日々の呟き、日記のセクションです。いまだかつて3日以上日記をつけられた試しはないのですが、まあとりあえずやってみましょう。けっこう口は悪いかと思いますが...





8/4/'00
ずいぶん久しぶりに映画を観に行った。シェイクスピアの「真夏の夜の夢」。ここのところ映画情報にめっきり疎くなっていたのでこの作品のこともほとんど知らなかったのだが、かえってそのおかげで楽しめたような気がする。いくら映画そのものがすばらしい出来でも事前にあまり詳しく内容を知ってしまうと新鮮味がなくなってしまって、何も知らずに観ていたらもっと印象が強かったかもと思うことも少なくないので、もともとあまり自分から情報を求めることはしないのだが、困るのは映画館で観るほかの「近日上映」映画の予告。そのときに初めて知って観てみようかな、と思うのはいいのだが、数十秒の予告の中でその作品のあらすじをほとんど見せてしまったり、物語の鍵になる重要なせりふを(ご丁寧に日本語訳つきで)抜き出したりするのは野暮としか言いようがない(「ミッション・インポシブル」の予告のトム・クルーズの一言には弟と二人で憤ったものだった)。観客の興味をかき立てて観たい気持ちにさせるのと「この映画はサイコ・サスペンスと見せかけて実は感動の大作です。泣く用意をしてきてください」と言うのは違うことだと思うのだが。
ともあれ「真夏の夜の夢」。出演陣も豪華だが、画面からこぼれるほどの豊かな色が何とも美しい。森の中や妖精たちの宴会のシーンには頭がくらくらするくらい。この美しい映像だけでも一度見る価値はあると思うが、どうだろう。個人的にはパック役のスタンリー・トゥッチがお気に入り。...やっぱりおじさん。

12/2/'00
ずっと気になっていた「遠藤周作の世界展」を、町田市立国際版画美術館に見に行った。開催されていることは月初めに知ったのだが、すぐ近くと思って油断しているうちにいつの間にか翌日が最終日。とはいえ彼の作品には読んだと言うのも恥ずかしいほどわずかしか触れていない。大学の学士・修士通して研究テーマだったグレアム・グリーン関係の資料の中に同じくカトリック作家だった遠藤氏の評論も幾つかあって、ずっと気にはしつつも、生来のぐうたらな性格のため数年前ふと「深い河」を手に取るまでちゃんと長篇を読んだこともなかったのだった。

没後三年の今この展覧会がこの美術館で開かれた理由は、遠藤氏が町田市玉川学園に20年以上も居を構えていたことが大きい。有名な「狐狸庵」と名付けられた家だ。これも実のところ、今回初めて認識した事実。「狐狸庵先生」が一大ブームになっていた頃は、町田であろうと渋谷であろうとまだわたしには漠然と「東京のどこか」くらいの遠い場所でしかなかった。わたしが住み始めた頃は氏は既に居を引き払って渋谷に越した後だったし、場所的に少し離れてはいるものの、「そうか、遠藤周作がすぐ近くに住んでいたんだ」と思うと何か不思議な気がする。
展示品の中には「沈黙」を読んだグリーンからの「英語版を出版するならぜひこれこれの出版社から」と熱心に勧めるものと、出版がうまく運びそうなことを喜ぶ2通の書簡、あまつさえ偶然ロンドンで出会った際に撮影された二人が並んで座った写真まであって、その幸運を純粋に喜んでいるような彼らの表情にほほえましいものを感じると同時に、二人の作家の間にそんな交流があったことさえ把握していなかった不勉強なわたしも、そろそろもう少ししっかり遠藤周作を読んでおくべき時期なのかな、と思う。

ものであれ人であれ、ちょっと不思議な縁のようなものを感じるときがある。何かでふと出会ってあっと思っても、他のさまざまなことに紛れてそのまま忘れ去られてしまうことが多い中で、2回、3回と繰り返し巡り会うものがある。それぞれは全く関係のない情況なのに、頭の片隅に残ってはいても何となく手付かずにし続けていたそれを手に取るまで辛抱強く待っているかのように繰り返し、繰り返し現れる。グリーンがそのいい例で、2本の論文でさんざん苦しめられてから何年もたった今でさえ、思い掛けないときにふいに目の前に現れては、忘れてないだろうね?と改めて確認され続けている。長い間別々に活動していた昔の仲間達と久しぶりに仕事をしたあるミュージシャンが「僕達は同じ卵の表面をそれぞれ好きな方向へ歩いているようなもので、その道筋はタイミングさえよければ何度でも交差する」というようなことを言っていたが、それにも似ているかも知れない。
美術館を出て外の公園の6分咲きほどになった紅梅を見上げながら、そういえば中学の頃、母が「今これを読んでるの」と見せてくれた本も遠藤周作だった、と思い出した。普段彼女は特にこれはいい本よ、と勧めたりはしないし、当時のわたしにはその内容は難しすぎたけれど、それからも彼の名前や作品は覚えておいてね、と言わんばかりに何度も念を押しに戻ってきた。

翌日、友人の川名みずきさんにふとこの展覧会の話をしたところ、何と彼女も一時期遠藤周作を読みふけったという。どうやら狐狸庵先生は結構しつこい性格らしい。


15/1/'00
田舎の母から、地元で取れた野菜がどっさり送られてきた。白菜を包んでいた新聞紙を開くと、目の前に薄黄色の虫。いそうな気がしたのでさして驚きもせず、寝床から速やかに退去願ってさて白菜...が、福島から東京へ運ばれてくる間旺盛な食欲をいかんなく発揮したと見えて、あちこちに食い散らかした跡と落とし物が。仕方なく外側の葉をはがして洗いにかかった。ところが外の2、3枚と思っていたものがはがしてもはがしても落とし物だらけ。そう大きくない虫だったので、いくら何でもこれはおかしい...でも一枚ずつざぶざぶ洗いながら点検して結局ほとんど最後までむいてしまっても、2匹めがいる様子はない。まあいないならいないでいいけど...と思いつつはがして並べておいた葉を一枚ずつ集めてもう一度まとめ、水を切る。あ、しまった一番外側の一枚を忘れてた、とそれを取ろうとして見ると...わあ。そこにはさっきよりずっと大きい茶色いのがのほほんと鎮座ましましていた。葉っぱに載せたまま外に持っていって、はいさようなら。

1、2枚取って使うつもりだったのが予想外の大仕事になってしまったため、ああもう面倒臭い、いまいましいったら、と思いながら、ふと何だかおかしくなった。ちょうどその日、昼間の番組で遺伝子組み替え食品の特集を見ていて、虫が食べたら死んでしまうような野菜よりは、多少虫に食われても自然のままのものがやっぱりいいに決まってる、と思ったばかりだったのだ。
人間て、勝手。



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