コトバ表現研究所
はなしがい 207号
2003.10.1 
 十月五日(日)夜、NHKテレビの特集番組「少年犯罪――子どもたちの何が変わったか」を見ました。十代の少年少女たちのメールやアンケートなどをもとに、どうしたら近ごろ増えている少年犯罪を減らすことができるかということについて、学者やジャーナリストがいろいろな発言をしていました。しばしば「気づき」ということばが使われました。万引きにしてもいじめにしても、子どもたちが気づくことによって変わるだろうというのですが、実際に何をするべきかということはわかりませんでした。

●犯罪少年をどう教育するか

 わたしは番組で紹介されたいくつかの事例に感心しました。

 第一に、小さな犯罪にきびしくすることです。たとえば、万引きは多くの子どもたちが犯罪とは思わず、まるでゲームのようなつもりで実行しています。それが次の段階のより凶悪な犯罪につながる傾向があるのです。以前にテレビで見ましたが、小さな犯罪を犯すことでモラルの歯止めが外れてより大きな犯罪へと発展するという理論があります。この理論を応用したアメリカのある市では、落書きを消すことから始めて凶悪犯罪を減少させるという成果を上げています。

 この理論は次のような実例で証明されています。町なかに壊れた自動車を放っておきます。どこにも傷のないときには、だれも手をつけないのですが、窓ガラス一枚を割ったとたんに、寄ってたかって次から次へと部品を取り外して持っていってしまうのです。

 第二は、話し合いによって少年たちに反省をさせる少年院の教育です。反省というと普通は頭を下げて謝ることのように思われますが、本来の反省とは自分の行いをまさに省みることなのです。同じ種類の犯罪を犯した少年たちを集めて、一人ひとりに自分の行ったことを語らせます。そして、お互いに話し合いをさせます。同じ仲間として話し合うことで、それぞれ自分の犯罪の意味に気づくことになります。

 第三に、犯罪を犯した子どもの父親が、カウンセラーの助けを借りて子どもと話し合うという例です。自分もかつて犯罪を犯したというカウンセラーが子どもと対話するのを、父親はそばで聞いていました。そのやりとりから父親は子どもの考えを知り、自分が子どもとどう接するべきか学ぶことができます。その子どもが悔しそうに何度も繰り返したのは、「親父は説教ばかりしていた」ということでした。子どもが父に求めたのは対話だったのでしょう。

●心とコトバの問題

 わたしは番組を見ていて歯がゆい思いでした。せっかくいい事例があげられているのに、学者やジャーナリストが的を射た発言をしてくれないからです。親が子どもの話を聞くこと、聞くトレーニングが必要なこと、人と人との関わりが大切なことは、よくわかります。だが、何をどうしたらいいのでしょうか。その教育のポイントが語られないのです。

 わたしはコトバの教育を考えていました。コトバには人間を助けるさまざまな力があります。その一つに、行動を調整する力があります。イライラして自分の心の状態が分からないとき、「自分は今このような状況にある」とコトバにあらわすと落ち着くのです。「気づき」とは、はっきりしない自分の思いをコトバにすることです。アイマイだった気持ちをはっきりしたコトバのかたちで見ることです。

 人間はコトバを使って考えます。「考える」ということはコトバを使うということです。「気づき」の能力はコトバの能力です。それは社交上の言葉づかいなどではなく、自分の思いや心をコトバで表現する能力です。わたしの所属する日本コトバの会には「コトバの力、生きる力」というスローガンがあります。コトバは人間が生きるために必要不可欠な手段なのです。

●コトバを理解するサル

 最近、わたしは、スー・サベージ=ランボー(加地永都子訳)『カンジ――言葉を持った天才ザル』(1993NHK出版)を読んで、人間とサルとのちがい、人間のコトバの重要さを改めて考えさせられました。

 みなさんは世界でいちばん頭のいいサルは何だと思いますか。きっとチンパンジーだと思う人が多いでしょうが、ボノボというサルなのです。アフリカのコンゴに住むサルで、ピグミーチンパンジーとも呼ばれ、人間の子どもの二、三歳にあたる知能があります。なにか問題が起こっても暴力で争うことはなく、愛情と協力によって解決します。

 カンジというのは、類人猿の研究者である著者が生後六ヵ月から観察している五歳のボノボのことです。カンジは人間の言葉を理解します。単語はもちろん、文まで理解します。「怪物のお面をかぶってリンダをおどかして」と言えば、その通りの行動をします。しかも、ただ人間の命令にしたがうのではなく、自分の気に入らないことはしません。

 また、文字を記号として理解できます。絵文字の書かれたキーボードを指で指しながら自分の考えを人に伝えることもできます。文法としての構造をもった文を作ることができるのです。

 カンジとのコミュニケーションの成立について、著者は次のように書いています。
 「従来、動物とのコミュニケーションを試みた人々は、話し方を教えることに重点を置きがちだった。言葉を教え、その言葉を使って話させようとしてきたのである。この方法はごく限られた成功しかもたらさなかったが、その理由ははっきりしている。言語は話すことによってではなく、他者が私たちに話す内容を理解できるようになることで学びとられるのだ。」

 カンジのコトバの能力は、小さいときから著者が繰り返し語りかけてきたコトバを基礎にして獲得されたものです。ただし、残念ながらボノボは人間のような発声はできません。類人猿はノドの構造がヒトとちがうのでコトバを発するのは無理なのです。それでも、カンジは不十分ながら「クー、クー」とノドの奥で人間のコトバと同じ声を出そうと努力するのだそうです。

 著者はボノボについて、「その表情はまるで人間のようで、どう見てもサルの皮をかぶった人間にしか見えない」と繰り返し言います。わたしの教える専門学校には、話すのが苦手だとか、文章が書けないということを苦にしている学生がいます。そんな学生たちを見ると、わたしは、懸命にコトバを発しようとする不幸なボノボと重ね合わせて考えてしまうことがあります。

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