コトバ表現研究所
はなしがい 220号
2004.11.1 
 日本人が日本語を学ぶというブームが続いています。時どきのベストセラーの本には、必ず文章の書き方や話し方などに関するものが入っています。というのも、一般の人たちが基本的なコトバの能力の不足を感じているからでしょう。

 「国語の力」というと、学校教育での基礎知識のような感じですが、「日本語の力」というと子どもからおとなまでに共通するコトバの能力が考えられます。これまでは、コトバの力の4つ――「話し・聞き、読み・書き」のうち、「書き」が重視されてきました。また、本を読むのも黙読が当たり前でした。どちらも文字のコトバへの関心です。

 ところが、「朗読ブーム」によって声のコトバに焦点が当たるようになりました。声に出してよむことが、頭の働きをよくするというものでした。しかし、いつかコトバの能力づくりよりも、体力づくりや脳に刺激を与えることが目的になっています。「音読練習帳」などという「便乗本」が続々登場しています。「音読」という呼び方にも朗読からの後退が表れています。

 声のコトバにも文字のコトバと同じように意味があり、内容があります。ただ声を出すだけの訓練に止どめず、「読み・書き」の能力につなげたいものです。

●録音による声の訓練

 声のコトバの訓練をするいい方法はないだろうかというのは、わたしの一貫する研究テーマです。以前から、教育におけるテープレコーダの利用をすすめてきました。わたしが小学生のころ、今から40年前には、テープレコーダーはオープンリール式の大きなもので持ち運びに不便でした。しかも、庶民には手の届かないほど高価でした。ところが、今では小型のカセットテープレコーダーが安く買えますし、手のひらに収まるボイスレコーダもあります。

 声の録音はビジネスの世界ではよく利用されています。それなのに、教育の世界ではあまり使われていません。録音の機械が安くなって普及している現代なのですから、もっと使われて欲しいものです。

 声のコトバの訓練と言っても、難しいことはありません。まず自分の声を録音して自分で聞いてみることです。自分の話し声や話しぶりをじっくり聞いた人は、ほとんどいません。「人の振り見て我が振り直せ」ということわざがあります。他人の態度を見ることで、自分を振り返ることができるのです。それと同様に、まずは自分の声がどんな声で、どんな話し方をしているのか自覚することが出発点になります。録音すれば自分の声は、他人の声のように聞けます。自分の声を注意深くよく聞けば、気になるところや直すべきところがわかります。

 わたしの師・大久保忠利は「教師は時には自分の授業を録音して聴くべきだ」と言っていました。これは教師ばかりでなく、教育される生徒にとっても必要なことです。とくに、朗読の指導に録音を取り入れたときに、その効果が大きくなります。文学作品を読むときの表現力は、日常の話しぶりと対応します。その人の朗読には、その人の話しぶりが現れますし、また逆に朗読の力が上がると、話しぶりもよくなります。自己成長は、己を知ることから始まります。まず録音で自分の声を聴いてみましょう。

●音声入力ソフトの応用

 最近、わたしはもう一つ、音声表現の自己訓練のためのすばらしい道具を発見しました。パソコンで使う音声入力ソフトです。このソフトを使うためだけでもパソコンを買う意義があると思えるほどです。キーボードで文字を打ち込むかわりに、声で文章が書けるのです。マイクを通じて声で話す通りに自動的に漢字仮名混じりの文章にしてくれます。多少、認識や変換のまちがいはありますが、わたしの感じでは95%くらいまでの認識変換能力があります。

 わたしは2年近く、ドラゴンスピーチ(今はVer.7)とViaVoice(今はVer.10)の二つのソフトを使ってきましたが、どちらも最新のバージョンで、かなり満足できる使い心地になりました。それで今回、朗読への応用を思いついたのです。

 ソフトは完璧なものではありませんが、使い方に応じて学習をするので能力があがります。使い始めに15分ほどサンプルの文章を読みあげて自分の声を覚えさせます。また、使い手の文章の漢字仮名の表記の癖なども覚えさせられますし、よく使うことばを発音して辞書に登録できます。日本語入力の辞書登録と同じ要領です。このような学習機能を利用することによって、使いこんで行くほど認識率と変換率が上がるのです。

 音声入力ソフトによるコトバの訓練の効果はいろいろありますが、今は3つあげておきましょう。

 第1は、日本語の発音の訓練です。ソフトによる声の認識は一つ一つの音ではなく、語句のまとまりについて行われます。それでも、一音一音をより正確に発音すると認識率があがるのです。さらに、ソフトについてくるモニター用のヘッドホンをつけて行うと、自分の声が異様なほどよく聞えるので、正確な発音ができるようになります。

 第2に、文の構造を意識する訓練です。人の文章を読んでも、自分で書いた文章を読んでも、語句の意味のまとまりが分かるように読むときと、そうでないときとでは認識率が変わります。主部と述部の関係、修飾と被修飾との関係をつかんでよむとやはり認識率が高まります。

 第3は、ことばを発しながら考える訓練です。人は文章を書くときにも頭の中でコトバの音を思い浮かべています。それを口から出せば口述筆記になるのです。考えをコトバに出すと、そのコトバに続いてさらに考えが進められます。これは話し方の訓練そのものです。

 認識率はソフトの技術と自分の能力との兼ね合いで微妙に変化します。ソフトの技術と自分の能力とのバランスによってソフトも成長するし、自分の能力も伸びるのです。

 わたしは音声入力ソフトを、文章の「読み」と「書き」を一体化させる道具として使っています。これを子どもたちの教育に応用することも考えられます。これまでの言語教育では、「話し」と「書き」とを結びつけることができませんでした。しかし、このソフトで話し声を文章にしてみれば、声と文字との関係が分かります。声のコトバが即座に文字のコトバに変わるのですから一目瞭然です。このソフトによって、コトバ教育の分野に新しい展望が開けるかもしれないと思っています。

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