内子uchiko |
内子は、江戸から明治時代にかけて、木蝋の生産により繁栄した町である。木蝋とはハゼノキなどから採取される蝋の一種で、内子産の木蝋は、明治の初め頃には全国の約4割のシェアを占めたと言われる。また、製紙の盛んな町としても知られた。 当時の繁栄ぶりは、今も残る町並みの立派さに、はっきりと見て取る事が出来る。重厚な造りの屋敷が建ち並ぶ様子はまさに圧巻で、見事の一言に尽きる。四国を代表する町並みと言って良いだろう。 内子のシンボル的存在となっている芝居小屋、内子座。大正の初め頃に建てられたと言うから、町の繁栄がピークを過ぎた頃に出来たことになるのだろうか。現在は観光により活気を取り戻したこの町だが、確かに一度は見ておくべき価値がある。他の有名町並み同様に、早朝の訪問をおすすめする。
→重伝建地区一覧
→「内子の古い町並みを歩いてみよう」(町並みブログ)へ