コトバ表現研究所
はなしがい 170号
2000.9.1 
 岡本太郎(1911-1996)には以前から関心を持っていました。最初の出会いは、中学生の塾で国語を教えているとき、「でたらめがなぜ書けないか」という教科書の文章でした。既成の価値観にしばられずに自由に自分を表現するという芸術論がわかりやすく書かれていました。教科書にはめずらしいあたたかい語り口が魅力的でした。あとで、これが『今日の芸術』(光文社新書。今は文庫に収録)の一部だと知っておどろきました。レベルの高い芸術論をやさしく書けるというのはたいへんなことです。

 岡本太郎というと、「芸術はバクハツだ!」というコトバや、大胆な筆づかいと鮮やかな色彩で描かれた迫力ある絵が目に浮かびます。でも、わたしは好みではありませんでした。しかし、最近、『青春ピカソ』(2000新潮文庫)を読んで、ついニコリとしてしまうようなユーモアの感覚を思い出して、あれが岡本太郎の魅力かもしれないと思っています。

 先日、古書店で『一平 かの子―心に生きる凄い父母』(1995チクマ秀版社)という本を見つけました。父母の伝記はもちろん、芸術論、文学論でもある内容の豊かな本ですが、岡本太郎の育ちや教育について多くのことを知ることができました。

● 太郎の父と母 

 太郎の父は大正から昭和にかけて大人気だった漫画家・岡本一平、母は作家・岡本かの子です。芸術家の父母に育てられたのですから、芸術家になるのも当然のように思います。しかし、この家庭はここでは書ききれないほど破乱万丈のものでした。

 太郎の成長に大きな影響を与えたのは、父よりも母でした。かの子は最初から作家だったのではありません。一平の熱烈な求愛によって結婚したのですが、まさにたいへんな女性でした。とても純真な女性なのですが、それだけに人の噂や評判によってかんたんに傷つけられる人でした。

 「こんな純真で、潔癖な人間があるだろうか。幼心にも驚異に感じられた。事実、岡本かの子はいわゆる母親ではなかった。よく童女といわれたくらい、思うこと、振舞うこと、すべて率直に無邪気にさらけ出す。世間智のようなもの、また意地悪さなどという女っ気や大人びたところはみじんもなかった。」

 そして、何か心が傷つくようなできごとがあると、まだ幼い太郎のところに駆け寄ってきておろおろと泣き出してしまいました。しかし、そんな母がかえって早くから太郎の自立心を育ててくれたのです。

 「わが母は日常的な躾などには全然無頓着だった。が、人間として心情の潔癖、純一ということにはきびしかった。というより彼女自身の神経が不純なものには耐えられなかったのだ。幼い子どもの時から、母に対してちょっとでもいい加減な態度をとったり、まともにぶつからなかったりすると、身をふるわして激怒した。その人生の辛さ、悩み、苦しみを、こちらがわかろうと解るまいと、子供だからなどという手加減は全然なくひたすらな嘆きをこめて打ち明け、めんめんと訴えた。」

 「母はようやく物ごころつくかつかぬかの境の私に向かって、一人前の男に対するように語ったり相談したりした。それは教育上よいことか悪いことか知らない。しかしひたむきになって難しいことも恥じらうことも、うちあけて語る母にわたくしは自分が一人前の人格を備えた相手のように聞きながら、世の憂きことどもを心にやきつけられると同時にそれらを撥ね返す力をも教えられ、確りさせられた。」

 また、父も太郎と対等な人間として接してくれて、自立を手助けしてくれました。父との関係もいかにも男の子らしいおもしろいものです。
 「父の一平の方は、冷たいというのではないが、私に対しひどくさっぱりしていて、父性愛めいたものを見せたことはなかった。態度もまったく対等だった。親だからという気配は全くなく、対等に芸術論もする。私の方が論理的で言い負かしてしまうこともあった。親父の方がどうも勝味がないと思ったのか「よし、この結果は十年後にどっちが正しかったか、見よう」などとむきにひらきなおったこともある。」

● 開かれた親子関係

 このような父母のもとで、太郎は育ちました。しかし、母の純真さを受けついだ太郎には、世間の風は冷たいものに感じられます。

 「こんな教育を受けて育ったから、私はいわゆる世の中に生きて行くのにはまことに不自由な性格だ。まず小学校に入った年に、一年間で四つ学校を変えた。先生の不純さ、ごまかしが許せず、抵抗して、どうしてもその学校にいられなかったからだ。ひたすら純粋であった。だからこそ、悔しかった。」

 「自分が純粋にものを考え、行動しようとすればするほど、世の中は反対に動いている。今日でも、私自身、非常に純粋であり、潔癖だ。そしてそれをむき出しに行動している。そう信じている。だがそういう人間こそ逆に、ハッタリだとか、インチキだとかいう罵言を浴びせられる。」

 しかし、太郎は画家として、芸術家として、自分の人生をきずきあげて、広い境地に到達することができました。母性の理想にたくして述べられた考えは、教育の一つの理想を示しているように思えます。

 「大体、世の母親はわが子だとかわが母だなんて、まるで自分の財産ででも守るように、子供にしがみつこうとする。ああいう排他的気分は大嫌いだ。もし母性愛をもつんだったら、もっと世の中の若い人すべてに、これからのびて行く人間への信頼と愛情をもって包むべきだと思う。そういう大母性こそ女としてすばらしい。」

 そして、親子の関係については、次のようなスケールの大きい考えにたどりつきます。

 「人間にとっての親は、一人の孤独な他者である。共に生き、影響し、覆いかぶさるような力をもって影響しながら、また、はね返され、共にたたかい生きた後に、やがて忘れられる、子にとってのもう一人の人間である。」

 「私は親とか肉親、また社会的特殊関係などというものは本質的なものとは思わない。「マイホーム」反対論者である。「自分のもの」という、せまい市民根性。国境を作って、その内部だけが大事、とかかえ込んでいる感じが私には精神的肉体的にやりきれない。だから独身をつらぬき、逆に生活をひらいているのだ。」

 岡本太郎のこのような考えを知ると、あののびのびと自由に創造された作品を、また新たな目で見直してみたくなります。


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