コトバ表現研究所
はなしがい 202号
2003.5.1 
 シュタイナー教育というものをご存知でしょうか。日本ではあまり知られていないと思います。ドイツの教育学者ルドルフ・シュタイナー(1861―1925)による人間の内面を重視した教育です。最近、不思議な縁で、ドイツでこの教育を受けた若い人を知りました。永田周一さんという大学生です。きっかけは雑誌『日経パソコン』で紹介されたフリーソフト「紙2001」でした。紙にメモ書きをするように操作できるというので使ってみると、たしかにすばらしいソフトでした。そのデザインもシャレています。

 さっそく料金の払い込みをしようと開いたページに、永田周一著『おもいっきりシュタイナー学校』(1997/五月書房/CD版)の宣伝がありました。わたしはシュタイナー教育の本も読んだことがあるので興味がわきました。それでCDを注文しました。

 送られた手紙にこんなことが書かれていました。

「ドイツではシュタイナー学校というユニークな学校で学びました。絵や音楽、工作などをとても大切にする学校でした。ぼくは「紙」のデザインや色彩に相当こだわっていますが、少しはシュタイナー学校の影響があるかもしれません」
●永田周一さんの日記

 永田周一さんが父、母、妹と家族四人で、ドイツに行ったのは一九九五年三月でした。それから一年間、シュタイナー学校での生活を日記に書いています。日本では中学一年、ドイツでは、七年生後半から八年生前半を過ごしたわけです。わたしが関心を持ったのは、たとえ一年間とはいえ、シュタイナー教育を受けた人が、その教育をどのように受け止めたのかということでした。しかし、日記には学校の授業や感想などはほとんど書かれていませんでした。素朴な生活記録風のものでしたが、学校が生活に自然にとけこんでいるのはわかりました。

 それには、シュタイナー学校の評価のしかたが関係ありそうです。点数ではなく、文章でそれぞれの生徒の講評をします。入学後三ヵ月後の七月には、担任教師が次のように評価しています。

「周一はわずか二、三週間で驚くほどよくクラスに慣れました。クラスの仲間にも喜んで迎えられました。日本の文字や言葉を熱心に私たちに教えてくれたので、ドイツの子どもたちはたくさんの新しい知識を学びました。すばらしい日本の折り紙でも、みんなを驚かせました。 」

 科目別の評価では、英語、ロシア語、音楽、体育、手芸、工作、園芸、宗教などが並んでいます。まだ、入学間もないころなので、多くは「興味」を持った点で評価しています。周一さんは語学よりも音楽や体育をのびのびと学んだようです。次にあげる帰国直前三月の講評には、周一さんが一年間学んだことの評価が書かれています。どれも簡潔な文章で書かれていますが、総合すると全体像が見えます。

「▼英語=英語の知識を全くもってきませんでした。したがって、英語の授業に能動的に参加することはできませんでした▼オイリュトミー(注・運動芸術)=短期間でオイリュトミーになじむことはできませんでした。しかし、短期間でも個々の形を作ることは確実にできるようになりました▼体育=体育で非常に強いやる気と運動する喜びを示しました。興味をもって未知の道具、たとえばパイプの輪や大きなトランポリンに挑戦しました。ホッケーやバスケットボールの成績は抜群でした。スティックやボールを巧みに操り、機敏に反応しました▼工作=のみとつちを巧みに使えるようになりました。形をよく考えて美しい木の器を作りました▼園芸=畑での作業によくなじむことができました。そしてたいていは熱心に畑の手入れや畑作りをしました。」

 担任の評価は次のとおりです。エポックというのは、日本でいうなら総合的な授業のようなもので、時期を決めて集中的に特定の科目を学ぶものです。

「周一は七年生としてのこの七カ月の生活・学習において、打ち解けた態度でかつ非常に熱心でした。周一は、歴史のエポック授業に非常に興味をもって参加しました。時間がたつにつれてドイツ語の意味がよく分かるようになったので、大航海時代の話だけでなく、新世界の征服についてもよく理解することができました。 」

 そして、地理のエポック、人間学のエポック、数学、幾何などの科目についてふれたあとで、日本についての「講演」を高く評価しています。

「さらに、ドイツ滞在の最後の週に、周一は日本の文化と日本人の生活様式について三〇分間の講演を行いました。それによってクラスメイトはたくさんの新しいことやおもしろいことを知ることができました。」


●シュタイナー学校と日本の学校

 周一さんの父親はあとがきでシュタイナー学校について次のように述べています。(中略)は引用者。

「シュタイナー学校とドイツの公立学校との差は縮まりつつある。公立学校でも自由化が進み、たとえば体育でも子どもが楽しめるような授業が工夫され、生徒を整列させたりするようなことはないようである。(中略)したがって、日本人の目には、シュタイナー学校と公立学校との違いよりも、ドイツの公立学校と日本の公立学校との違いのほうがはるかに大きいと映る。 」

 海外帰国子女は外国で自由な教育を受けてきたために、日本の学校になじめないことがよくあります。周一さんも例外ではありませんでした。

「周一は大分の地元の公立中学校に四月から二年生として入学することを認められた。しかし、自由と自立を重んじるシュタイナー学校から、いきなり秩序と規律がすべてという世界に投げ込まれ、相当にとまどったようすであった。ドイツの友人には、「日本の中学校は刑務所のようだ」と書いて送った。(中略)毎日ぴりぴりしていて相当にストレスがたまっていることは、親の目にも分かった。ドイツ語で自己紹介したりして、教員にも生意気に映っていたのだろう。四月に行われた一泊二日のリーダー研修会で、集団行動ができないという理由で、いきなり担任の先生から見せしめ的な体罰を受けた。もちろん本人にとっては生まれて初めてのことで、強いショックを受けた。登校拒否にまでは至らなかったが、一学期が終わった時点でやむなく私立中学校に転入学させた。(中略)意味のないことをあれこれ強制する公立中学校に比べれば、ずっと自由だった。」

 今、周一さんは同志社大学法学部に通っています。そのかたわらパソコンのソフトの作成も続けているそうです。

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