プロローグ・アンドリュース一家


漫画の原作を書く、ということはわたしにとって「仕事」という感じではありませんでした。楽しい「世界」で遊んでいる…それが現在も「作者」としての自覚のなさにつながっているのかもしれません。漫画の原作についてお話する前にぜひ「アンドリュース一家」を紹介しなくてはね。

「アンドリュース一家」はわたしが12歳、中学一年の頃、作り出した「半架空」の家族です。半分だけ架空というのはこれはわたしが考え出して友達におしつけた遊びで「アンドリュース家」の家族には友達のモデルがあったのです。わたしは次女の「ナタリア(ナナ)・アンドリュース」。ナナにはハンサムな兄、利口な姉、おしゃまな妹にかわいい弟がいました。

パパは包容力のあるひとで、ママはやさしく美人。隣人や兄姉の友達まで設定した大がかりな遊びでしたが、すぐにすたれました。熱中していたのは悲しいことにわたしひとりだったからです。わたしはめげずにひとりでも「アンドリュース家」の見取り図まで作り、彼らの日常を綴っていました。兄の新しい車、姉の失恋、……。たわいない、けれどもゆったりとした日々が描かれた「アンドリュース家」のノート。今もそのノートは家のどこかに眠っているはずです。

「アンドリュース家」は当時の人気テレビ番組「パパは何でも知っている」や「うちのママは世界一」をモデルに描いていたのは確かです。いろいろな事件は起こるけれど、その都度家族みんなで考え、「まっとうに生きること」がドラマのテーマでした。

それにその頃、アメリカのティーンを描いたジュニア小説がたくさん出版されていて、「卒業パーティー」「ダブルデイト」……知らない世界に足を踏み入れた気分でわくわくしながら何冊も読みました。今でも、青春ドラマは大好きです。

けれど、「アンドリュース一家」のノートは長くは続きませんでした。わたし自身あきてしまったのでしょう…。

たぶん「テラスのいすをなおして」とママがパパに頼むところで、ノートの文章はとぎれているはずです。

19歳で「女学生の友」(う〜古い名前の雑誌!)で少女小説を書きはじめたわたしは、難しいテーマに挑んでいました。「愛する人をどこまで信じられるか」_____

デビュー作「甦りそして夏は……」は、心の空白を埋められない少女が偶然知り合ったやはり絶望を抱える少年と心中し、ひとり生き残ってしまう……その少女のもと弟のことを尋ねにきた兄。その兄との恋のお話です。その兄に少女がいくら「あなたの弟とは初めて会った」と言っても「なんで初めて会った男と死ねるのか」と、どうしても信じてくれず、兄は故のない嫉妬に苦しみ、少女は「見えない真実」をわかってもらおうとして疲れ果ててしまう……(う〜ん、しんどい話書いたなぁ)そのデビュー作は短編で思いが残ったので、その後「海に落ちる雪」(集英社コバルト文庫)として長編に書き直しました。「とてもとても愛しあっていても、実らないこともある…分かり合えない事もある…分かれなくてはならないこともある」そのテーマが、キャンディとテリィにもつながったような気もします。それはいまもわたしの変わらぬテーマのひとつです。



ジュニア小説の依頼は漫画雑誌からもきました。当時は漫画雑誌のなかに小説があったのです。そのうちに「別冊少女フレンド」の編集長だったローランド氏(もちろんわたしがつけたあだ名です。)から漫画の原作を書く仕事を依頼されたのです。



「アンドリュース一家」……

漫画の原作を書き始めて、わたしの目の前に突然、「彼ら」がよみがえってきました。「彼ら」はコートダジュールの「ジュヌビエーヴ」に、フィンランドの「ルチア」に姿を変えて現れ始めたのです。わたしは行った事もない国を思い描きながら物語を紡ぎだしていきました。映画のシーンをおうように…


「アンドリュース一家」……わたしは彼らにずっと、いまもって見守られているような気がします。わたしの漫画原作の原点。

12歳のあの頃……わたしは父親を失ったばかりでした。二年間も患っていたのだからまさかのことを覚悟していてもよかったのに、わたしは自分の親だけはけして死なないのでは……とどこかで思っていたのです。悲しみより驚きのほうが強かった……そんな透明な悲哀を癒してくれたのが「アンドリュース一家」だったのかもしれない、と今思います。そして、十年後、一人っ子のわたしは母も失いました。そのときも驚ききったわたしを癒してくれたのが「キャンディ」だったのです。



わたしは、今もアンドリュース家の次女、ナタリア(ナナ)のような気がします。そして、わたしのもうひとつの家族、あの家のテラスのいすは、まだ壊れたままなのです。



そう…これはまだキャンディに出会っていなかったころのお話です。

(C) Keiko Nagita
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