コトバ表現研究所
はなしがい 179号
2001.6.1 

 わたしは調理師の専門学校で一般教養としての社会を教えています。調理師として必要な社会の知識を養う科目なのですが、わたしは一般社会人として必要な知識の教育だと思っています。専門学校は高校卒業生で入学するのが普通ですが、最近は転職や退職後の職業訓練のために入学する人たちが増えています。若い世代は一九八二年生まれですが、終戦直後の生まれの人もいるので四十年くらいの広がりがあります。そんな人たちに共通して必要な社会の知識とは何なのか今年もいろいろと考えています。

●現代社会とはなにか

 つい先日の授業で、近代社会と現代社会について話しました。近代の出発点は明治維新の一八六八年となっていますが、現代社会については定まった定義がありません。それも当然のことで、現代とは今を生きている人びとにとってのものです。とはいっても学生たちの世代はまちまちですから、それぞれの世代の現代が考えられるわけです。

 わたしは近代以降のいくつかの年号をならべて、学生たちにどこから現代がはじまると思うかと問いかけました。

 一九二五年 男子普通選挙権・治安維持法成立
 一九四五年 終戦
 一九六〇年 日米新安保条約反対闘争
 一九七三年 オイルショック
 一九九〇年 バブル崩壊

 二、三十年前には現代というと終戦から考えるのが常識でした。しかし、半世紀以上たった今では一括して現代として論ずるわけには行きません。わたし自身は一九七〇年に大学に入学して、学生時代に経験したオイルショックを境に社会が大きく転換したという印象を持っていますが、その変化がいったい何なのかはっきりつかめずにいました。

 しかし最近、大塚英志『「彼女たち」の連合赤軍―サブカルチャーと戦後民主主義』(角川文庫)を読んで、一九七〇年代前半の転換の意味が見えた気がしました。この人はもともと少女マンガの批評家として登場した人で、「おたく」の世界と称されるサブカルチャーを対象に評論活動をしています。

 かつては社会全体をおおいつくす一つの文化というものが感じられましたが、今はそうではありません。社会をとらえるのがむずかしくなったということもよく言われます。かつては一つのように思われた文化が今は多くのサブカルチャーに分かれてしまったのかもしれません。もしかして、それは自由の発展を意味するのかもしれないし、そこに新たな文化のエネルギーが潜んでいるのかもしれません。

●サブカルチャーの時代

 『「彼女たち」の連合赤軍』は連合赤軍のリンチ殺人事件から時代の転換点をとらえた本です。主犯の永田洋子はリーダーとして十二人の仲間をリンチして殺しました。その人が獄中で〈乙女ちっく〉なイラストを描いていたという意外な話から書き出されます。そして、一九七二年の連合赤軍事件が、それまでの政治を中心にした思想から新しいサブカルチャーへの大転換だったというのです。

 サブカルチャーの世代にはいくつかの特徴があります。その一つは自己というものがないことです。「私」が何であるかを自らすすんで示すことができません。たとえば、幼女連続暴行殺人犯の宮崎勤は他人から自分が評されることに期待し、重信房子はマスコミに取りあげられ見つめられることを喜び、村上春樹はなま身の自分自身の探求につながるような小説を書かないといった具合です。

 連合赤軍事件では、リーダーの森恒夫の「ぼく」と「私」の使い分けが例にあげられています。森は「私」という人称で自らの「政治」運動の「自己批判書」を書いたのですが、とうとう「私」の責任というものにたどりつくことができませんでした。それを本人も自覚して、最後には「ぼく」という人称で自らの弱さを認めた手紙を遺して自らの命を絶ちました。

●「母」と「国家」と「歴史」

 大塚がサブカルチャーの女性たちの書いた出産に関する本から戦後民主主義の危機を見ることにもなるほどと思わせられました。かつて女性問題は歴史と現実から考えられたのですが、今は出産の生理への感動といった神秘主義で語られているといいます。サブカルチャーの時代は、現実をリアルな歴史としてとらえずに記号にしてしまう時代です。

 大塚は、妊娠や出産の神秘主義が歴史や社会の問題とならず、超時代的な「母」や「自然」への信仰につながり、さらに戦後民主主義以前の古い「国家」意識に吸収されてしまう危険を感じています。

「戦後民主主義の精算の動きと出産本のブームは「母」=「自然」=「国家」の奇妙な回復の動き、としてぼくには一つは現象のように見て取れる。」

 大塚には自らの「歴史」の回復というモチーフがあります。それは村上春樹『ねじ巻鳥クリニカル・第三部』の作品評価にあらわれます。これまで現実社会とのかかわりのないところで、おとなの童話のような世界を描き続けてきた村上春樹が「歴史」を描こうとし始めたことを高く評価しています。

 今、日本では社会と歴史の教科書の検定問題に見られるように二つの歴史の見方が対立しています。一つは、戦後民主主義の立場から語られてきた「歴史」であり、もう一つは、それに反対する「新しい教科書をつくる会」のような「歴史」です。おそらく大塚はどちらの立場も支持しないでしょう。

 というのは、どちらも自らの属するサブカルチャーとは異質だからです。きっと自分自身が生きてきた実感のある「歴史」を考えたいのでしょう。それは他人事としての「歴史」ではなく、自ら生きた現実としての「歴史」です。大塚の書いてきたさまざまなサブカルチャー論は、その探求の足跡なのです。

 大塚は連合赤軍のもう一人のリーダー・森恒夫の遺書となった手紙の〈ぼく〉にふれて述べています。

「それでは〈ぼく〉と「歴史」はどうつながっていくのか。それは〈ぼく〉の一人としての、ぼく自身がたった今、かかえる大きな問題としてある。」

 大塚は「おたく」仲間からは評判がわるいようです。その理由は「おたく」の立場に安住せずに、そこからはい出そうとしてあがいているからだそうです。しかし、大塚の批評のセンスの輝きは、その真摯な姿勢から生まれてくるのです。それがあるかぎり、わたしは、たとえ難解であっても大塚の発言に耳を傾けていくつもりです。


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