new!(10/20) 四話へ

 閑 話…T  


その一話

「十人いれば それぞれ違う十通りの人生がある」
こういう言葉がありましたよね。

何だか妙にこの言葉に惹きつけられ
説得力いうか、安堵を感じるこの頃。

この夏、幾つかの訃報がありました。

そしていろいろ手伝う中、人間、幾つになっても
なかなか身辺整理をして
引き際を簡素に整理して亡くなるのは
難しいことだなーーーと考え込んでしまった。

よし、私もそろそろ、
少しずつ身辺整理を始めないと間に合わないぞ。
ものを1つ買ったら2つ処分しよう!

まずはアルバムを整理、
CD-ROMに入れて片づけてしまおこうと
思い立ったのはいいけれど
気はせくのに段取りが頭でまとまらず
バラバラで 手つかずのまま日が過ぎる。。。(9/9)



その二話
人との間合いの取り方って
それぞれに個性があってなかなかいろんなパターンが
あるような気がする。
いきなり向こう見ずな感じで相手の心に
ずかずか踏み込むように自分をさらけ出せる人は
意外と友達が多いように見える。

自分はどうかな?
一見物怖じしないように取り繕っているつもりだけど
結構心の中で間を測ったり疑心暗鬼を天秤にかけ、
ぎくしゃくギクシャクしているかもしんない。
つきあい方(間合い)のスピードに
ついていけない気後れが増すと
人付き合いがおっくうになるかな。
普段は疎遠に近いつきあいでも
相手が「困ったことがあるの」と連絡をくれると
俄然活気づく。
安心して相手の琴線に触れることで
自分の心もしなやかに和らいでいく。
そして状況がクリアして一段落つくと
また間の長いつきあいに変わっていく。
皆さんはどうなんでしょう??
誰か教えてくれないかなぁ。。。(9/25)




その三話
下の記事は最近読んだ新聞投書(女の気持ち)の中で
もっとも感動したもの!
こんなふうな感性で重ねる年もいいなと思った。
何だか私のページに来てくれる誰かさんに読んで欲しい気がした。
↓【以下転載させて頂きましたm(_ _)m】



昔の昔のばあちゃん 
大阪府豊中市 木下さや・82歳 無職

 80歳を過ぎて、時々自分の人生を振り返ることがある。
 私は末娘として育った。祖母は私が小学校から帰ってくるのを待ち構えていて、私が勉強している部屋にやってくる。ある時、「勉強せにゃならん。出ていって」と言うと、顔色を変えて怒り出した。

 「勉強は学校でしてきたではないか。くっくとこいて(苦労して)ひとねて(育てて)やったのに、どの子も大きくなると私に逆らう。こんなに悲しいことはない」

 子供の私を相手にえんえんと小言が続いた。私は祖母を悲しませたと思い、心が真っ黒になって、もう本を読むどころではなかった。

 今にして思えば、学校教育を受けたことがなく、字も読めなかった祖母には、予習、復習の意味がわからなかったのだ。テレビもラジオもなく、新聞も取っていなかった昔の田舎の話である。

 その祖母が、私を利口だ、利口だとほめてくれ、私はそれを真に受けて進学した。女学校2年の時は、死ぬまでに樋口一葉ぐらいの作品を書きたいと思い、元素の一つも発見したかった。樋口一葉にはとうとうなれず、新聞の投書夫人で終わりそうな今の自分を見つめると悲しい。

 昔の昔のばあちゃん、こんな私でごめんなさい。

(毎日新聞2002年9月28日大阪朝刊から)

◇▽☆ぎーこさんより◇▽☆
昔の昔のばあちゃん読んだよ。
なんだか悲しくなっちゃうね・・・

□△管理人□△
ーーーん、そういえばそうかも。。。
でも、体の衰えと感性の若さの振幅が、
切ないけど、みずみずしくて、すごく気持ちが伝わってきたの。



その四話

近くの散歩コース
我が家から歩いて半時間とかからないところに
神社が抱える山道がある。
休日、お天気がいまいちだなって時の
お手軽散歩コース。


少し前までの私なら、参道はともかく、裏山の薄暗い道を
1人で歩くなんてとても出来なかった。
ホントは今でもちょっぴり急ぎ足であがるのが
正直な気持ちやけど、
シーーンとした静けさ、小鳥の鳴き声、
そして何より、しめった腐葉土から来る弾力ある感触!
その靴の下から伝わってくる心地よさが、たまらない。




はぁ〜はぁ〜息を切らせながら三角点(142.48M)到達。
少し下りたところの展望台より京都方面そして向きを変え
大阪側を眺め、
またもと来た道をかけおりる。
上り下り30分ちょっとの汗。
今日はこの間、だれ1人すれ違わなかった。
現世?(笑)に戻った帰り道、
和菓子屋さんで栗まんじゅうを買って
家で久しぶりのお抹茶タイム。
消費したカロリーはしっかり取り戻した感じ。(^^;)
         2002.10.20・記


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