用瀬mochigase |
鳥取市の南端に位置する用瀬(旧用瀬町)は、鳥取と姫路を結んだ智頭街道(因幡街道・智頭往来)の宿場町。元々は、山名氏の家臣だった用瀬氏が開いた城下町でもあった。大正時代には鉄道(因美線)が開通するなど、現在でも交通の要衝の位置にはあるが、大きく発展することはなく、山あいの川沿いに佇む静かな町という印象である。 古い町並みは、主に旧智頭街道沿い(写真二枚目)と、瀬戸川の水路沿いに残る。元々この瀬戸川は、町の西側を流れる千代川に流れ込む谷川だったものを、生活用水として整備したもの。石組みの水路の流れる水は大変に美しく、清流の象徴である梅花藻も生息している。かつては十七基の水車が設置され、工業用としても利用されていた。 用瀬という町の名前は、「流し雛」の風習によって主に知られているのではないかと思う。旧暦の三月三日に、紙などで作った人形を千代川に流すという行事で、平安時代から行われていたという説もあるほどの歴史がある。ここを訪れたのは5月の頭で、この日は瀬戸川において、「鯉のぼり流し」という行事が行われていた。こちらは近年に始まった行事だが、これもなかなか風情があって良いものだった。
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