飛白

玄関の引き戸を開けて少女を中に入れる。
流石に濡れたままの格好で中に入るのは、あとで掃除が面倒だ。
鞄の中からハンドタオルを取り出、し自身の服についた水滴を叩き、中に入ってバスタオルを持ち出す。
依然なにも喋らない少女にふわり とタオルを被せる。
「これで身体拭いて、ちょっと待ってろ」
そういって、とりあえず少女が着れそうな服を探す。
あるわけないよなぁ。と思いつつ探していたが、案外あるものらしい。
見つかったのは祖母が取っておいたと思われる自分の幼いときの服だ。
男物ではあるが然程問題はないだろう。
とりあえず濡れた服を脱がして風呂に入れることにしよう。
自分のと少女の服を抱え玄関に戻ると、ぎこちなく少女がタオルを動かしている。
ふぅ。と軽いため息をついて、その動きに協力してやる。
「寒いだろ?暖まったほうがいい」
小さな少女をひょい、と抱え、俺は洗面所に向かった。
風呂は沸かしていないからシャワーしかないな。
と、ふと思った。
この子は一人では入れるのか?
「一人で大丈夫か?」
一応声を掛けてみる。が、少女は案の定首を横に振った。
おいおい、勘弁してくれよ。
今日は厄日か、俺?
盛大なため息をついてみるがどうにもならない。
仕方無しに少女が服を脱ぐのを手伝ってやり、一緒に入る羽目になった。
といっても、俺は服を着替えただけであって、シャワーを掛けてやっただけなのだが...
「熱くないか?」
少女は首を縦に振る。
そうか。といいながらぎこちなく身体を洗ってやる。
本当は暖めてやるだけのつもりだったが、よく見ると転んだような後がいくつかあり、洗ってやることにしたのだ。
「転んだのか?」
傷に泡がつかないように注意を払って洗ってやる。
少女はこくんと頷いた。
何故この少女は喋らないんだろう?
…………………………
もしかして、喋れない?
ざぁぁ。とお湯を掛け、タオルで包んでやる。
少女はくすぐったそうにやっと笑みを見せた。
ほっとした俺は、持ってきた服を着せてやる。
少し大きいようだが、まぁ、問題ないだろう。
着替えを済ませて居間へと少女を連れて行く。
雨はもう止んでいるようだ。
夜独特の涼しさが家の中を駆け巡っている。
俺は台所に立ち、何か軽いものを拵えて少女の前に出す。
「腹、減ってたら食べな」
小さめな箸を手渡してやると、案外器用に食べ始めた。
一安心すると、今度問題なのは身元だ。
最初は怖がって喋れなかったのかと思ったのだが…
「なぁ。喋れ…ないのか?」
恐る恐る聞いてみる。
どうやらこちらが何を言っているのかはわかるらしかったので。
すると少女はこくんと頷いた。
はぁ、本当に今日は厄日か?
この状況でどうしろって言うんだよ。
その姿の俺を見て、少女は箸を止め、それから辺りを見渡す。
何か探しているようだ。
「ん?どうした?」
聞いてみると何やら何かを書くような仕草をしている。
もしかしたら…
「言葉、書けるのか?」
小さく少女が頷く。
どうやら最高の厄日ではなさそうだ。
俺は立ち上がって手頃な紙とボールペンを取り出し、差し出してみる。
少女はたどたどしいながらも字を懸命に書いていく。
それを見る限り、字が書け出したのは最近なのだろう。
ということは、だ。
例え文字が書けたとしても、自分の住所など書けるのだろうか?
ひょい、と少女が書く紙を覗いてみる。
案の定平仮名だけの文章。
いや、文章と言うより単語が並んでいるだけだ。
書けることを見せるだけに書いたような文字のようだ。
やっぱり厄日だ。今日は…
ふぅ。とため息をつく。
どうやってこの少女の家を探したらいいのだろうか。
あれこれと思案していると、くいっ、と袖を引っ張られた。
「ん?どうした?」
上を向いていた顔を少女に向けると、紙を差し出しているのがわかった。
紙の上のほうには何やら失敗した文字が黒く塗りつぶされていたが、真ん中のほうに一つ文があった。
『ありがとう。』
その文字に自然と笑みが浮かぶ。
いつ振りだろう。
こうやって人と接するのは。
こう笑っていられるのは。
祖母が死んでからしばらく笑っていなかったっけ…
俺は少女の頭に手を載せ、軽く撫でてやる。
家の前にいたときの怯えはもうない。
と、そうだ。肝心なことが…
「お前、名前なんていうんだ?」
いつまでも知らないとどう呼んでいいかわからない。
それに名前くらい知っておけば何かの足がかりにでもなるだろう。
それを聞いて少女はまた紙に書き始めた。
そして、手が止まるのを見て紙に目を移す。
「る、る。るるか。かわいい名前だな」
少女に言うとにっこりと微笑む。

そして俺達の奇妙な二人暮しが始まった。


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