コトバ表現研究所
はなしがい 218号
2004.9.1 
 この10月からNPO日本朗読文化協会で朗読教室の講師をつとめることになりました。「源氏物語」の現代語訳で知られる作家の瀬戸内寂聴さんを名誉会長にして2001年12月に設立された協会です。

●文化としての朗読

 朗読文化協会の基本理念は次のようなものです。
「私たちは遠い昔から「読み」を声にして楽しむことにより生活に潤いを与え、コミュニケーション能力を習得してきました。かつては日本の学校や家庭でも絵本や教科書を読み聞かせ、目と耳で同時に感じ、そして考えることが当たり前でした。声を出して読むこと――これが音読です。そしてさらに人間の複雑な感情表現を付加して、そこにドラマティックな世界を創ること――それが朗読″です。朗読は自然に人間関係を円滑にさせる基本訓練になっていたのです。
 NPO日本朗読文化協会は、「人間の声による朗読」を文化・文芸活動として復権させ、一般参加型の文化事業に育て、社会に認知させ、普及させるための活動を行っています。既存の枠にとらわれず自由な発想のもとに、教育・人材育成、エンターテインメント、朗読ライブラリーなどの様ざまなプロジェクトを立ち上げ、多岐にわたる朗読活動を支援し、朗読の活性化と振興、地域社会や福祉への貢献を推進することを目的としています。」
 あいまいに使われている「朗読」を「音読」と区別して、「人間の複雑な感情表現を付加して、そこにドラマティックな世界を創ること」とする定義は、わたしの研究する表現よみと重なります。また、「朗読」を「文化・文芸活動として復権させ、一般参加型の文化事業に育て、社会に認知させ、普及させる」という趣旨にも賛同できます。文化が力をもつためには、さまざまなメディアや物質的なかたちを持つ必要があるからです。

 朗読文化協会では今後二年間の事業計画をいろいろとあげています。その中で、私が注目するのは中学生高校生を対象とする朗読などの文化活動の支援です。その内容は次のようなものです。
「若い世代に向けて、朗読の普及を行うために、朗読、演劇部の部活支援を行います。文化祭での発表指導や定期的な学校訪問公演、朗読大賞の中高生部門を設立し、「朗読甲子園」の参加も促進させます。さらに、演劇や合唱と朗読を組み合わせた新しい形式の朗読ドラマなども指導し、若い世代の朗読ファンを創造していきます。」
 これが実行されれば、かつて学校教育で提唱されたものの立ち消えになった朗読が若者の世界に生きかえり、今後の朗読文化を発展させることでしょう。

●学校にはない「音読」と「朗読」

 学校教育では、以前に一度、音読・朗読が重視されたことがありますが、平成10年(1998)に出された現行の「新指導要領」では音読・朗読の指導は消え去っています。ところが皮肉なことに、斎藤孝著『声に出して読みたい日本語』(2001)によって、今では、声に出して本を読むことの肉体的・精神的な有効性が社会的に認められるようになっています。

 現行の「新指導要領」の特徴は、完全週休五日制を基本とした「ゆとり」と「生きる力」の養成です。教育内容の厳選、総合的な学習の時間の設定、成績の評価法の変化などがありました。その後、平成十五年(2003)に原則をいくらか修正したものの根本は変わりません。

 朗読教育は声のコトバの能力を高めて「生きる力」を育てます。それなのに指導要領の小学校国語に「朗読」の文字はありません。5、6年生に一か所「易しい文語調の文章を音読し、文語の調子に親しむこと。」とあるだけです。中学校では、2年生の「古典」で「なお、指導に当たっては、音読などを通して文章の内容や優れた表現を味わうことができるようにし」と、読みについて「目的や必要に応じて音読や朗読をすること。」と二つあるだけです。

●十五年前の学校の朗読教育

 学校教育で音読や朗読が重視されたのは、今の指導要領の一つ前、平成元年(1989)の学習指導要領でした。小学校から中学校まで一貫した音読・朗読の教育方針が設定されています。小学校1〜4年は「音読」、小学校5、6年と中学校では「朗読」とよばれて学年ごとの設定があります。

 小学校――第1学年「話や文としてのまとまりを考えながら音読すること。」、第2学年「文章の内容を考えながら音読すること。」、第3学年「文章の内容が表されるように工夫して音読すること。」、第四学年「事柄の意味、場面の様子、人物の気持ちの変化などが、聞き手にもよく伝わるように音読すること。」、第5学年「聞き手にも内容が分かるように朗読すること。」、第6学年「聞き手にも内容がよく味わえるように朗読すること。」
 中学校――第1学年「文章の内容や特徴がよく分かるように朗読すること。」、第2学年「文章の内容や特徴に応じた読み方を工夫して朗読すること。」第3学年「文章の内容や特徴を生かして効果的に朗読すること。」

 以上の項目を見れば、朗読教育をどのような方向にすすめればよいのか分かります。このような指導で小学校から中学校まで教育されたら、きっとすばらしい読み手が育ったことでしょう。ところが、前に書いたように9年後の指導要領において「音読」「朗読」ということばはいっせいに姿を消しました。

 朗読というのは、ただ大きな声を出して本を読むことではありません。それは「音読」です。文章には文字とともに意味が含まれています。本を読むことは、ただ文字が声になるだけのことではなく、よみ手自身がその意味を読み取って、よみ手自身の表現として声に出すものです。ですから、声に出して読むことによって、そもそも、本を読むとはどういうことか、どのように読んだらいいのかという根本が問われることになるのです。

 朗読文化協会は文化としての朗読の理想を「人間の声による朗読」とよんでいます。これまでの学校教育で行われたような一斉朗読は「朗読」ではなく「音読」というものでしょう。それぞれのよみがひとりの人間の表現として評価される朗読こそ、文化としての朗読といえます。

 学校教育から「朗読」の教育が消えて久しいのですが、「文化としての朗読」が社会に広まれば、また学校でも朗読の教育がさかんになり、新たな声の表現のブームが起こるかもしれません。

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