肆ノ章...裄次 稜

ぱたん。と扉を閉め、力なく肩を落とす。稜は小さく溜息を付く。
「全ての者が、救われる。なんて、虫が良すぎるのかな」
先程呟いた言葉を今更ながらに後悔する。
「俺に出来る事なんて、何も無いんじゃないかなぁ」
思い知らされる。何も出来ない自分を。何の力も持たない自分が今、この場にいる事自体、場違いなのかもしれない。
「それでも...俺は幸神座を救ってやりたい。幸神座だけじゃない。この一族の者達も。だけど...何の力も持たない俺に何が出来るってんだ?」
言葉に紡がず只繰り返す。手に握られた吉凶からの手紙はくしゃくしゃになっていた。それに気づき、慌てて手の力を緩める。
パサッ。と、緩めすぎた手から手紙が落ちた。あっ、手を伸ばしはしたが、風の悪戯で廊下から庭へと落ちていった。思わず溜息が出る。
しかたなく廊を降りようとした時、庭の方から歩み寄る姿があった。
「何やってるの?稜」
現れたのは先程吉凶と会う前に会っていた幸神座だった。
幸神座は稜が落とした物を拾い、手渡す。
「吉凶に聞いた事でも書いてあるみたいだね」
あぁ、と肯定し、其れを受け取る。
「不安なの?」
突然、幸神座の口から紡がれた言葉にビクッ、と躰が反応してしまった。
顔は合わせられない。総てを見透かしている様な幸神座の黒曜石の瞳を...見れない。
けれど其れでは肯定の証と同じ意味になる。
俺は一体、何に怯えているんだ?と自分自身を奮い立たせる。
「稜?」
首を傾げ、相手の反応を見守る幸神座の呼びかけ。其の声でやっと顔が見れた。
「不安...って言うか、なんて言うか...わかんねぇや」
必死で逃れる道を探す。今、此の場だけでいい。今、どれだけ情けない顔をしているか、火を見るより明らかだ。だから...
ふわっ、っと幸神座の顔に笑みが浮かぶ。とても優しい笑みが...
「さっきとは大分違うね。其れとは関係なさそうだけど...」
稜の手に握られている手紙を指してゆっくりと幸神座は近づく。其れを拒否するかの様に半歩後ずさりをしてみるが、其処で足が止まった。
真白な綺麗な手が稜の頬に触れる。其れだけで、今まで心の中を支配していたあらゆる感情が消えていく様だった。
幼い子供の様に、稜は俯いてしまう。其の姿に幸神座の笑みは苦笑交じりになってしまった。
ばっ、と稜は幸神座の肩を掴む。顔は下を向いたまま。
「悪い、幸神座。今日はもう何も言わないでくれ」
手が震えているのがわかる。少しでも声を掛けたら泣きそうな位に...
暫しの沈黙。時が止まっている様でもあった。が、急に稜が顔を上げ、幸神座を解放する。
「俺、帰るわ」
そう言って廊下を静かに歩いていく。幸神座は何も言えず、ただ其の後ろ姿を見送った。

                              †

家路に向かう途中で、稜は先程吉凶から受け取った手紙に再度目を通した。
稜が吉凶に頼んだ先見。それは、自分の一生について...
通常、自身の未来を知りたがるものは多いだろうが、其の反面、怖くて見られない者が大半だろう。
けれど、稜は如何しても知っておかなければ為らなかったのだ。此の先の自分の未来を。
「俺には特別な力なんて物は無い。だからこそ、未来は必要なんだ」
例え、其処に何が書いてあっても、受け入れる覚悟はある。そして、未来は変えられるのだと、信じさせたい。
無意味な事だとは判っている。けれど...幸神座も吉凶も救ってやりたい。
此処に記された未来が起こらなければ、救えるかもしれない。
だから、自らを実験台にする。吉凶も判っていて、此の未来を渡してくれた。
「滅びさせやしないさ。あの一族を...」
握りしめた拳の中に有る紙。其れの最後の一文にはこう、記されていた。

【鍵握るは、其の心に真を映す者也。一族にして、一族に非ず者。人にして、人に非ず者。其れもまた、鍵を握る者也。】




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