大木5式土器

1図 2図 3図 4図 5図

 上の(1図)は前期の土器、大木5式である。実にユニークな紋様である。 この時期、土器の器形は4単位を主とした波状口縁と平縁があり、口縁部は外反して開く。 紋様は貼付文による波状文が普及する。また沈線による波状文もみられる。 大木2式から見られる貼付文は次第に発達し、大木4式には細紐を小波状文にし口縁部を飾る。(2図)格子状の貼り付け文がパターン的に器面覆う。ハート形の文様もみえる。また環状の突起も現われてくる。
 大木5式に入ると細紐の線はより太くはっきりとしたものに変わり、波状文はうねりを増し横位、縦位に発達する。この時期、貼付文は一気に勢いづくように体部広範囲に展開する。波状文を駆使したり格子文を取り入れたり、また口縁部には環やアルファベットのを思わす突起がつく。(3図)全体的に力強く大胆なモチーフが印象的である。
 これらの構図は一見無作為に見えるがかなり意味心であり意図的である。 縄文時代前期、東北南部の文様の特長はこの粘土紐を貼付る波状文の発達にあると言える。そして大木5式は波状文の頂点に達する時期と位置付けられる。
 波状文をベースにしたいくつかのパターンが見られる。(4図) 二列の波状文が平行に5、6節続き結び付くもの。二列の波状文が船の形に見えるものなど、パターン化して器面を一周する。これらは松島湾から北の内陸方向へ奥深く分布するもので、単なる幾何学文様ではあるが距離を隔ていても実に共通したモチーフを誇示するのである。
 粘土紐による波状文は宮城県松島町大木囲貝塚、西の浜貝塚、長者原遺跡、糠塚貝塚、などの北上川中、下流域の貝塚をはじめ岩手県中島遺跡、山形県押出遺跡、秋田県仙道遺跡など広範囲に見ることができる。その代表的な遺跡に糠塚貝塚がある。(5図)は糠塚貝塚出土の土器である。山形紋を発展させた最盛期の髄品である。
■参考文献■
宮城の研究1(考古編)「大木土器について」興野義一