赤毛のアン」にであったのは小学5年生のころです。それから夢中になって「アンシリーズ」にひたっていきました。自分はずっと「アンの腹心の友」だと思っていたのですが、10年ほど前からアンの島、プリンスエドワード島と深い縁が生まれ、そこで「筋金入りのアンのファン」ローリー・アンジェリーナ(わたしがつけた愛称)と知り合ってから、恐れ多くて「アンのファン」とはいえなくなりました。
ローリー・アンは「アン」というより作者の「モンゴメリ」を慕ってカナダに移住し、いまは夫のデヴィット・ゴッドリヴァー伯爵(わたしがつけたの)とモンゴメリの生家の近くでティ・ルームを開いています。彼らにあうたび<夢を持ち続けることの大切さ>をそして、<念ずれば花開く>という言葉を思い浮かべます。ローリー・アンはこつこつとモンゴメリの研究をつづけ1997年には5年がかりの大書「赤毛のアンの生活辞典」を完成させました。アンの時代はキャンディのころに重なります。
ファッションからクッキングまでローリーならではの丹念な良い仕事で、後々に残るすばらしい著書です。
わたしがプリンスエドワード島に思い入れを抱くのは、アンの島であることももちろんですが、「赤毛のアン」は「キャンディ」を書く上での「ふるさと」のような作品だからです。当時「週刊フレンド」から「なかよし」に移っていらしたローランド編集長と話していてアンのことになり「そういう漫画を<いつか>やろう」といってくださった時から一つ物語の種が心に撒かれました。「少女名作物語のような漫画」_____
その「いつか」がついにきました。
「<いがらしゆみこ>と組んでみるか?」ローランド編集長からわたしは少し意外な気持ちで<その名前>を聞きました。いがらしさんの作品はずっと愛読していましたが、わたしが知っている彼女の作品のほとんどが<日本のもの>で、わたしがずっと書いていた<荒唐無稽の外国もの>とは違ったからです。
(かえっておもしろいかもしれない……)
わたしはわくわくしてきました。大地に足がついたようないがらしさんの構成力、画力にいつも感嘆していたのです。彼女の漫画はどのコマも手抜きがなくピーンと張り詰めている感じがしていました。いがらしさんも「赤毛のアン」などが好きでわたしと組みたい、といってくれたそうで話はすぐにまとまりました。
担当のムッシュ・ベルナール(もちろん、わたしがつけた愛称)は今でもそうですが、少年のような瞳を持つ文学青年。理知的で冷静なムッシュ・ベルナールと打ち合わせをするうちにわたしなりの「少女名作物語」が固まっていきました。
少女名作物語。
そのコンセプトはみんな同じ。<逆境にも負けず、明るく生きていく少女が、幸せをつかむ>……
けれど、むかしの名作に生きる少女たちは、みんなそれぞれ違います。
「赤毛のアン」のアン……はじけるような聡明さ。強く、健康的で前向きな姿。
「足長おじさん」のジュディ……おおらかでいつも感謝を忘れない素直さ。
「少女パレアナ」のパレアナ……やさしい光のようなたおやかさがみんなを幸せにする。
「八人のいとこ」のローズ……しなやかな愛らしさ。そこにいるだけで、あたたかい…
「秘密の花園」のメアリー……毅然とした強さ。積極的に運命を切り開く心。
「小公女」のセーラ……育ちのよさ。やわらかく澄んだまなざし。
……
こんなわたしの言葉では語り尽くせない彼女たちの魅力。ちょっとあげただけでもこんなにいます。ああ、もっといます。「ハイジ」「孤児マリー」「少女レベッカ」「若草物語」のみんな……集まってきて!
けれど…
わたしといがらしさんが紡ぎ出す「少女」は、このみんなのだれでもなく別の魅力を備えていてほしい…そして、心やさしいステキな男の子たち…
11月でした。
いよいよ漫画家のいがらしゆみこさんと会う日。小雨だったと思います。
わたしはいつも<遅れがち>なのですが、その日も約束ぎりぎりの時間とわかっているのに走れませんでした。<チューリップの初恋>というコートを着ていたのです。わたしは今でも気に入った服に名前をつける癖がありますが、淡いピンク色のそのコートはチューリップ、というだけあって膝上できゅっとベルトでしばるデザイン。つまり、大きなチューリップのなかにくるまれるイメージ…そのコートは母と仲のよかった小林のおねえさんがつくってくれたのですが、へたなデザイン画を渡したときから「これじゃ歩きにくいと思うけど…」と消極的だったのです。それを無理矢理頼んだのですが…その通り、なんとか歩けはしますが、ほとんど走れない…という画期的なコートだったのです。しかし、わたしは<チューリップの中にいる…>とあきれた自己満足の世界に浸っていました。
約束の高田馬場の喫茶店にはもういがらしさんとムッシュ・ベルナールがきていました。
いがらしさんは初対面の挨拶をしてからその<チューリップ>をやおらぬぎはじめたわたしを見ていきなり笑い出しました。
「あぁ〜びっくりした!それコートだったの!?わたし、その服なんで上着だけなんだろう、って思っていたらぬぎだすんだもん!」
すっかり驚かした初対面でしたが、なんだかすぐにうちとけてしまいました。
いがらしさんはとてもきさくでボーイッシュ。ベレー帽(当時はいつもかぶっていました。)がよくにあいました。
「名作少女物語」の打ち合わせはとてもスムーズにすすみました。
今、こんなことをいわれるといがらしさんはいやかもしれません。だけど、いがらしさんはその時「原作は原作者の力を発揮してね、わたしはそれを<いい漫画>にするから……」
そんな事を言ってくれたのです。わたしはとてもうれしかった…。
少女漫画家の多くは原作付きをあまりこのみません。トップクラスの漫画家ほどひとりで描きたがります。いがらしさんはトップクラスの漫画家でした。そういったわりきり方はなかなか出来ないとすがすがしい感じがしました。いがらしさんの漫画のイメージは(「キルト」を着た男の子を描きたい)というもの。「それならばスコットランド移民だね」とムッシュ・ベルナールがいいました。気骨あふれる<アードレー家>の誕生。
いがらしさんが画家らしいそんなイメージをくれなかったなら、キャンディと王子様の出会いがあんなにも印象的にはならなかったでしょう。
余談ですが、後年、スコットランドを旅した時、BandB(民宿のようなもの)に泊まりました。つたない英語でそこのおばさんと話していて、「イギリスのひとは…」といいかけたとたん、そのおばさんが背筋をただし「NO!われらはイングリッシュではないぞよ!スコッティッシュ!である!!!」と宣言するようにいわれた御姿が「おぉっ!エ、エ、エルロイ大おばさま!」と感動したのでした。
いがらしさんは喫茶店で主人公の女の子のラフデッサンをさらさらと描いてくれました。
いがらしさんのお気に入りの名作は「七人のいとこ」そして「そばかすの少年」
「そばかすをつけてみるね」デッサンにさらさら…と、いがらしさん。
「それ、いい!かわいいね!」とわたし。
「うん、おゆみ、それでいきましょう。」ムッシュ・ベルナールは「さあ、はやく一回目の原稿書いてね」しっかりとした編集者としてのひとこと。
連載漫画には「予告」が必要です。「タイトル」と主な登場人物の名前だけでも原稿を書き上げるよりはやくきめなくてはなりません。
主人公の名前…とても大切な名前…
それがとうとう、その日には決まりませんでした。
それから、いがらしさんとはよく深夜、電話で話すようになりました。
原作の進みぐあい、プライベートなこと…もう、昔から知っている友達のようでした。
そんなある夜…いがらしさんがいつもの低い、けれど甘い声で
「ねえねえ、うちのアシちゃん(アシスタントのこと)とはなしてて、いわれたんだけど主人公の女の子<キャンディ>っていうのはどう?」
瞬間、目の前に光が走った感じがしました。
キャンディ…
キャンディス…キャンディ…
「おゆみ!それ、それ、ぴったり!」
わたしのなかでそれまで後ろ姿しか見えなかった子が、その時、くるんと振り返りました。
そして、わたしににっこりと笑いかけてくれたのです。
キャンディと出会った瞬間でした。
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悲しいときも
うれしいときも
目をつぶれば
うかんでくる
白い坂道__
いつか あの道を
ポニーの丘にむかって
走っていきたい
目をとじたままで
花びらの舞う 丘の上
ぱっと目をあければ
王子さま そこに
あなたが立っていて
くれればいいのに
そう
あの日のように__
イラスト集(Part2)より
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「赤毛のアン」の生活辞典 (テリー神川:著 講談社2400円)
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(C) Keiko Nagita |
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