コトバ表現研究所
はなしがい 206号
2003.9.1 
 『心のノート』というものをご存知でしょうか。
 昨年の春、文部科学省が、全国千二百万人の小中学生への「プレゼント」として教育委員会を通じて、各学校へ送付したものです。文部科学省によると、これは「教科書」でもなく「副読本」でもない「補助教材」だそうです。この「ノート」にはいろいろな問題があります。それが、三宅晶子『「心のノート」を考える』(岩波ブックレット595/2003.5.18/480円)にくわしく書かれています。

 配布の仕方がまず問題です。「補助教材」という形で、文部科学省からじかに子どもの手に渡されました。「教科書」としての検定も受けず、「副読本」として学校で選ばれたものでもありません。しかし、教育委員会を通したものなので学校で使うべき強制力があります。文部科学省は何度も、子どもたちの手に渡ったかどうかの調査をしています。その結果、現在まで全国の小中学校の九十八パーセントが子どもたちに配ったそうです。

 「ノート」は、小学一・二年用、小学三・四年用、小学五・六年用、中学生用と四種類あります。この費用は税金です。昨年が約七億三千万円、今年が三億八千万円、合計約十一億円かかっています。これだけの税金を費やした「ノート」は国民にとってどんな意味を持つものでしょうか。

●「ノート」のメッセージ

 三宅さんは「ノート」をていねいに読んで分析しています。表紙やイラストはかわいらしいものです。

 「このノートは、一見、メルヘン的な、あるいは抒情的なムードが漂うおしゃれなデザイン」で、表紙などは「パステルカラーのイラストや写真を多用した美しい作り」です。「それぞれの頁が、まさにポスターの手法を使って、キャッチコピーや写真・イラスト・色彩・レタリング等の細部まで入念に計算にしてデザインされたもの」です。

 それで何を語ろうとするのでしょうか。木のイメージ、空のイメージ、山のイメージ、それぞれ意味があります。文章と組み合わせたイラストの子どもの表情ひとつにもメッセージを盛りこんでいます。

 だれが作ったのかと思って、「ノート」の奥付を見ても、何もわかりません。著者名も、出版社名も、発行年月日もなく、ただ「発行 文部科学省」とあるだけで、担当部署も連絡先も書かれていません。

●「わたし」が語る道徳

 わたしが気になるのは文章で書かれたメッセージです。三宅さんの分析でなるほどと思ったのは、文章を「語り手」と「読み手」との関わりで見ることです。わたしも声による表現を研究しているので「語り口」は気になります。たとえば、次の文はだれがだれに向かって語ることばでしょうか。

 「わたしにはある/いまよりもっとよくなりたいという心が/みんなのことを思いやるあたたかい心が/どんなことにもくじけずに/がんばりたいという心が/そんなわたしの心を/たしかめてみたい/のばしていきたい」

 三・四年生用の文章ですが、「心のノート」の考えを代表するものです。「わたし」と書かれても「わたし」が自分自身に語っているとは思えません。教室で先生を前にして子どもたちが読むのですから、命令のように感じてしまうでしょう。

 また、小学一・二年用に書かれた「むねをはっていこう」も、「にこにこしてるかな」も、一見、詩のようですが、命令のメッセージが隠れています。

 「むねを はって いこう。/いちばん すてきな あなたでいよう。/せなかを ぴんと のばして すすんで いこう。/もっと すてきな あなたを みつけよう」「にこにこ してるかな/きょうの あなたは/どんな えがおかな」

 「ノート」に書かれたことはすべて道徳の問題です。はたして、学校という強制力のある場において道徳の教育はできるのでしょうか。わたしは道徳とは、当人の自覚に待つものだと考えています。自由な意志で自発的に実行される行為こそ道徳的なのです。教師が生徒に命じて、善いことが実行されたとしても、それが道徳的な行為だとは限りません。あくまで当人の自発的な意志によらねばなりません。教育の課題は、道徳的な結論を導き出すことのできる思考能力や判断能力を育てることにあります。

●「孤立した個人」と「変わらない社会」

 四種類の「ノート」はどれも次のような四つの視点から構成されています。

 【一の視点】自分自身に関すること、【二の視点】他の人との関わりに関すること、【三の視点】自然や崇高なものとの関わりに関すること、【四の視点】集団や社会との関わりに関すること

 「ノート」の思想には二つの特徴があります。第一に、人間を社会との関係から切りはなして、心理的にのみとらえようとする点、第二は、人間社会を固定したまま、変化しないものととらえる点です。

 「ノート」に想定された個人はまったく孤立しています。現実社会とのつながりがありません。空虚な空間に投げこまれているようです。「ノート」はそんな場での心がけを説くだけですから、問題は解決しません。そうして、子どもたちをある方向にまとめ上げようとします。それが三と四の視点です。

 「三の視点」では「ふるさと」や「崇高なもの」が示されます。「わたしの住むふるさとには、わが国の伝統や文化が脈々と受けつがれている。それらを守り育てる使命がわたしたちにはある。」

 そして、「四の視点」では、「やくそく」「きまり」を絶対に守ることが強調されます。「どんなときでもやくそくやきまりを大切にする……これが人間のすばらしさです。」

 さらに、「先輩たちが培ってきた学校の伝統。それを受けつぐ私たち」とか、「日本を愛することが、狭くて排他的な自国賛美であってはならない。/この国を愛することが、世界を愛することにつながっていく。」と語られます。つい最近、日本は法律によって、イラクへ自衛隊を派遣できるようになりました。それを考えると不気味さが感じられます。

 現実の世界においては、孤立した人間が空虚な空間に立っているのではありません。また、孤立した者同士が関わっているのでもありません。社会は経済や政治や文化の制度のもとにあります。心は現実社会と関わって変化します。人間は社会を見つめることによって心を動かし、社会を変化させていくのです。「心のノート」に何よりも欠けているのは、心の外にある現実を見つめるという視点です。

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