(島根県安来市) |
広瀬は戦国武将、尼子氏の拠点であった月山富田城の城下町。全盛期の尼子氏は中国地方を支配する大勢力であったが、月山富田城をめぐる毛利氏との二年に渡る激しい戦いの末、尼子義久の代を最後として滅亡することになった。 江戸時代に入ってすぐに富田城は廃城となった。現在の広瀬の町は、かつてここが中国地方の中心地であったとは信じられないほどの静けさだ。しかし広瀬絣などの伝統産業もあり、歴史の感じられる町ではある。 月山富田城からの眺望。標高200メートルの山城で、遠く中海までが見渡せる。かつて難攻不落と呼ばれただけのことはあり、急斜面をここまで登ってくるのは、ちょっとした登山のようだった。今では石垣が残るのみの、ひっそりとした城跡である。
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