コトバ表現研究所
はなしがい 197号
2002.12.1 

 今、二冊の本を読んでいます。一冊は、藤沢令夫『ギリシア哲学と現代』(1980岩波新書)、もう一冊は、岡本太郎『自分の中に毒を持て』(1993青春文庫)です。藤沢令夫の方は、産業発展を基礎にした現代社会の行き詰まりについて、その哲学的な基礎をギリシャ哲学までたどって解き明かそうとする本です。岡本太郎の方はハウツー本のような題ですが、芸術論、人生論、恋愛論などのテーマが親しみやすい口調で語られた本です。まるで畑ちがいの二冊ですが、訴えている問題はぴったり重なります。

●人間と世界との一体性

 藤沢令夫はギリシア演劇を比喩として世界のあり方を説明しています。「ドラーマ(劇)」は白昼、大空のもと野外劇場で上演されます。世界・自然全体から隔絶された閉鎖的なものでないし、世界・自然も、人間の生や行為から切りはなされた冷たくよそよそしい外的な世界ではありません。つまり、「ドラーマ」は人間と自然との一体性の表現なのです。
 「両者は分かちがたく、世界・自然のありかたの探求と、人間の生き方・行為のあり方への探求とは、けっして別々のことではなくて、両者は不可分のかたちで、哲学の希求する単一の〈知〉を形づくるでありましょう。」

 同じように、岡本太郎が提唱するのは、政治・経済と芸術との一体性です。(/は改行の意味)
 「いま、この世界で必要なことは、芸術・政治・経済の三権分立である。モンテスキューの唱えた古典的な司法・立法・行政の相互不可侵というような技術的システムではなく、まったく新しい三つのオートノミーを確立すべきだ。/政治・経済は人間にとって勿論欠くことの出来ないシステムである。というより生活自体なのだ。しかしおかしなことは、日常、ぼくらにとって「政治」「経済」と聞くと、何かひどくよそよそしい。多分、これらの機構がいわゆる政治家、経済人によって勝手にコントロールされ、「芸術」つまり「人間」が抜け落ちてしまっているからだろう。」

 岡本太郎のいう「芸術」とは、人間の生き方と一体のものです。かつてこの人の「芸術は爆発だ」というスローガンが流行語になりましたが、その本来の意味は次のとおりです。
 「全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。人生は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。」

 これは芸術家に限られるものではない人生論です。その「爆発」の火ダネとなるものは、子どものころから、だれの心の中にも準備されていたものです。
 「子供の頃から私は自分の胸の奥深いところに神聖な火が燃えているという、動かしがたい感覚を持っていた。それは誰にも冒させることのできない、絶対的な存在感なのだ。」

 「絶対感」は岡本太郎の芸術の根本概念の一つです。人生というと決まり文句のような「幸福」ということばも嫌います。「幸福」には、生きることへの停滞が感じられるというのです。そのかわりに「絶対感」と似ている「歓喜」を持ち出します。では、「絶対感」というものは、どのように生み出されるのでしょうか。

● 岡本太郎の「自己との闘い」

 わたしは前号で書きました。幼い子どもには生きる力が本能的に備わっていること、かつて幼い子どもたちは困難と闘ったのに、近ごろおとなは回避させようとしているのではないか、と。そのときこの本を読んで、あることばを目にしました。子どもが自らを未熟であると考えたり、劣等感を抱くことは決してマイナスではなく、むしろ自らの生きる力を生み出す原動力だというのです。「絶対感」とはありのままの自分自身に目を向けるということです。

 「相対的なプライドではなく、絶対感をもつこと、それが、ほんとうのプライドだ。このことを貫けなかったら、人間として純粋に生きてはいけない。/だから、自分は未熟だといって悩んだり、非力をおそれて引っ込んでしまうなんて、よくない。/それは人間というものの考え方をまちがえている。というのは人間は誰もが未熟な人間なんだ。自分が未熟すぎて心配だなどというのは甘えだし、それは未熟ということをマイナスに考えている証拠だ。/ぼくにいわせれば、弱い人間とか未熟な人間のほうが、はるかにふくれあがる可能性を持っている。/熟したものは逆に無抵抗なものだ。そこへいくと、未熟というものは運命全体、世界全体を相手に、自分の運命をぶつけ、ひらいていかなければいけないが、それだけに闘う力というものをもっている。」

 「幸福」に人生への安住を見る岡本太郎の人間観がここにあります。「それは特殊な考え方で、ふつうの人にはできない」という人もいるかも知れません。しかし、これは今すぐこうしろというハウツーではありません。人生への根本態度です。態度が決まれば行動が変わります。人生への挑戦です。
 「でも、失敗したっていいじゃないか。不成功を恐れてはいけない。人間の大部分の人々が成功しないのが普通なんだ。パーセンテージの問題でいえば、その九九%以上が成功していないだろう。/しかし、挑戦した上での不成功者と、挑戦を避けたままの不成功者とではまったく天地のへだたりがある。挑戦した不成功者には、再挑戦者としての新しい輝きが約束されるだろうが、挑戦を避けたままでオリてしまったやつには、新しい人生などはない。ただただ成り行きにまかせてむなしい生涯を送るにちがいないのだ。」

 岡本太郎のパワーを知っている人なら、だれでもなぜあんなに元気なのかと疑問を持つことでしょう。
 「よくどうしてそんなに自信があるんですか″とか自信に満ちていてうらやましい″とか言われる。だが、ぼくは自信があるとは思っていない。/自信なんてものは、どうでもいいじゃないか。そんなもので行動したら、ロクなことはないと思う。/ただ僕はありのままの自分を貫くしかないと覚悟を決めている。それは己自身をこそ最大の敵として、容赦なく闘いつづけることなんだ。」

 人間はなかなかありのままの自分を見つめることはできません。というより、ありのままの自分を認めないのです。まっとうに自己と向き合えば、やるだけのことに力をつくすことができます。わたしはこれまで何度も岡本太郎を紹介しましたが、ますます魅力を感じるようになりました。あのエネルギーに満ちた生き方は自己とのたたかいであり、そこには教育の問題にとどまらない人生の本質があります。

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