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滋賀県の南東側に位置する水口の町は、東海道五十三次五十番目の宿場であった水口宿が置かれた宿場町。元々は16世紀の終わりに、現在の市街地の東側にある古城山に築かれた水口岡山城の城下町で、城の麓に発展した市街地がそのまま宿場町へと姿を変えたという歴史を持つ。 水口石橋駅の東側から三筋に分かれて並行する道のうち、真ん中の道が旧東海道。これらの道沿いの各所に古い町並みが残るが、野洲川の近くで三つの道が再び合流する辺りには特に古い家屋が多く集まり(タイトル写真)、旧本陣の跡もある。この特徴的な三筋の通りは、旧城下町の町割りの名残だと言われている。 町の中心に現在も残る水口城は、前述の水口岡山城とは異なり、三代将軍家光が上洛時の宿所として築かせたもの。京都の二条城を模したとも言われており、今も櫓台の石垣や堀が残る(写真の櫓は民家に移築されていた乾矢倉の部材を用いて復元した建物)。琵琶湖に近い彦根城や長浜城などと異なり、内陸部に残るこの水口城址はなかなか貴重な遺構ではないかと思う。