その朝のことはとりたててよく覚えています。原稿用紙に初めて「タイトル」とペンネームを書き込んだ夜明け__
わたしは、すべて書き終わってから、最後にそれを入れます。
「キャンディ・キャンディ 水木杏子」
二階の部屋で、そのときは和机を窓辺に置いていました。
窓の外がうっすらと白いヴェールがかかったようになり、隣の屋根の向こうにかすかにばら色の朝焼けがにじんでいました。夜明かしをしたというのに心にさわやかな風が吹いているようでした。
わたしは、その景色をしばらくの間じっとながめていました。書き終えたばかりの物語の余韻が体のなかをたゆたっていて自分がまだ物語の世界にいるような気がしました。
説明のつかない喜びと興奮。扉を開けた瞬間、あたたかい光が流れ込んできたような…
これから広がる物語の世界に深いときめきを感じたのです。
原作の最初の「読者」は編集者です。わたしは喫茶店のいすでうつむき、ムッシュ・ベルナールが読み終わるのを待っていました。いちばんいやな時間。自分が気にいっていても冷静な編集者の「目」を通すとどんな感想になるか分かりません。
ムッシュ・ベルナールが顔を上げました。その「目」が(よかったよ)と告げています。
ムッシュ・ベルナールは寡黙ですが「目」でよく話します。「おもしろかった・・これね、絶対全部いがらしさんに入れてもらう」ムッシュ・ベルナールは原作を読みながらもう頭の中で「漫画」を描いていたようでした。わたしはさいさきのよいスタートをきったことを感じました。書き上げた夜明けの興奮がよみがえってきます。
「全部?入るかしら?」
わたしはいがらしさんが気に入った画面を大きく取りたいだろう、と予想していたのです。わたしも(丘の上の王子さまとキャンディが出会ったところ)あたりで第一回を終わられるつもりでした。しかし、ムッシュ・ベルナールの依頼で「出来るだけ話を進めて」といわれ、一回目はアンソニーとキャンディがバラの門で出会うシーンまで一気に書いたのです。その間もっともっと書きたいシーンがありましたが・・(キャンディの子供の頃、そしてアニーとの別れ)しかし確かに、物語の中心は「ポニーの家」での日常ではありません。それからの出会いが大切・・・。
「一回目は漫画でもここまで入らないとおもしろくないと思う。絶対いれてもらう!」
ムッシュ・ベルナールがキッパリといいました。
いがらしさんはムッシュ・ベルナールと悪戦苦闘しながらネームを進めているようでした。
「全部入ったよ!」その知らせは多分、いがらしさんからだったと記憶しています。
いがらしさんは一回目の完成度に満足そうでした。「楽しみにしてて!」その声が弾んでいたように覚えています。
わたしはわくわくにながらゲラ刷りを待っていました。わたしが漫画になったキャンディたちと初めて対面できるのが<ゲラ刷り>なのです。
そして・・・ムッシュ・ベルナールからわたされた第一回目の<ゲラ刷り!>
粗い紙の上からかぐわしいバラの香りがたちのぼってくるようでした。「ポニーの家」の暖かい雰囲気。風のそよぎ、緑のにおい。さわさわと木々の音___
それにもまして、なんとかわいいキャンディ!
キャンディス・ホワイト!なんて、なんて、いい子なの!
「いがらしさんの絵、すばらしい出来ね!」
わたしが<ゲラ刷り>を抱きしめんばかりにいうと、ムッシュ・ベルナールは目をほそめて何度も頷きました。ポニー先生、レイン先生、そして、そして、「丘の上の王子さま」
ドキドキするアンソニーの登場__
わたしの「文章」からいがらしさんの画力によって、立ち上がってきた主人公たち!
原作者としてこんな至福の時はめったに味わえません。
その夜、わたしは何度も<ゲラ刷り>をみました。そして・・・やはり同じ所で止まってしまう・・・丘の上の王子さまがキャンディに言う台詞で・・・
「おチビちゃん、笑った顔のほうがかわいいよ!」
原稿を書くときも心をよぎったこと。けれどそのまま素通りしてきたこと。
わたしは正確にいうと12歳4ヶ月で父を、21歳と5ヶ月で母を見送っていました。
当時、友達に冗談半分で「みなし児になるには中途半端な年だわ。孤児院に入るには年をとりすぎてるし、ねえ」と笑っていましたが、心の底にはひんやりとした悲しみが流れていたのだと思います。両親のおかげで生活には困りませんでした。21歳のわたしはもの書きとして仕事もしていましたが、詩の会に入って詩を書き続けていました。
久しぶりに詩の会に出席した数日後、年上の先輩から手紙がきました。静かな感じのするその先輩とはあまり話したことはなかったので、少し驚きながら封を開けました。
そのひとの手紙には、久しぶりに会ったわたしがとても暗い表情をしていたのが気になった・・・、と書いてありました。私が母を亡くし、ひとりになったことにふれてはいませんでしたが知っているようでした。
そして、その手紙には、こうあったのです。
<きみには暗い顔より明るい顔の方が似合っていると思います。
そう・・・いつか、かぶっていた帽子のように、ね>
瞬間、胸をつかれました。角張った男性的な文字がにじみました。
わたしはそんなに暗い顔をしていたのでしょうか・・・
そして、それを気にしてくれたひとがいる__
明るい顔でいたい、と思いました。どこかで見てくれているやさしい視線のためにも・・・
それにしても、わたしはいつどんな帽子をかぶっていたのでしょう。
・・・・・・すぐに思い出しました。わたしはその詩の会にはたまにしか出席しなかったからです。
夏の日、わたしは麦わら帽子をかぶっていました。
そのひとに返事を書いたかどうか覚えていません。もし、書いたとしても、わたしの胸をうった言葉については触れなかったと思います。ずっと心にしまってある<大切なひとこと>は言った本人さえも知らないことが多いのかもしれません。その先輩とはその後会うこともなくなりました。そのひとはわたしにそんな手紙をくれたことなどもう忘れているかもしれません。
ひととのふれあいの中で何気ない<ひとつの言葉>に傷つくことも、また勇気づけられることもある・・・
キャンディがもらった<言葉>。丘の上の王子さま、若き日のアルバートさんが何気なくいった<言葉>。キャンディにとって形のあるバッジよりも目に見えないその言葉がつらいことがあったとき、どんなに慰めになったことでしょう。
だれでも暗い顔より明るい顔の方が似合います。
そして、だれにでも似合うものがきっとあります。スカーフ?ピアス?チェックのジャケット?それとも、若草色のシャツ?・・・
あなたが似合うものは、なんですか?
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