コトバ表現研究所
はなしがい 190号
2002.5.1 

 毎年、五月三日には憲法のことを考えます。昭和二十一年に今の日本国憲法が施行された日だからです。記念の集会などがどのくらいあるのか、新聞にも関心を向けます。今年は特別な思いがありました。国会で「メディア規制三法案」「有事関連三法案」が審議にかけられようとしているからです。どちらも憲法の根本にかかわる法律です。また、小泉首相が八月十五日を避けて靖国神社の参拝をしたことも気になっていました。しかし新聞で見るかぎり、わたしが期待したほど、憲法への関心は高まらなかったようです。

文部省の『あたらしい憲法のはなし』

 わたしは専門学校で法律に関する授業を受け持っています。法の基本として憲法にふれる時間があります。わたし自身は学校の社会科の授業で、明治の「大日本帝国憲法」と昭和の「日本国憲法」について学びました。二つの憲法を比較した一覧表なども見ながら、ずいぶんていねいに読んだ気がします。しかし、近ごろは憲法を学ぶ機会はずいぶん少なくなっているようです。学生たちに「学校で憲法の授業を受けたことのある人は手をあげて」といっても、手をあげるのはクラスに一人か二人です。

 最近の世論調査によると、憲法の「改正」に賛成する人たちはすでに五〇%を越えています。「改正」の「正」は「誤」「悪」「邪」と対立することばです。「改正」の判断がはたして憲法を読んでのことなのかどうかが気になります。わたしは学生たちに直接、憲法を読んでもらいたいので、毎年、憲法の全文をプリントして学生たちに配っています。

 また、『あたらしい憲法のはなし』(昭和22年7月28日初版)という小冊子も紹介しています。文部省が作成して中学一年生の教科書として使われたものです。わたしが持っているのは、日本平和委員会が一九七三年に発行した定価一〇〇円の復刻版です。巻末には、憲法学者の長谷川正安の解説と憲法全文が収録されています。B6版五三ページ、ワラ半紙のような粗末な紙に印刷されたものですが、憲法の基本理念である民主主義、国際平和主義、主権在民などについて、中学生でも分かるようにやさしく解説されています。これを文部省がつくったとは驚くべきことです。

 これまでは入手がむずかしいので学生に回覧するだけでしたが、昨年、詩の小型本を出している童話屋という出版社から小さな判(タテ一四五ミリ、ヨコ一〇五)で出版されました。定価二八六円です。体裁は別にして、挿絵もそのままで、総ルビになっています。判が小さいだけ厚くなって七七ページです。これで多くの人たちに読んでもらえます。

憲法のウラがわを読む

 わたしは学生に憲法の話をするとき、それ以前の時代と比較して解説をします。それによって今の憲法にどのような意義があるかよく分かるからです。

 今の憲法については、いろいろな議論があります。戦後における成立過程から「占領軍による押しつけだ」「マッカーサー憲法」とよく言われます。でも、それは表面的な見方です。あらゆる思想が時代と状況のなかで生み出されたものです。問題にするべきは、はたして憲法の中に、どのような新しい理念と思想が実現されているのかとらえることです。そのために憲法を読んでみるべきです。それも一度ではなく、事あるごとに読み直す必要のあるものです。

 わたしは憲法の条文を読むときには、次のようなことを考えます。「それが憲法に書かれたということは、それ以前には、そのような現実がなかったか、あるいは正反対の状況だったのではないか」いわば憲法をウラがわから読んでみるということです。

 学生たちは当たり前だという顔をするのですが、戦前の話をすると驚くのが、第二十四条です。「婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。」

 「両性の合意のみ」の「のみ」に力点があります。かつては、親同士の口約束によって結婚が決められたという話を聞くことが珍しくありませんでした。

 また、憲法第三十六条には、「公務員による拷問及び残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とあります。これも一見して当たり前のようです。しかし、これと反対の事態があったことは想像できます。  「公務員」とは、警察官や検事など取り調べにあたる人たちです。かつて警察の取り調べで行われた拷問のようすは、小林多喜二の小説「一九二八・三・一五」で読むことができます。そして、小林多喜二自身が拷問で殺された事実が当時の現実を物語ります。「絶対に」という否定のことばが印象的です。

 また、憲法第十九条では「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」といいます。これも学生たちには空気のように受けとめられる考えでしょう。しかし、戦前には「思想犯」という名で、どれだけの多くの人たちが逮捕されたり、投獄されたり、殺されたことでしょう。その中には権力から思想の「転向」を迫られて、良心に苦い刻印を押された人たちもいます。

 今、憲法第二十一条が危うくなっています。「集会、結社及び言論、出版その他の一切の表現の自由は、これを保障する。」とくに言論、出版の自由が「メディア規制三法案」によって脅かされています。「個人情報保護法」「青少年社会環境対策基本法」「人権擁護法案」の三つの法案が「有事関連三法案」と組み合わされたら、かつての「治安維持法」の時代の復活につながりかねないとも言われています。

 戦後、国民が獲得した権利は憲法の条文として書かれています。しかし、書かれていれば実現されるというわけではありません。憲法の前文には国民自らの決意として「全力をあげてこの崇高な理念と目的を達成することを誓う」と書かれ、憲法第十二条には「この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない。」とあります。

 憲法の第三十一条から三十八条には「刑事被告人」についても、人権が守られることが詳しく書かれています。わたしはこのあたりの条文には、いかにして戦前のような権力による思想統制を回避するかという深い配慮があると考えています。

 今、わたしたちが目指すべきは、「自由及び権利」を「不断の努力」によって「保持」することです。憲法はこれまで何を実現したのか、これから何を目ざすのか、それを知るために、わたしはあらためて憲法を読み直そうと思っています。


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