コトバ表現研究所
はなしがい 180号
2001.7.1 

 わたしは専門学校の「社会」の授業では、毎年、夏休み直前に、新聞についての講義をします。「社会」の内容はとくに定められていませんが、一般教養の基礎教育だと考えています。わたしは一般社会人が情報を得たり、知識を学ぶ手段として新聞は欠くことのできないものだと思います。

 わたしは以前から授業ごとに「すいせんの本」と称して一、二冊の本、それも文庫か新書を紹介してきました。その中には定番となった本もあります。吉野源三郎『君たちはどう生きるか』、立花隆『「知」のソフトウェア』『青春漂流』、なだいなだ『権威と権力』『教育問答』などです。

 学生がますます本を読まなくなっているということは以前から聞いています。あるデータでは、まったく本を読まない者が、小学生で一六・四%、中学生で四三%、高校生で五八・八%になるそうです。そんなことを聞くと、わたしはなおさら紹介したくなります。しかし、授業の内容としてはまずは本よりも手ぢかにある新聞を読むことをすすめています。

●新聞とその紙面

 授業で新聞を取り上げてから、わたし自身いろいろなことを知りました。大手新聞の発行部数は、数年前の統計では「読売」の一〇一六万部をトップに、「朝日」(八二六万部)、「毎日」(三九四万部)、「日経」(二九六万部)、「産経」(一九〇万部)という順位です。これらの合計は五千万部以上、地方紙など入れると六千万部を越えます。最近、携帯電話の加入者が六千万件を越えたことが話題になりましたが、その数とほとんど同じです。そう考えると、新聞というメディアも巨大なものです。

 もう一つ大きなメディアにテレビがあります。こちらのNHKの契約件数は約三千五百万軒です。もちろん一家に一台ではないので、台数としたらずっと増えますが、わたしが学生から感じる印象ではあまり重要ではなくなった気がします。かつてはだれもが関心を持って話題にするテレビ番組というものがありました。プロレスやボクシングの中継などすごいものでした。しかし、今では授業中に、これなら学生が見ているだろうという番組の話をしても、二、三人の学生が反応するくらいのものです。

 わたしが新聞について話すのは、ごく常識的なことです。新聞というメディアの特徴、新聞の発行部数、テレビ局と新聞社との関連、そして、新聞の紙面の構成などです。授業のときには、実際に新聞を持参してもらって紙面を見たり、投書や記事を分析しながら読んだりします。

 わたし自身もおもしろいと思うのは新聞の紙面構成です。日本で最初の新聞である『横浜毎日新聞』が明治三年(1870)に出てから百三十年間、紙面構成も工夫されてきました。今ではどの新聞にも共通するようになった紙面構成は、わたしたちが社会を見る角度の表現となっています。

 たとえば、わたしの家の『東京新聞』は次のような紙面構成です。一面のトップ記事は毎日変わりますが、以下〈総合(政治)〉〈社説・発言〉〈国際〉〈経済〉〈証券〉〈特報〉〈テレビ・BS〉〈芸能・番組〉〈暮らし〉〈スポーツ〉〈社会〉、ほかに地方版などがあります。

 授業のとき、わたしは学生たちの前で新聞を広げて一面ずつ見出しやおもな記事を拾って読みながら、それぞれの面の特徴を話します。そして、試験のときには、各紙面の見出しを上げて、どの紙面から取られたものか分類する問題を出しています。また、新聞記事への感想や意見を書く問題もあります。

●教育のアカデミズムとジャーナリズム

 わたしは教育にもアカデミズムとジャーナリズムと二つの面の統一が必要だと考えています。アカデミズムの面というのは、学問としての基礎的な知識や能力を身につけることです。今さかんに言われている基礎・基本の重要性とはこのことです。それに対して、ジャーナリズムとは、現実や日常のできごとに目を向けて、そこから学ぶことです。

 ジャーナリズムの面は学問の実用性といってもよいでしょう。日々変化する現実そのものを学ぶことです。しかし、これもアカデミズムと結びつけられねばなりません。近ごろの教育のとりあげ方について、実用性ばかり強調されることが気になります。NHKテレビ『課外授業ようこそ先輩』に象徴される「体験学習」「総合学習」です。ここにはこんな考えがあるようです。――今の子どもたちは決定的に体験が不足しているのだから、まずはともかくいろいろなことを体験させることだ。

 しかし、教育にとって重要なのは、体験を経験へと高めることです。経験となるべき体験です。ただやらせればいいのではありません。何のために体験させるのかという目的が必要です。体験とは何かをやってみること、経験とは体験したことについて、その意味をとらえることなのです。

 体験とはいわばジャーナリスティクなものですが、体験を経験へ高めるには、アカデミズムによる裏づけが必要です。ある体験を経験に発展させるためには、その意味を知識として確認する必要があります。わたしがもっとも重視すべきだと考えるのは、体験をコトバにしてとらえることです。ある体験を自らの頭のなかにあるコトバの体系と結びつけることです。体験のしっぱなしで終わるのではなく、コトバに表現して経験のかたちにすることです。

 たとえば読書指導で「本を読ませても感想文は書かせるな」という主張がよく見られます。わたしは義務的な感想文の強制に問題があるのだと思います。だれでも、おもしろい本を読んだら人に話したくなります。読書といったら読書感想文という単純な発想ではなく、読書のあとでの話し合いをすることでもいいでしょう。とにかく考えをコトバにすることで読書の体験は経験へと発展するのです。

 新聞の記事は社会のできごとを経験のかたちに置きかえたものです。あるできごとが新聞の紙面の構成におさめられることによって、わたしたちは社会を特定の角度から見られます。さらに、紙面ごとに分けて書かれたさまざまなできごとを総合して考えることもできるのです。

 現在、日本の経済は低迷状態にあります。今、どのような政策が企画され、各企業はどのような対策をとり、そこに生きる人びとの間にどのような事件が起きているか。それらのできごとが新聞の各紙面に書かれています。新聞の各記事は同時代の社会の一面として見られるし、新聞の全体が日本の社会としてまとまった世界を表現しているのです。


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