ローランド編集長の含み笑いが、よみがえってきます。
「ナギタさんって ほんとはいじわるなんじゃないの〜?」
(ギクリ!)
似たようなことは、何回もいわれました。
ニールとイライザがキャンディをいじめた時に___
「いじめるの、うまいねえ〜」などと誉められると「ありがとう」というのも変だし、返事に困ってしまいます。
「もっと、意地悪に書いていいんだからね」と<いじめっ子公認>であるはずのムッシュ・ベルナールからもたまに、「これは、ひどいなあ!よくこんな意地悪、考えつくもんだ!」と責めるようにジロリとみられ、わたしは自分の人格を疑いたくなってしまいます。
しかし!わたしは、ニールとイライザがどうやったらもっと意地悪になれるか日夜、研究にいそしんでいたのでした。(キャンディ、ごめん!)
まずは、自分がやられたらいやなこと。言われたらいやなこと___
わたしは幸運にもあまりいじめられた経験がありません。(鈍感だったのかしら?それとも、いじめる方だったのかしら?う〜ん・・・・・・)
小学生の頃、わたしのぴかぴかのランドセルを石で傷つけたJちゃんは、激しくきつい性格だったけれど、どこかかわいらしかった・・・。あんまり勝手なので一緒に帰るのがいやになり、他の子と先に帰ったら、なんというすばやさ!家に戻ると、先回りしていたJちゃんが玄関に座って泣いているではありませんか!
とりなしている母に「ケイコちゃんが、先に帰ったのぅ・・・」
と訴えていました。そのなきべそ姿が吹き出したくなるくらいかわいくて(Jちゃんはとても愛らしい顔立ちだったので)思い出すとなつかしいシーンとしてまだ目の底に残っています。
しかし、イライザはどこまでもにくったらしい奴にしよう!かわいいなんて、おもわれたら、とんでもない!
救いの無いわがまま娘。自己中心__の、つもりで描いていたのに、なななんと!
ムッシュ・ベルナールは「だんだんイライザが好きになってきた」などと、物語の中ごろ言い始めたのです。(ムッシュ・ベルナールは悪女好みだったのでしょうか?こんど、聞いてみよう)こりゃあ、まずい・・・と、思いましたが、もはや手遅れでした。
このわたしまで<ちょっとかわいい・・・ぐふっ>なんて思ってしまっていたからです。
(特に夏の日<ホワイトパーティー>のあるシーン。<まめまめイライザ>の表情。
「あのイライザ、なんとなくかわいくって・・・」
思わずそういうと、いがらしさんは笑って
「あれ、ちえちゃん描いたの(当時アシスタントだった原ちえこさんのこと)おかしかったね」と、種明かしをしてくれたのでした。さて、どのシーンか、見つけてみてね。ヒントは<だれかさん>を待ちあぐねているイライザ嬢のほんの小さなショット。)
にくったらしいですが、しかし、イライザは、かわいそうな子です。
いちばん望んでいたであろう<ふたつの愛>には素通りどころか、避けられてしまいました。__アンソニーとテリィ・・・。
そこで、落ち込まず(ふん、わたしの魅力に気づかないなんてバカなやつ!)と<本気>で思える所が、イライザ、あんたは偉い!見習うべき前向きさ!
イライザなら将来、本命ではむりにしろ、ナンバー5くらいの男の子にいいそうです。
「しょうがないわね!あんたみたいなのとわたし、全然つりあわないんだけどかわいそうだから、付き合ってあげてもいいわよ。そのかわりなんでもいうこときくのよ!!」
キャンディがイライザに対し、言うはずだった(あきれて感嘆する)台詞があります。
(ああ、イライザ!あなたは巻き毛の先までイライザだわ!)
イライザはいいのです。ずっとずっとあのままで。あの子はほっておいても大丈夫。
わたしが、今も気になっているのはニールの方です。
彼についてはこの回だけでは書ききれない思いがあります。
キャンディの原作を書く時、最初からラストまできちんと決まっていたわけではありません。
<連載6回>と予定されている場合でも、読者の反応などからもっと連載が伸びる場合も、逆に<予定より早く<終了>してしまう場合もあります。
キャンディは<大型連載>と歌って始まりましたが、もし読者の反応が編集部の納得のいかないものであったなら、(そろそろお話を終わらせる方向に・・・)と編集からの<申し入れ>がはいるのです。そうなると、せっかく念入りにプロットをたてていてもどうにもなりません。最初の予定とまるで違った話になってしまうこともあります。
脇役に人気がでて、主役をくってしまうことも、死ぬはずだった人物が生き延びてしまうこともおこります。でも、そこが連載漫画の原作のおもしろさ!
まさに、ライブ!生きているのです。
ニール・ラガン。
彼は物語の構成__キャディを取り巻く<すてきな男の子>のなかに入っていませんでした。最初からキャンディを<いじめる男の子>として設定していたのです。それ以上でもそれ以下でもない・・・
しかし、それだけだろうか・・・・・・物語が進むにつれ、いがらしさんの手でニールはニールなりに生き生きと描き出されてくると、わたしの中で<ニール問題>が強く浮上してきました。
彼も<ゆがんだ口もとの先までニール>にちがいありません。しかし、ムッシュ・ベルナールがあろうことかイライザの<かわいさ>を認めたようにニールだって<屈折したところの魅力>があるはずです。
(あいつは<どうもニールに対してそんな口調になってしまう>いつかキャンディを好きになるなあ・・・)そう思い始めてから、ニールの行動、心の動きが気になり始めました。彼は、いつからキャンディを<意識>しはじめたか・・・・・・?
あれほど蔑んできたキャンディに惹かれいく自分への葛藤はなかったのか?
___その思いを抱えきれなくなり、ついに(屈折した形ではあるが)告げてしまうきっかけはなんだったのか?それほどのニールの思い・・・簡単にあきらめられるのか__
ニールに対していくつもの場面設定、心の動きを考えながら結局そのほとんどを描けませんでした。後半、わたしが一番避けたかった<少女マンガ的処理>をしてしまったのです。
彼は最後まで卑怯で屈折していた・・・・・・そんなニールで終わったのはわたしの未熟さです。
ニールなりの魅力を描けなかったせいで、キャンディは彼女らしからぬ拒絶の仕方をニールにしてしまった、と思います。キャンディはニールに対しても<あきれながらの理解>____やさしい視線をもっていたはずです。
キャンディの物語については、反省点が多々ありますがその描きかたも心残りのひとつです。
そんなわけで、わたしは連載終了後もニールのことが気にかかっていたのです。
ニールとイライザはなぜあのような性格になってしまったのか・・・?
生まれつき、とは言い切れない心の歪み・・・・・・それを追求していくと<サラ・ラガン>ふたりの母親に行き当たります。サラの出生の秘密とは・・・・・・なんていっているときりがありませんね。みなさんの興味が及ぶようでしたら、またお話しましょう。
作者は不思議です。
作中の人物をいったん描いてしまったあとは、もう、自立した<個人>として目に映ります。(少なくとも、わたしは)ですから、どんなに不出来といわれる子でも、かわいいのです。
キャンディをあんなにいじめたニールとイライザでしたが_____
ローランド編集長の言う通り、ほんとうのいじめっ子は・・・・・・
・・・・・・はい、ここに おります。
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一時間でも
女神さまになれたら わたし
空の宮殿に すみたいわ
白い雲の庭で
しあわせの花づくりをするの
そうして 毎日
うすもも色の花を
地上にまくわ
そうよ ゆめじゃない
ほんとに 空の上
そんな女神さまがいるかもしれない
だから
悲しんだりすることはないのよ
みんな 気づかないけど
しあわせの花の散る下で
暮らす わたしたち_____
キャンディ イラスト集 PART2より
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