コトバ表現研究所
はなしがい 181号
2001.8.1 
 夏休みが終わったら、専門学校の「社会」で戦後史を取り上げようと思っています。一九四五年の終戦から五十五年間ということになりますが、半世紀をひとくくりして「戦後」というのはムリです。終戦直後の五年を別にして十年ずつ区切ってみると、五〇年代、六〇年代、七〇年代、八〇年代、九〇年代と五つの時代にわけられます。わたしになじみがあって、イメージとしてまとまっているのは、はじめの三つの時代で、あとの二つはイメージとしてはつかみにくい気がします。また、そのあたりを歴史として自覚的に論じている人もあまり見かけません。

●大塚英志の本

 しかし、わたしにはありがたい道案内者がひとりいます。それは一七九号で紹介した大塚英志です。つい最近『戦後民主主義のリハビリテーション(論壇でぼくは何を語ったか)』(角川書店)という本が出ました。いわゆる「論壇誌」に発表した論文五十編あまりをまとめたものです。「論壇誌」というのは、『文藝春秋』『中央公論』『世界』『正論』『諸君!』『Voice』『論座』などの雑誌です。大塚の本業はマンガの原作や評論なのだそうですが、これらの雑誌にもさまざまな論文を書いてきました。
 この本は何度か書店で手にとって買うのを迷いました。ヴォリュームに圧倒されたためです。縦一九センチ、横一二センチの小型本ながら五七二ページ、文字数は四百字原稿用紙九〇〇枚分くらいです。一般の単行本三冊分です。薄い表紙の装丁なのにどっしり重いのです(いま計ったら六三〇グラムです)。それで一六〇〇円ですから安いことは確かです。しかし、ページをパラパラめくると今風のことばがやたらと目につくので、もしかして中身のうすい本かもしれないという不安もわきました。
 わたしに決意をさせたのは、これまで読んだ大塚の本の魅力と思想の発展への期待でした。読みはじめてすぐ、わたしの迷いは払拭されました。これまで読んだ大塚の本のなかでいちばんいいものです。サブカルチャーの評論家から出発した大塚ですが、ここに来て思想家としての風格が備わったようです。

●「戦後民主主義のリハビリ」とは?

 大塚はここ二十年間の思想状況の変化を「戦後民主主義」への評価を軸にして考えています。「戦後民主主義」を肯定する思想は七〇年代を境に、この二十年間でほとんど力を失いました。以前は「戦後民主主義」といえば当然のように肯定されましたが、今はむしろ否定されるべきものです。以前から保守的な論壇のなかで語られてきた考えの勝利です。現在、大ブームを引き起こしている自民党・小泉内閣の支持率八〇%という異常な事態も「戦後民主主義」が危うくなったことの象徴かもしれません。
 大塚は「戦後民主主義」の思想や文化を自らの存在を作り上げた大切なものと考えているので、否定することはもちろん、単純に肯定することについても疑問を抱いています。この本に収められた論文は「戦後民主主義」というものを根本から問い直して、その再起のための「リハビリテーション」をするものです。
 どの論文も日常の文化や芸術や風俗などの現象から論じ始めて思想や政治の批評にたどりついています。素材には、論壇誌の発言や少女マンガやアニメーション映画が目立ちますが、一般の文学作品や作家もとりあげています。石原慎太郎都知事の「三国人」発言の思想が、小説の中で正直に語られていることも指摘されています。また、田中康夫の「パブリック・サーバント」の思想の解説にも納得できます。

●「熊さん八っつあん」による床屋談義

 大塚が論壇誌の書き手に期待するのは「熊さん八っつあん」の床屋談義だといいます。論壇誌の書き手のほとんどが専門の研究分野をもちながら、専門外の政治や思想について発言しています。ですから、発言そのものの価値については、専門を持たない一般の人たちの発言と同等だということになります。
 ただし、そこで重視するべきものが一つあります。それは個人の体験にもとづく実感です。ある瞬間「ヘンだな」「イヤだな」と感じたことから出発して「普遍的なことば」を作っていくことだといいます。その実感を欠いて「戦後民主主義」を否定したり肯定したりすることは許されません。
 「知」の獲得について、大塚の「戦後民主主義」の思想がよくわかる例があります。大学受験の日本史の問題集に、明治憲法制定当時の草案の名称を問う問題があります。答えは「私擬憲法、日本憲法見込案、東洋大日本国国憲按、私擬憲法案、五日市憲法」などですが、単なる一問一答の知識とするのでなく、別の「知」も得られます。つまり、明治憲法制定前に日本人たちがさまざまなグループと立場から、それぞれの憲法草案を作ったという事実です。
 また、戦後の日本国憲法の制定の経緯から学べることもあります。その当時もいくつも憲法草案がさまざまな人たちによって作られました。アメリカの憲法草案は作成スタッフによって九日間で作られましたが、その中に、亡命ユダヤ人の娘で日本にいる両親に会うチャンスを作るために憲法のスタッフに加わったベアテ・シロタ・ゴードンさんもいました。
 これらの事実から学べることを大塚は次のようにまとめています。
 「一つは、この国が憲法を新しく作らなければならなくなった時、日本人は政党も市井の人もそれぞれに皆、自分なりの憲法を書いたこと。もう一つは、どうも憲法というのは普通の人でも少しがんばって勉強すれば草案くらいは書けるのではないか、ということ。」
 もうひとつ、わたしは大塚の教育者としての態度にも共感しました。大学の先生などが大学生の学力について発言するとき、どうもそこにある種の優越感が感じられると言います。そこで大塚の実践的な解決法は次のようなことになります。
 「知らなければ教えればいいだけの話であって、大学や専門学校で少しだけ教えている経験からいっても教えりゃ勉強するよ、あいつら、というのがいつも言う通りぼくの印象である。」
 大塚英志の教育に対するさっぱりした考えかたに、わたしはほっとさせられます。これは教育に関わる人たちにとって最も重要な考えです。大塚自身が「熊さん八っつあん」の立場から、自らの実感を通じて、普遍的な「知」のことばの世界へと向かっている人なのです。わたしは教育の考えかたについても大塚英志のファンになりました。


バックナンバー(発行順) ・ 著作一覧(著者50音順)