コトバ表現研究所
はなしがい94号
1994.5.1 

 新学年がはじまりました。小中学校では新しい指導要領をどのように実践するかが話題になっているようです。学校教育は指導要領にもとづいて行われています。今の指導要領は一九八九年に発表されて、小学校では一九九二年から実施されて二年、中学校では一九九三年から実施されて一年が過ぎました。

 学習指導要領は昭和二二年に定められて以来、ほぼ十年ごとに五回の改訂をされています。改訂の背景には、社会と時代の変化があります。新指導要領が今後の学校教育にどれだけ有効であるかは、日本の社会の現状とのかかわりで判断できるでしょう。

日本社会の〈システム〉

 日本に三〇年以上いるオランダの新聞社の特派員が、日本社会のしくみについて書いた本があります。カレル・ヴァン・ウォルフレン『日本/権力構造の謎』上・下(早川文庫)です。ウォルフレンは、人々をがんじがらめにする社会の仕組みを〈システム〉とよんでいます。教育の分野も例外ではありません。

 日本の教育の最大の問題点を、ウォルフレンは、学歴によって階層化された社会のあり方にみています。教育の目的は社会のどの階層に所属できるかにあります。学生は受験勉強に時間の大半を費やして、筆記試験向きのまるでクイズのような暗記モノの勉強をしています。そこから育つのは、明確な個性を持たず、まともに考えることもできず、自分で判断もできないような、型にはまった人間です。また、小学生の三割、中学生の五割、高校生の七割が学校の授業について行けなくなっています。

 一九八〇年代の前半の校内暴力、八〇年代後半の「いじめ」の背景には、学校の勉強からはじきだされた子どもたちの問題があります。しかし、指導要領は一貫して「道徳」教育のしめつけで問題を解決しようとしています。その一例が校則の強化です。「座りかた、立ちかた、歩きかた」「手を上げる時の角度や高さ」「下校路の指定」「給食のおかずを食べる順番」など、おどろくようなものがあります。

 日本の教育の内容も方法も、階層化された社会の〈システム〉に支配されています。教育が社会的な地位を獲得する手段であるかぎり、どんな理想的な教育の内容も受験体制につぶされてしまいます。その一方で、子どもたちは学校の規制のワクでがんじがらめにされています。

新指導要領の問題点

 このような日本社会の現実に対して、新指導要領はどのような教育の目標を提起しているのでしょうか。中心は次の四つの方針です。

 (1)心豊かな人間の育成
 (2)基礎・基本の重視と個性教育の推進
 (3)自己教育力の育成
 (4)文化と伝統の尊重と国際理解の推進

 どれも、現代の教育問題を解決してくれそうなことばですが、具体的な方針をみなければ、その有効性はわかりません。受験勉強の〈システム〉の傘のなかで、どれだけやれるものでしょうか。

 目玉となったのは、小学校一、二年生の「生活科」の設立です。しかし、この科目には問題があります。もともと小学校を通じて時間数の少ない「理科」と「社会」をこの科目に変えているのです。

 終戦直後にも、これによく似た教育がありました。科目の区別をはずして日常生活のなかで学習させるものでした。その結果として基礎学力がつかなかったので、つぎの指導要領の改訂で批判されました。また同じことをくり返そうというのでしょうか。

 おそらく「学ぶことの楽しさや成就感を体得させ自ら学ぶ意欲を育てる」つもりなのでしょう。しかし、子どもたちが授業が楽しくないと感ずるのは、単なる科目の問題ではありません。小中高とすすむにつれて子どもたちが授業から振り落とされてゆくのは、教育の根本的な考えが受験勉強に支配されているからです。先生たちも受験や進学の意識からぬけだすことはむずかしいでしょう。また、学年ごとの教育課程の組み方にもさまざまな不合理があります。国語を例にすれば、各学年の教育漢字の配当や、教育漢字の絶対量の多さも「落ちこぼれ」を生みだす原因です。

 新指導要領でもっとも重視しているのは「思考力、判断力、創造力」の教育です。字づらでは、わたしの考えている教育を実現してくれたようですが、どのような方針があるのか見る必要があります。

 わたしたち人間はコトバを使ってものごとを考えます。コトバは思考のもっとも基本的な手段です。その教育がどのように行われるかが問題です。しかし、国語の「言語事項」の教育にしても、コトバそのものの本質が書かれていませんし、教育内容もこれまでの文法教育の域を出ていません。

 さらに、「言語活動の適性化」という項目には、言語能力の教育は「単に国語科における指導だけではなく、学校生活全体において配慮する」とあります。しかし、その例を読むと、なんだこんなことかと笑ってしまいます。教師は正しい言語で話せとか、黒板などに正確で丁寧な文字を書けというものです。とても、言語による思考力を高めるようなものではありません。

 もう一つ、中学校で気になることがあります。選択科目の問題です。中一の選択科目は「外国語(外国語)」でした。そこに、中二では「音楽、美術、保健体育、技術、家庭」、中三では「国語、社会、数学、理科」が加わります。

 気になるのは中三で加えられた四科目です。要するに、必修科目の時間は少ないままで、勉強したい科目をより多く選択できるのです。よくいえば「個性に応じた教育」でしょう。しかし、勉強ができずにきらいになった生徒は、ごく少ない時間で基礎的な科目を学ぶだけですが、勉強のできる者はより多くの時間を学ぶことができるわけです。当然、選択科目で増えた時間は受験対策の勉強となるでしょう。「個性の重視」「価値観の多様化」というコトバは、できない生徒の基礎学力の教育を投げ出すものではないでしょうか。

 新指導要領は、たしかに現実への危機を感じて打ち出されたものです。しかし、教育の改革を実現しようとする方針は現代の日本の社会体制のもとでは効果のうすいものです。教育問題の解決のためには、ウォルフレンのいう日本の社会の〈システム〉そのものを視野に入れて、それを改革することまで考えねばならないでしょう。


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