エピソード4・森影らと

もしかしたら、わたしは今みなさんに<水木先生>と言われないで<森影先生>といわれていたかもしれないと思うと、へんな気持ちです。

<森影らと>さんは、ペンネームとしてはおしくも敗北しましたが、ニックネームとして生き残りました。

キャンディの物語の大まかな構成も終わり、登場人物の名前、個性も決まったのに、まだムッシュ・ベルナールは<タイトル>にこだわっていました。わたしは勿論、いがらしさんもアイデアを出し、いくつものタイトル候補が並びました。ローランド編集長もイワノフ大尉(当時の副編集長です。わたしがつけました。なにやら編集長より偉そうな名前ですが)からもなかなかOKが出ません。わたしの原作はほとんど自分がつけたままのタイトル(白夜のナイチンゲール、きらら星の大予言など)でしたが、難航するときもあります。たくさんの候補のなかで残っていたのが、

<スイート・キャンディ><おてんばキャンディ><キャンディ・キャンディ>・・・

あとは、編集会議で決めるしかありません。わたしも(どうしてもこのタイトルでないと)という決定打がなかったので、お任せすることになりました。

タイトルマッチ(とその会議はいったそうです)で、やっと決まったのが、


<キャンディ・キャンディ>


ムッシュ・ベルナールから知らせを受けて、つぶやいてみます。

(キャンディ・キャンディ・・・)

ぴったりだ、と感じました。

そして、つぎに決めなくてはならなかったのが、わたしのペンネームでした。当時、わたしは「なかよし」で二本の連載を持っていました。本名の<名木田>で、そして、もう一本は<加津綾子>、その上、読み切りが入ったのでまた名前を付け<香田あかね>・・・いくらわたしが名前が好きでもねえ・・・。でも、おもしろかったなあ・・といつもの問題意識のなさでもうひとつペンネームを増やすことを了解しました。



わたしが初めてつけたペンネームは<影沼涼>そして、<北原命(めい)>です。高校時代、詩を投稿する時に使いました。今度の事件で何十年ぶりに<影沼涼さま>とお便りをいただきました。

報道を見て懐かしくなったひとからでした。今回の事件もまんざら悲劇ばかりではないのです。人の温かさもたくさんいただきました。もしかしたら、その身にあまるプレゼントのほうが大きいかもしれません。 (みなさんとの出会いもそうですね。)



ムッシュ・ベルナールがさっきから困った顔をしています。わたしがペンネームについて<変な名前>ばかり言っていたからです。

「<しんようきん子>っていうのは?」

「だ〜め!」とムッシュ・ベルナール。

「う〜ん じゃあ・・・<あべかわきなこ>は?」

「だめだめ!まじめに考えてよ!」

わたしたちの会話をいがらしさんはクスクス笑いながら聞いたと思います。

だったら、取って置きの名前・・・。

「わかった、じゃあ、これしかない!<森影らと>!どうだ!」

参った、それにしよう!と言うと思ったのにムッシュ・ベルナールは渋い顔のまま。

「<森影>はいいけど・・・<らと>がだめ!」

「なんで?らとらとらとって言ったら<とら>に聞こえるから?わたし、かわいいとおもうんだけどなあ<らと>って・・・」

そのとき、いがらしさんが助け舟をだしてくれました。

「わたしも<森影らと>っていいと思うよ〜」

しかし、ムッシュ・ベルナールも頑固です。

「わかった・・・ならムッシュ・ベルナールが決めて・・・」

わたしは観念しました。

ムッシュ・ベルナールはしばらく考えていましたが

「・・・・・・きょうこ・・・あんずって書く、<杏子>・・」

その名前がムッシュ・ベルナールが昔、心惹かれていた女性の名前だと言われて、わたしは気をよくしました。
沢田研二そっくりのムッシュ・ベルナールが惹かれた女性ならきっとステキな人と思ったのです。

「じゃあ・・・<杏子>でいい・・・でも、名字は・・・あっ!ひらめいた!<水木>にしよう!」

「<水木杏子>・・うん・・それなら、いい!<水木杏子>いい名前じゃないか」

ムッシュ・ベルナールはやっと微笑みました。でも・・・まだ、わたしは<森影らと>に未練があったのです。

「いい名前と思うんだけどなあ・・・残念だなあ・・・そうだ、ねえ、おゆみ、この際わたしのこと、これから<らとちゃん>とよんでくれない?」

いがらしさんは、ゲラゲラ笑って

「いいよ いいよ<らとちゃん>ね!」そう言ってくれました。



それから、わたしはずっと<らとちゃん>でもあるのです。20年以上の間に、そう呼ぶ人はふえました。しかし、<元祖、らとちゃん>はやはり、いがらしさん・・・。

彼女の甘く低い声で「ら〜とぉちゃ〜ん」と呼ばれるのが好きでした。



「水木さんはお元気でしょうか?」

たまにふざけて聞かれます。

「あ、水木さんなら、今、まぐろ漁船に乗っています」

などと、わたしもいいかげんに答えます。

<水木杏子>の名前で仕事をしなくなって、15年ほどたちました。

この事件が起きた時、<水木>で仕事をしつづけていたら、漫画家もあんな主張をしなかったのに、なんで原作書くのをやめたの!__とやさしいお叱りをうけたりしました。

<やめた>のではなく<長い休暇>をとっているだけ。わたしが「もう絶対原作辞める」と言った時、編集の<満月左衛門>(たびたびですが、わたしがつけました。)に

「<絶対>という言葉は使わないで。<絶対>なんて簡単にいってはだけなんだ。」

そういわれ、ハッとしたのです。

漫画が好きです、今でも。けれど、キャンディが評判になるに従い、わたしは<自分の仕事>を見直すようになりました。

今でも、時々いわれます。

「キャンディに<原作>あったんですか?」

聞いてくるひとはみんな無邪気で、心底びっくりしているようなので、わたしも苦笑しています。それに、連載中からその質問はありました。そのたび、わたしは考えこんでしまいました。漫画の原作は、コンビを組む漫画家によって精彩を放つか否か・・・かなり変化します。キャンディはいがらしさんの<画力>によって生かされた、と思います。

と、するとどんなにヒットしてもわたしの作品としての<正統な評価>ではありません。

このまま、この仕事をつづけていてはいけない__と言う声が心のどこかでしました。たとえ評価されなくても、<個人的>な仕事は個人の責任です。わたしは、自分の世界を<文字>で描きたい__だんだんそんな思いが強くなりました。それは・・・わたしには<見果てぬ夢>・・・でも、その夢を追うために<もの書き>を志したのではなかったか__。

そして、わたしが原作の仕事に休暇をとろうと決意させた決定的な出来事。

<ステアの死>・・・それについては、また触れることがあるかもしれません。




<まぐろ漁船に乗っていた水木さん>は、今度の事件でしばらくぶりに陸地に降り立ちました。長いこと船に乗っていた上に、思いもかけなかった読書の歓迎を受けとまどったり、うれしかったり・・・で、まだ足元がふらふらしています。水木さんが降り立ったところはレイクウッドに近く・・・ポニーの丘にもすぐ行けます。思いたてばすぐに行ける所にわたしは、こんなに長い間ご無沙汰していたのでした。なつかしい場所からは(思い出)が立ちのぼってくるようです。これも、この事件のおかげでしょう・・・。

もう一度いいます。

「この事件も悲しいことばかりではないのよ」



<思い出の道>を散歩するのは、<森影らとさん>より<水木杏子さん>が似合っています。

ムッシュ・ベルナールはやはり名編集者でした。

よい名前をつけてくれて、ありがとう。




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今回はわたしのことを知っていただきたくて自分のことばかり書いてしまいました。

この事件で、しみじみ思ったことは<出会いの美しさ>でした。

自分のことついでに、拙い詩ですが、わたしの20歳の詩集から、今回、再び巡り合った、そして、初めて出会った人たちに___



ありがとう

どうしていますか

幸福でいるのですか


私が今までに なくした

おびただしい数の ハンカチ

むぞうさに 切ってすてた 髪や爪のこと


いじめられてはいませんか

私をうらんではいませんか


乱暴に扱ったわけではないけれど

大切にしたわけでもなかった


私が今までに しゃべったことば

昔 着ていた洋服や靴

すぐに 分かれていった 切符など

かぎりなく

はてしなく

私のそばにいた ものたち__


元気でいますか

悲しんでいませんか


ときどき

立ち止まって 聞いてみたい

私が踏んだ石や枯葉

肩にかかった雨

懸命に こいだ 自転車の音

ああ

二度と 会えぬものが

なんと 多いのだろう



詩集「還る」より


(C) Keiko Nagita
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