エピソード7・祭りの後

窓の外をメイディの行進が通っていきます。がなりたてるスピーカーからの声。人々のシュプレヒコール。窓からは さんさんとまぶしい生まれたての五月の光・・・・・・

わたしは<劇団四季>の稽古場の窓にもたれて、メイディの行進が通り過ぎていくのをぼんやりとみつめていました。こんなに美しい光のなかで、たまたま黒い服を着ていたことが哀しく気持ちが沈んでいきます。

劇団の研究生たちはみんな本稽古場でダンスのレッスンを受けているはずでした。

メイディの行進が過ぎると、あたりはまたひっそりと静かになりました。

わたしは部屋の隅のピアノを開きました。さっきまでこの稽古場ではラシーヌの詩の朗読のレッスンがあったのです。フランス語で朗読する水島弘さんの朗々とした声がまだ耳の奥を漂っていました。

わたしはゆっくりと鍵盤の上に指を走らせました。心の中からあふれでる<名前のない曲>。小学生のころからピアノをならっていたのにわたしは奇跡的になにも弾けません。

ただ、メチャクチャな曲を自由に弾くことが得意でした。

誰もいない五月の稽古場でわたしはすぐに消えていくメロディを奏でていました。



<劇団四季>の研究生募集の試験をうけたのは高校二年生のときです。

特別強い意志でのぞんだ訳ではなかったのですが幸運にも受かった6人の中に入っていました。面接のとき浅利慶太氏に「受かったら高校、どうするの?」と聞かれ「やめます」と半分本気でいったのです。けれど、いざ受かってみると、母親に反対されました。

だましちゃったみたいだなあ・・・と恐縮しつつ劇団にお伺いをたてると、一年間休団という形にしてくれました。そのかわりお休みの時は劇団のお手伝いにくること。

その一年間わたしは<四季>の稽古場と日生劇場に通っていました。


「女優になりたかったの?」

そう聞かれるとびっくりしてしまいます。

確かに<劇団の試験を受ける>ということは<女優>になりたいからだと思われることでしょう。けれど、わたしは<もの書き>にはあこがれていましたが自分が<女優>になれるとも なりたいともあまり深く考えていなかったのだと今、あきれるくらいです。

しかし、舞台は大好きで母親とよく観にいっていました。中学時代<夕鶴>のつうの役が思いのほか好評だったことで気をよくしていたのかもしれません。


その当時<四季>はアヌイ、ジロドゥなどの古典的な美しい芝居ばかりやっていました。

代表的なのが<オンディーヌ>です。そのジロドゥの夢のような作品は水の精と騎士の恋物語。アンデルセンの<人魚姫>と似たストーリィです。

わたしはそんな浮世離れした戯曲を上演しつづける<四季>にあこがれていました。

面接試験のとき「なんでこの劇団を選んだの?」と聞かれ「妖精の住処と思ったから・・・」と答え笑われたのが不思議でした。わたしは本気でそう思っていたのです。

<四季>にはいれば<妖精>になれるかも・・・・・・

・・・・・・わたしの答えに審査の人たちが笑ったはずでした。

たった一年、ごくたまに劇団に通っただけで<演劇界>は妖精の住処とはひどくかけはなれているところだと分かったのです。

(やめちゃおうかなあ・・・)

ふと そんなことも思いましたが休団させてくれた上、一年間ただで演劇を見せてもらったのに何にもやらずやめるのは恩知らずのようで、とにかく上の学校に進学をきめ高校卒業と同時に<四季の研究生>としてスタートしたのです。

ところが、一年の間に<四季>は<研究所>になり去年は六人しかとらなかった研究生が一挙に三十人以上にふえていました。

そして、演出家はいったのです。

「これからは、ミュージカル路線でいく!」




わたしはピアノを弾く指をとめ、磨きぬかれたような窓の外の青空をみつめました。

わたしはダンスも歌も好きですが うまくありません。

歌はともかく、ダンスなどみんなからワンテンポ遅れていながらラストはみんなとしっかり一緒に決めるのが得意でした。その上、研究所システムになってからレッスンが一日中あります。<文化学院>にもなかなか通えず、小説も書いていました。だいたい「高校をやめる」などといいながら大学に入った時から気持ちは固まっていたように思います。

(やっぱり、一回舞台に立ったら やめよう・・・)

心の中でそうつぶやいたとき、

「ねえ 弾くのやめちゃうの?」

誰もいないと思っていた稽古場の隅からよく響く声がして、Tくんがくっついた机の影からむっくりと上半身をおこしました。机の影にいすを並べ眠っていたようです。

「びっくりした・・・ずっとそこにいたの?レッスンさぼったのね」

笑いながらいったわたしに答えず、

「もっと 弾いてよ、いまの曲」 Tくんは真面目な顔でまたいいました。

「あれ、めちゃくちゃに弾いていたの 同じ曲はもう弾けない」

「それでいい・・・もっと弾いて。気持ちよかった・・・」

Tくんはそれだけいうとまた机の間に体を沈めました。

わたしは小さく息を吐くとまたピアノを弾き始めました。 Tくんの姿はもう見えません。

五月の陽射しのなか 黒い服を着ていた悲しみはもう消えていました。



五月のあの日、決心したようにわたしは8月のおわり<劇団四季>をやめました。

子供のミュージカルの役がつき(研究生全員につくので当たりまえのことでしたが)台詞も二つありました。

<王様の耳はロバの耳><裸の王様>。ふたつの公演を交互に上演するのです。

わたしは7月と8月の夏の間<日生劇場>に通いました。両方その他大勢の<村の娘>の役でしたが(もう やめる)と決めていたのでのびのびと楽しむことができました。

みんなはまさか わたしが<千秋楽>にやめるなどと思っていなかったようです。

人間関係に疲れてもいたわたしは辞めるとき非礼にもみんなに挨拶もしませんでした。



しばらくの間<四季>にいたことは意識して思い出しませんでした。

わたしにとって<演劇界>はかなり刺激の強い世界だったのです。長い間、わたしは大好きだった<芝居を観る>ことができなくなりました。<舞台の裏側>をつい想像してしまうのです。けれど・・・・・・

<演劇>は魅力のある世界です。研究生のころにレッスンで受けた戯曲の数々・・・・・・

ふとしたときに<ハムレット>のオフィーリアの台詞をつぶやいていたり・・・<戯曲>を読む楽しみを知らないうちに学んでいたことに気がつきました。



キャンディの原作を書くとき 物語や場面を<舞台>として想像してしまうことはよくありました。

特に・・・<五月祭のシーン>

<ロミオとジュリエット>の衣装。テリュース・・・

(そう・・・テリィ、あなたは<演劇>を志すのね・・・母親のように)

わたしの中でそれがはっきりと固まった(というよりテリィの意思を確認した)のが五月祭なのです。

思い返せば・・・<テリュース・G・グランチェスター>登場人物のなかでいちばん神経を使い時間をかけてさがした名前。ありきたりではなく、つぶやいたとき(詩)のように心に残る名前・・・・・・。もしこのエッセイがこれからもつづくなら、登場人物の名前についてもふれたいとは思っています。いろいろな名前。

その中でも、<テリュース>の名前を図書館の隅で発見したときのときめき・・・!

<シェークスピア戯曲集>、そのなかで主役ではないけれど、光をはなっていた名前!

彼の名前を<シェークスピア>の中からいただいたときからテリィの運命はきまっていたのかもしれません。<舞台俳優>になるべくして生まれた人・・・・・・

エレノアにはどんな役が似合うだろう・・・そして、スザナ・・・きっとすばらしい舞台俳優になっただろうに・・・・・・と後になっても考えました。


<演劇>はお祭りの世界です。舞台の上、わずか数時間に切り取られてしまう<人生>。

また、いつのなにかわたしは<劇場>に通い始めていました。


そして、つい最近うれしい便りが昔の研究生の仲間から届きました。

本人曰く<返事をくれなくても四季のご挨拶はする>と律儀に守ってくれる信さん。仲間たちのうち今もテレビや舞台で活躍するひとはほんの一握りです。舞台からはなれ、べつの職業に就いている人の方が多い・・・。信さんもそうです。

信さんの手紙は<もういちど みんなで舞台をつくりたい・・・>というものでした。

人生をふりかえり もういちど<夢>をみんなで実現させたい、という信さんやほかのひとの気持ちはよくわかります。

もし<夢>で終わったとしても・・・いいじゃないの!やるだけやってみましょう!

(わたしは裏方しかできないけど)と信さんに返事を書くつもりです。



子供の頃 お祭りの終わりがいやでした。楽しかっただけに寂しさがいっそうつのって・・・

でも思い出します。

風邪をひいてなかなかお祭りに行けず やっとよくなり、走っていったその時・・・

お祭りの舞台ははずされ、おじさんたちが片づけていました。

「お祭り、終わっちゃったんだ・・・・・・」

がっかりしてつぶやいたわたしに たしか<はっか売り>のおじさんが言ったのです。

「次のお祭りがあるからね こんどはそこに行くのさ」


何気ない一言の意味がそのときにはわかりませんでした。

でも そのことばは子供のわたしのどこかに染み入ったのだと思います。

「つぎのお祭りがある・・・」

きっと どこかで 今日もお祭りがある・・・



そう思うと わたしは今でも なんだか満ちたりた気持ちになってくるのです。



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「パンプキンパイは いかが テリィ?」

「パンプキンパイ?おや おれはまた てっきり ぺチャパイだと思ってた」


ふくれたわたしのほっぺをテリィがつつきます

川がキラキラした声で歌いながら流れていくわ

ああ テリュース そんなに近づかないで

わたしの胸でなりはじめた 高いピアノの音を

聞かれると はずかしいわ・・・・・・

晴れた五月の昼さがり

すこししめった風がなんて気持ちいいの

静かね テリィ

まるで 世界にわたしたちニ人しかいないみたいに・・・・・・



キャンディ イラスト集 PART2より


(C) Keiko Nagita
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