コトバ表現研究所
はなしがい 198号
2003.1.1 

 明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。みなさんは、お正月をどのように過ごされたでしょうか。わたしは、まとめてテレビを見る機会がありました。そして、すばらしいドラマに出会うことができました。近ごろめずらしいことです。

 かつてドラマはテレビ番組でも魅力のあるものでした。わたしは○○劇場というシリーズで、いいドラマをたくさん見た覚えがあります。しかし今はミステリーと称する殺人事件や、現代の風俗をとりあげたつまらないものばかりが目立ちます。

 そもそもドラマというものは、人と人との関係に生ずる葛藤を描くものです。よくできたドラマは人間関係の本質をとらえています。ある状況において、人と人とはどんな思いで向き合うのかということが、日常生活よりも深く表現されています。そこから、社会生活のマナーや人と人とのつきあい方、さらに人生の生き方まで学ぶことができるものです。

●ドラマ『どっちがどっち!』

 わたしが出会ったドラマは、NHK教育テレビ『ドラマ愛の詩・どっちがどっち!』です。元日から三日まで、朝九時半から二時間ずつ、合計六時間の放送です。昨年十月から十二回放映された三十分番組十二本の再放送でした。原作の山中恒(ひさし)『おれがあいつであいつがおれで』(1998理論社)を、脚本の宮村優子が原作のアイデアを生かしながら現代の小学生の話にみごとに書きかえています。

 話のポイントは、男の子と女の子のカラダが入れ替わってしまうということです。そこから巻き起こる事件がおもしろくて、しかもさまざまなことを考えさせてくれます。はじめは、子ども向けのドラマだろうとさほど期待しなかったのですが、ついついひきこまれて三日間連続で見てしまいました。とにかくおもしろいのです。

 まず、主役の二人の演技がすばらしいものでした。齊藤りりか役の飯田美心(みこ)、古谷淳役の渋谷謙人(かねと)が、入れ替わった男の子と女の子をみごとに演じています。二人ともまだ男女差がはっきりしない年ごろなので、それこそどっちが男でどっちが女なのかわからなくなるほどです。二人を取り巻くおとなたちの安定した演技も、ドラマの真実味を高めていました。同じNHKのドラマ『中学生日記』で見かけた俳優が何人かいました。

 この原作はこれまで何度も映像化されています。映画では大林宣彦監督『転校生』(1982)がありますし、テレビでも三回、昨年十二月にはモーニング娘の主演の作品もありました。韓国でも一九九六年に映画化されています。二人のカラダが入れ替わるという原作のアイデアに魅力があるからでしょう。

●「おれがあいつであいつがおれで」

 人と人とが入れ替わることにはどんな意味があるのでしょうか。人は自分自身について考えるとき、意識の内部にもう一人の自分を登場させて対話をすることがあります。それはものごとを考える基本的なやり方ですが、自分のことを客観視するのはなかなかむずかしいことで、もう一人の自分を無視してしまいがちです。

 人と人とのつきあいにおいては、相手の身になって考えることが大切だといわれますが、実際に自分が自分であるかぎり、相手の立場に立つのはむずかしいことです。ところが、このドラマのように相手とカラダが入れ替わってしまうと、それが簡単にできてしまうのです。つまり、相手のカラダは自分のカラダなのですから、相手のことを考えることと自分のことを考えることとが一体になります。

 たとえば、「カラダを大事にしろ」と相手をいたわるコトバが、同時に自分をいたわるコトバにもなります。また逆に、自分のカラダを大切にすることは、相手のカラダを大切にすることにもなります。このように一つのことを二つの面から同時に考えることは、哲学では「弁証法」とよばれています。このドラマのなかでは、それがおもしろくわかりやすく表現されているのです。

 女のりりかと男の淳の対立からは、男らしさ女らしさが問題になります。さらに、ドラマの設定も二人の対立を浮かび上がらせるものです。りりかの家は、父がサラリーマン、母がバレエ教室の先生です。それに対して、淳の家は、父が運送業、母は家を出ています。入れ替わった二人は、それぞれの家庭環境のちがいを体験します。二人は、お互いの家庭で暮らすことで、お互いの家庭の事情も理解することになります。

 また、二人はそれぞれがしていた習いごとをはじめます。女のカラダで習う柔道と男のカラダで習うバレエの対立もおもしろいものです。柔道で鍛えたカラダと、バレエで鍛えたカラダには、その能力においてどのようなちがいがあるのかということも考えさせられます。

 精神的な面では、りりかに母がいて、淳に母がいないということからひとつのドラマが生まれます。家を出た母を話題にすることは、淳の家ではタブーになっています。ひとこと口にするだけで父は怒り出すのです。しかし、りりかのカラダをしている淳ならば、父に対して率直に母への思いを問いかけることができるのです。

●人の心とカラダ

 初めのうちわたしは「カラダが入れ替わった」という言い方にひっかかりを感じていました。「心が入れ替わった」のではないかと思ったのです。しばらくしてその意味が分かりました。その人が自分をその人であると決めるものは心なのかカラダなのかという考えかたの対立があるのです。別の言い方をすれば、内面と外面のどちらがその人なのかということになります。

 このドラマでは、カラダや外面ではなく、心や内面を人間を決定づけるものと考えています。カラダが入れ替わったとしても、その人はその人であるという考えに貫かれています。それは人は何を自分として生きていくのかという人生の根本的な問題にまで広がるテーマです。

 わたしがこれは単なる子ども向けのドラマではなく、おとなも見るべき価値のあるドラマだと思ったのも、このような深いとらえかたがあったからです。いいドラマというものは、大人向けとか子ども向けとかで区別できません。インターネットで調べてみると、若い世代の感動と熱烈な支持を表明する書き込みがたくさん見られました。本当にいいドラマは、おとなでも子どもでも感動させられるものなのだとあらためて思いました。

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