飛白

夕方、帰りに突然降ってきた雨。
だが、今はそれに濡れたい気分だった。
別に失恋したとか、職を失ったとか、そんな理由ではない。
と言うより、理由なんかなかった。
ただ、雨に濡れていた。
帰っても誰もいない家。
『おかえり』も『ただいま』もだいぶ永いこと使っていない。
一人が気楽で好きだった。
今更誰かと一緒だなんてめんどくさい。
独りじゃ生きていけないわけじゃない。
俺はいつも独りだったし…
とまぁ、こんな具合になってしまうと決まって悪い方向にしか行かない。
まったく、どういう癖なんだか…
ふぅ。と、一呼吸おいて家に向かって歩き出す。
あの、誰もいない静かで寂しい家に…
かといっても、1Kのアパートに暮らしているわけではない。
傍から見ると結構いい家柄に見える日本家屋だ。
独りで暮らすにはでかすぎるんだが、生憎ここしか住むところがない。
親は物心つく前に死んでいるし、数年前、この家の世帯主だった祖母が死んで、今は独りなのだ。
駅から遠いし、近くに店もないが、自分でも案外この家は気に入ってるし、まぁいいか。と暮らしている。

雨はまだ相変わらず降っている。
先程よりかは弱まってはいるが、まだ止みそうな気配はない。
まぁ、家に帰ってすぐに風呂にでも入れば風邪は引かないだろうと高を括っていたし…
実際問題、このあと風邪は引いてはいない。
引いてはいないが、一つだけ計算違いなことが起きた。
家に近づいて、いつもの様に門をくぐり抜けようとした時、目の端に不思議なものが飛び込んできた。
別に今日が雨の日ではなく、今の時間が遅くなければ別に目に留まるようなことではないのだが…
目に映ったのは蹲った小さい子供の姿。
門にある屋根で雨を避けているようだが、しっかりと濡れている。
しかも動かない。
ちょっと勘弁してくれよ。
何でよりによってここなんだ?
ほかにも行き着く場所はあるだろうに…
だが、そのまま無視するわけにもいかず、俺は仕方なく声を掛けることにした。
「おーい。生きてるか?」
呼びかけに返事はない。まさか本当に…
「親御さんが心配するぞ?」
声を掛け、前屈みのような状態で肩に手を掛けると、ビクッと体を震わせて幼い顔がこちらを向いた。
さすがにその反応に自分自身も驚いた。
「悪い悪い。脅かしちまったな。それより、ここで何してるんだ?帰んなくていいのか?」 少女…だろうか。未だに怯えている細い身体に大きな目。
震える以外の行動は何一つとらない。
俺はふぅ。と一つ小さなため息をついて、前屈みの姿勢を戻し、今度は少女の目線に合わせてしゃがんだ。
「とりあえず、中に入んな。身体乾かして、その後送って行ってやるから。な?」
少女は何も言わない。ただただ怯えている。
この凝り固まった猜疑心をどうするかだ。
だが、考える前に手が動いていた。
ポンッと少女の頭に手を乗っけて撫でてやる。
そのとき、自然に笑顔が出ていることに、自分では気がつかなかった。
「寒いんだろう?大丈夫。何もしないよ。おいで」
やっと少女に少し反応が見られた。
怯えている様子はまだいくらかはあるが、警戒心はいくらか解けたらしい。
「良し、行くか」
少女の手をとって、門の中へ入っていく。
少女の手は雨に体温を奪われとてつもなく冷たかった。


戻る 進む
copyright © kagami All RightsReserved.