コトバ表現研究所
はなしがい 174号
2001.1.1 

 新しい年と新しい世紀を迎える歴史的な新年です。わたしは昨年暮れからずっと、下村湖人『次郎物語』(新潮文庫)をおもしろく読んでいます。今は次郎が中学五年生になった第四部です。何よりの魅力は作品を貫く人生観です。文学の基本「人生はどう生きるべきか」が一つ一つの場面で問われています。

●『次郎物語』の書かれた時代

 この作品の構想が作者に生まれたのは学生時代のことです。二十三歳のとき「生立ちの記」として五十枚が書かれましたが、途中で破棄されます。あらためて着手したのが五十二歳、昭和十一年(一九三六)のことです。それまでに、さまざまな経歴を経ています。軍隊への入隊、中学校教員の仕事、結婚、中学校教頭、中学と高校の校長などを経験したのち、学校教育を離れて社会教育への道をめざします。

 第一部が書きあげられたのは昭和十三年、第二部の出版が昭和十七年、第三部が昭和十九年です。時代は戦争の真っ最中です。そして、第四部は戦後の昭和二十三年に六十四歳で自ら創刊した雑誌『新風土』に連載されて翌年に出版されました。最終の第五部が出版されるのは、それから五年後です。

 一部二部三部は作品の書き方に大きな差はありません。主人公の成長とともに作品の世界が広がっています。しかし、第四部は全体を通じて、恩師・朝倉先生の辞任事件をめぐる二十日間のエピソードがていねいに描かれます。戦後に書かれただけに、戦争への反省があります。教育によって社会を変えることができるのか、教育者はどのような態度で教育に取り組むのかという大きなテーマも感じられます。

 ちょうど今、二十一世紀を迎えた日本の教育を考えるための参考にもなりそうです。日本は今、バブル経済崩壊後の迷いを引きずりながら、敗戦後の混乱にも比較できる新たな出発の方向が問われています。戦争の時代に教育の実践者として過ごした下村湖人から学ぶべきものがいろいろとありそうです。

●「時代の勢い」というもの

 第四部冒頭で次郎の父が戦争に突入しつつある時代について次郎に語る場面があります。そこには社会とかかわる人間の基本的な態度が示されています。

 次郎は旧制中学五年生です。尊敬する朝倉先生が五・一五事件についての発言の責任を問われて辞職させられるという噂が立ちます。次郎は一人で悩んだすえに、校長と知事あてに、朝倉先生の留任を要求する血書を書きます。血書を仕上げた直後に、父に現場を見つかってしまいますが、父は次郎の使った西洋かみそりや血の入った皿を見ても何も言わずに冷静に、片付けなさいというだけです。不安になった次郎は血書を書いたことはいけないことかとたずねます。すると父は自分でいいと思うならいいと言い、成功すると思うのかと問いかけます。次郎は成功させると答えるのですが、父は無視されるだろうと言い、「時の勢い」についての話をします。

「時の勢いというものは、一度できてしまえば、それを作った人にもどうにもできないものだよ。現に、五・一五がそうだろう。政党の腐敗を憤り、軍人が腐敗した政党と結んで政治に関係するのを快く思わなかった人たちは、決して乱暴なことを企んでいたわけではなかったんだ。ところが、その人たちの考えが一旦時の勢いを作ってしまうと、次第に不純な分子や無思慮な分子がその勢いに乗っかって来る。これではならんと思っても、そうなると、もうどうにもできない。」

 父は血書が朝倉先生の望まないストライキにまで発展することを恐れています。それで父は次郎自身がどうしたらいいのかという心がけを語ります。

「血書なんていうものは、元来誇るべきものではない。人間の冷静な理知に訴えるだけの力のない人が、窮余の策として用いる手段だからね。」

 それから父は自らの若いころの心情を振り返って、ひとりよがりの義侠心への反省をこめて語るのです。

「世間には、若いうちは功名心に燃えるぐらいでなくちゃあだめだと言う人もある。しかし、私はそうは思わない。ことに今のような時代には、そういう考え方は禁物だ。静かに、理知的にものを考えて、極端に言うと、つめたい機械のように道理に従って行く、そういう人間がひとりでも多くなることが、この狂いかけた時代を救う道だよ。」

 このことばを読んで、わたしは今の若者たちのようすを思い浮かべました。かつてのような熱情は感じられませんが、静かに、理知的にものを考えられる可能性はあるかもしれない。たしかに「つめたい機械」のようであっても、道理に従って行くのならいいのではないかと思えたのです。

●「白鳥芦花に入る」

 それなら「理知的にものを考えて」「道理に従って行く」人たちは、社会においてどんな立場に立って、どのような役割を果たすのでしょうか 。一つの答えは同じ作者の『論語物語』(講談社学術文庫)に孔子の人生として描かれています。たとえその時代の人たちから理解されず受け入れられなくても、のちの人類へと希望がつながれます。事実、今の時代に、孔子の教えは受け継がれています。

 もう一つは、第三部で次郎の入会した「白鳥会」の名を象徴する「白鳥芦花に入る」という額のことばに示されています。つまり、「真白な鳥が、真白な芦原の中に舞いこむ、すると、その姿は見えなくなる。しかし、その羽風のため、今まで眠っていた芦原が一面にそよぎだす」というのです。

 これは社会の変革を意識した者の役割と実践の方法を暗示するものです。より具体的には次のようなエピソードが紹介されています。

 ある村で、若い人たちが集まって団体を作り、村の生活の調和と革新をはかっている。正面切って改革を叫んだり集団行動をするわけではない。団員たちは月に何回か集まって意見を出し合い、計画を定めたりするが、決議などを発表するわけではない。具体的な実践行動についてはめいめいの自覚にまかせている。この団体はいわば「村の地下水」となって、村民の生活の根をうるおしている。これがほんとうの意味で公共に仕える道ではないかといのです。

 たしかに、教育の仕事は大声で何ごとかを叫ぶようなものではありません。まさに「白鳥芦花に入る」のことばどおり、地味で目立たない仕事です。

 わたしは世紀の変わり目に、このようなすばらしい作品に再会できたことに感謝しています。わたし自身も、現代の教育問題のゆくえに注目しながら、もうしばらく『次郎物語』を読みつづけます。


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