コトバ表現研究所
はなしがい 199号
2003.2.1 

 昨年末の朝日新聞(2002.12.15)に、8月に行われた国立教育政策研究所(旧国立教育研究所)の「読書教育実態調査」の結果が発表されました。全国の小学校22校、中学校9校、高校7校の計38校を対象に、児童・生徒2120人と、学習塾3校を含む計42校の先生259人から回答を得たものです。

 先生の過半数が「国語学力は低下した」と思っているし、高校では「宿題や授業でしか本を読まない」という生徒が3割を超えています。そんな状況に対して、朝日新聞は、国語力アップのための現場でのいくつかの取り組みを紹介しています。

●「ひな型作文」の実践

 わたしが関心をもったのは「ひな型作文」です。大阪府の小学校で大石正広(47)先生が行っているものです。運動会や旅行などについて書かせる「行事作文」ではなく、系統的な作文の力をつける目的で、「文章のひな型を論理展開の『道しるべ』として使い、それに沿って書かせる方式」です。

 たとえば、順序だてて物事を説明する作文の型はこうなります。「(1)今から○○について教えます(2)まず……(3)次に……(4)それから……(5)これで〜ができます」。また、物事を比較して論じる型は、「(1)みなさんはAとBのどちらが好きですか(2)私はAが好きです(3)それは…からです(5)だからAが好きです」となります。この指導によって作文の力がつくだけでなく、論理的に考える子どもたちが増えたそうです。

 わたしの文章指導の方法にも「文章トレーニング」というものがあります。基本的な考え方が似ています。文章の指導には二つの面があります。何を書くかとどのように書くかです。指導するとき、この両方を与えて、「このことについてこのように書きなさい」といったらやりすぎです。ですから、たいてい題材を与えます。それが「行事作文」です。そこには、どのように書くかは教えられないというあきらめが感じられます。

 しかし、そういうものでしょうか。たしかに、文章を書くことは複雑な行為です。しかし、どんな複雑な行為でも、基礎の基礎は教えられます。たとえば、剣道や柔道、スキーやスケート、囲碁や将棋などにはすべて基本があります。文章にもあるはずです。「ひな型作文」はそこに注目したものです。

 新聞では「文章に個性がなくなるのではないか」という疑問がとりあげられて、大石先生は「ものの見方や感じ方が深まり、結果的に個性的な表現ができるようになった」と話しています。これだけでは、子どもたちの成長はよくわかりませんが、大石先生が文章そのものの出来不出来を問題にしているのではなく、子どもたちの思考能力の成長を評価していることがわかります。この実践はまさに「型から入って型を出る」という訓練なのです。

●ドイツにおける音声言語能力教育

 子どもたちの言語能力を育てるためには、文章のほかに音声言語の教育も必要です。数年前、日本では音読やディベートが教育の話題でしたが、一時の流行だったのか、今ではほとんど聞かれません。しかし、ドイツでは体系的にととのった音声言語の教育が定着しています。

 つい最近、『月刊国語教育別冊・音声言語指導ハンドブック――新しい授業づくりのヒントと基本論文』(1999年6月/東京法令出版)の論文――三森(さんもり)ゆりか(つくば言語技術教室)「ドイツの音声言語教育――総合的・合理的な訓練」で知りました。そして、ぜひ紹介したいと思いました。何よりもすばらしいのは次のような考えかたです。――「「聞く・話す・読む・書く」は、人間の言語の四機能と呼ばれる。この機能を母国語において、徹底的かつ合理的に鍛えようとするのがドイツの言語教育である。」

 この論文では、大学進学を目ざすギムナジウム(五〜十三学年)のコースをとりあげていますが、言語教育の基本理念は同一でしょう。

 「話し方」と「聞き方」の教育は「ドイツ語科」(日本なら国語科)の役割です。「話し方」では、(1)音読、(2)スピーチ、(3)口頭発表、(4)議論、(5)ディベートの五つが中心です。

 「音読」は二年から十年までずっとつづきます。「スピーチ」は技術的な訓練とともにあらゆる機会を利用して行われます。「口頭発表」はメモを手に持ちながらも読み上げるのでなく聞き手に話すための訓練です。「議論」と「ディベート」も、日本のようにアイマイでなく、はっきりと分けられています。「議論」は日常的な授業で教師と生徒、生徒同士で行われる話し合いです。教室では、だれもが自分に考えを述べることができますから、沈黙は評価されません。自分の頭にある考えは、音声化して初めて理解されるし、評価されるのだという考えが常識なのです。

 それに対して、「ディベート」は、問題を考えるための話し合いではなく、形式にのっとったゲームのようなものです。日本では一時期、ディベートが流行しましたが、むしろ「議論」の教育こそ必要なのです。今でも、議論、というより話し合いや対話の能力の教育が求められています。

 「聞き方」の教育は、今の日本ではどのように行われているのか不安です。ドイツでは次の五つの重点があげられています。かんたんに紹介しましょう。

 (1)口述筆記――教師が一文節ごとに読み上げる文章を生徒が筆記する作業。
 (2)再話――教師が朗読する物語を聞いたあとで、生徒が自分のコトバで音声化するか文章化する。
 (3)ノート検査――あるとき予告なしに教師が集めて検査する。板書だけでなく、教師の話や議論からの情報をいかにまとめているかが評価される。
 (4)記録文――議論の結果の要点を記録としてまとめる「結果のプロトコール」と、議論の経過を順序だてて、各段階をとらえつつ記録する「過程のプロトコール」という二種類のまとめ方があります。これは七学年から十一学年で行われる訓練なのですが、一般社会の業務でも応用されている方法なのだそうです。
 (5)議論とディベート――この二つにおいても、他人の話を効率よく理論的に、しかも批判的に聞くことが求められます。

 いわゆる音声言語の教育というと、日本では単純にスピーチやディベートということになりがちです。しかし、ドイツの教育体系を見ると、たしかに「話し・聞き」が「読み・書き」と結びついていることがわかります。とくに書くことが、聞くことの訓練にとって重要なものになっています。ドイツのような総合性や体系性は日本の教育には欠けています。「総合的な学習」も単なる実践に終わらせずに、ぜひ言語能力の教育と結びつけてほしいものです。

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