コトバ表現研究所
はなしがい 192号
2002.7.1 

 四月二八日(日)NHKスペシャルで『奇跡の詩人』がテレビ放送されたのをご存じでしょうか。新聞の番組紹介では、重度の脳障害のある日木流奈君(十一歳)が文字盤を使って詩や文章を書くというのです。まず印象的なのは、「ドーマン法」という治療によって少年が全身をぎゅうぎゅう揉まれるような姿でした。まるで虐待されているかのようでした。

 また、三歳のときから見せられてきた大きなカードも紹介されました。大学ノートくらいの大きさの厚紙に、ひらがなやカタカナをはじめとして、おとなでも読むのがむずかしそうな画数の多い漢字を書いたものです。押入をあけると、二万枚になるというそのカードがたくさん重ねてありました。

 少年は五歳のときから文字盤を使って意志を表明するようになったそうです。その後、おとなの読む歴史や科学や哲学の本など二〇〇〇冊以上を読んできたそうです。母親はうしろから少年のぐったりしたからだを抱きかかえて、左手は少年の手に添えて、右手には文字盤を持ちます。そして、少年が指先で示す文字を母親が声に出して読みあげるのです。

●「奇跡の詩人」の怪しさ

 わたしもはじめは感動しそうでしたが、しだいにおかしいと感じるようになりました。母親が右手の文字盤を少年の指先に持って行くとしか見えないのです。少年の手を包み込んでいる母親の左手は、少しも動くようすがありません。それなのに、母親のことばは次から次にペラペラと出てくるのです。

 放送の翌日、NHKには賛否の両論の投書が二千通ほど寄せられたそうです。障害のある子どもをもつ親からは「ドーマン法」という問題のある治療法の紹介についての抗議も寄せられました。インターネットの掲示板でも、五万件以上の批判的な書き込みがあったそうです。

 NHKはこの反応におどろいて数日後に予定していた海外での放送を中止しました。そして、特別に五月一五日(水)『土曜スタジオパーク』で、担当ディレクターが出てきて釈明をしました。わたしも見ましたが、少年の指先がまちがいなく文字にあたっていることを示しただけで、その能力が本当なのかどうかが証明されることはありませんでした。

 そして、ついにこの問題をまとめた本も刊行されました。滝本太郎(弁護士)+石井謙一郎(週刊文春記者)編著『異議あり!「奇跡の詩人」』(同時代社)です。滝本氏はかつてオウム真理教事件で活躍した弁護士です。本の内容は、単に少年の能力の正当さを問うだけでなく、問題を諸方面へと広げています。マスコミにおける真実のあり方、正しい報道とは何か、「ドーマン法」の正当性、さらにNHKの放送のモラルなど、さまざまな角度から問題が考えられています。

●「読む」とは何か

 わたしが関心をもったのは、少年が「二〇〇〇冊の本を読んだ」ということばでした。わたしは表現よみという文学作品の読み方を研究しているので、障害のある少年の読み方がどんなものか気になったのです。それが本当に奇跡を生むようなすぐれた方法なら、わたしも知りたいと思いました。ところが、番組の説明に疑問を感じました。そんな読み方でコトバの能力がつくわけはないと思いました。

 本に付録としてテレビ放映の内容が記録されているので紹介しましょう。少年がドーマン法を受けている場面のあとでナレーションが入ります。

 ――運動面のリハビリと同時に、知性面でのトレーニングを重視するのがドーマン法の特徴です。両親は流奈君が三歳のとき、文字をカードに書いて見せはじめました。押入には当時使ったカードは今も大切に残されています。  それから、取材者にカードを操作して見せながら語った母親のことばがつづきます。

「母 これは絵ですね。たとえばこういう美術の絵を一〇枚ごとに……。聖家族とか、もっと早いんですけど、これくらいのスピードで、あの読んでいくんですよ。こう早く。その後、これを後ろの字を見せて題名と絵を両方覚えるという形でやっていきます。これが絵だけでなくて、これは取ったのがたまたま絵だったんですけど、えーと、あらゆる分野……。」

 つまり、「読んだ」というのは、このことだったのです。文字を目で見せて、親が読む声を聞かせるわけです。わたしたちは「読む」といわれたら、常識として内容まで理解したものと思います。しかし、これは見た文字の声を聞くだけのことです。

 わたしはいま流行の「声に出して読む」という教育にも共通する危うさを感じました。二つの読み方に大差はありません。目で見た文字が声になれば、それで内容もわかるという安易な考えのようです。

 そんなことを考えているうちに、わたしの本棚から次の本を発見しました。グレン・ドーマン著『赤ちゃんに読み方をどう教えるか』(1990/サイマル出版会)です。これはまさに「ドーマン法」のドーマンの本でした。いわゆる早期英才教育のための本だったので、同じドーマンとは思いもしませんでした。

 以前に読んだとき、その単純な考えに驚きました。たとえば、単語を読ませるときの次のようなトレーニングです。対象の子どもは一歳未満でも四歳でも年齢に関係ないといいます。

「さあ始めよう。一日目、まず「ママ」と呼んで、書いたカードを、子どもの手の届くか届かないかのところへ持ち上げ、はっきりこう言う。「これは『ママ』」(それ以上は言わず、説明もしない。一秒以上は見せない)」

 じつに単純です。こんな訓練を「単語、句、主語と述語だけの文、修飾語の入った文、本」という段階で同じようにすすめていきます。その結果、赤ちゃんでも本が「読める」ようになるというのです。「奇跡の詩人」の少年も、このようなやり方で二万枚のカードや本を「読んで」いったことでしょう。

 しかし、ことばがわかる、本が読めるというのは、ただ文字が声に置き換わるというだけではありません。文字と声の関係づけだけでなく、周囲の人々との交流のなかで、さまざまな関係を理解してコトバの意味が分かっていくのです。たとえ障害のない子どもであっても、ドーマン法のような読み方で二〇〇〇冊の本を読むなら、本の内容を理解することも、コトバの能力をつけることはできません。

 学びの基本は「読み書き」であると一口にいわれますが、「読み」も「書き」も、じつに奥行きの深いものです。あまりにも単純化した読みかたや、教育の仕方には警戒をしなければなりません。


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