力が上がる奴だっているらしいぞ」
そうなんですか?と言う稜の言葉を最後に又沈黙が降り立った。
「まだ...」
「えっ?」
不意を付く要の台詞に稜は要を見やる。其の目線の先には稜では無く、空を只見つめる要の姿。
「まだ、幸神座を護ってやってくれているのか?」
其の言葉は要がまだ幼い稜に言った台詞への質問だ。
だが、稜は其れに答えられなかった。俺は幸神座を護れているのだろうか?と感じずにはいられない。
「........................」
其の姿を見て要は少し苦笑し、稜の頭を撫でる。
「悪かったな。あんな言葉にいつまでも縛らせちまって」
大きな暖かな手は、総てを見透かし、総てを知っていそうだった。
「要さん」
「護らなくていい。何て事は言えないが、必死に成らなくても良い。あいつの傍に居てやってくれ」
優しい瞳。其の姿は昔のままで、少しも変わっていない。
「其のつもりです。幸神座が幾ら言っても離れてやりませんよ」
要に答えるかの様に稜は答えた。其の表情を見て要は満足そうだった。
「そうか。...じゃぁ、俺は行くな。其れと...俺と話した事は幸神座には言わない方が良い。吉凶が言わない限り気づかないだろうからな」
「要さん」
立ち去ろうとする要を稜は呼び止めた。
立ち止まった要は稜を凝視する。
「もう...戻ってはこないんですか?」
真っ直ぐな稜の意見。要は只苦笑するしかなかった。
「さぁなぁ。此処は俺が生まれ育った家には違いないが、俺は其れを捨てた人間だ。当主が嫌がる以上戻っては来れないだろう。それに...」
胸の内で紡いだ言葉が音になる事は無かった。要はもう一度稜の頭を乱暴に撫で、其の侭物井家を背に立ち去っていった。
「誰もが最良の道を探して生きている。けれど食い違うのは、一人一人のやり方が違うからだ」
そう、呟いて...
稜は只、其れを見送ることしか出来なかった。




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