コトバ表現研究所
はなしがい168号
2000.7.1 

 最近、教養というものは歴史の意識に支えられていなければならないのだと考えるようになりました。どんなできごとでも、それがどこから、どのようにして今に登場したものであるか知ることができれば、そのものの未来も予測できます。

 教養は一般的な知識ではありません。歴史のなかで知識として意味をもたなければなりません。歴史の教育では、どんなできごとを選ぶのか、歴史のながれをどうつかむかということが重要になります。

●教養としての歴史

 わたしは専門学校の「社会学」で授業の中に戦後史をとり入れています。といっても大げさなものではありません。一九四五年(昭和20)の終戦から現在まで、現代日本を考えるために常識として知っておくべき主なできごとをとりあげて話すのです。

 専門学校の学生は高校卒業以上ですが、基本的な歴史の知識はあやしいものです。近代日本のはじまり、明治維新の一八六八年を知っているのは、毎年一クラス五〇名中一〇名くらいです。これは学生たちの知識の貧しさというよりも、日本の歴史教育の貧しさといってよいでしょう。

 わたしは社会問題や日常の話題などをとりあげて授業をするうちに、ますます戦後史の理解なしに現代の問題は考えられないと思うようになりました。もちろん、もっと古い時代の歴史も現代に影響を及ぼしています。しかし、直接に実感できるつながりといえるのは、ここ五十年ほどの歴史です。

 歴史の話はただ単に事件と年号をラレツすればすむようなものではありません。わたし自身が歴史の流れをつかんでいないと、事件について話せません。わたしは学生のころには、戦後の歴史に関心を持って、戦後史の本も何冊か読みましたが、それらに書かれた時期から四十年がすぎています。

 それで最近の歴史については、自分なりに事件を選んできました。その基準は、第一に経済の発展と変化、第二に政治の変化、第三に社会の問題の変化でした。そして、戦後史のながれも、これらのできごとの変化として話してきました。参考になりそうな本も探していたのですが、これはと思うものがなかなかありませんでした。

●戦後史の骨格

 そんなとき、わたしが望んでいた本を発見しました。鹿野政直『日本の現代――日本の歴史(9)』(岩波ジュニア新書)です。中高校生向けに書かれた内容の濃い本です。「現代の日本」でなく「日本の現代」というタイトルからも「現代」のもつ意味をとらえようとする意図がよく分かります。

 一九五二年(昭和27)の対日平和条約調印から、つい一年前の一九九九年のできごとまで「歴史」のワクでとらえています。わたしたちの生きている今が歴史になっていくことを感じさせてくれます。

 わたしがまず感心したのは、この五十年間の日本の歴史の基本軸を明確に示してくれたことです。著者は単純明解に、戦後日本歴史の基本軸を次のように定めています。

 「(前略)いまに連なる半世紀に眼をこらすと、二つの枠組が、この時期の日本の骨格をかたちづくっていたことが見えてきます。一つは、経済大国という枠組であり、いま一つは日米関係という枠組です。前者は、この時期に造られ、日本を変えました。後者は、それに先立つ時期に造られ、この時期に深まりました。」

 この指摘をアタマにおいて次の表紙カバーの文章をよむと、この時期の日本の歴史の全体像が見えてきます。

 「敗戦以来五十有余年、私たち日本人はアジアの中でまた世界の中で、一体どのような道を歩んできたのか? 安保体制、高度経済成長、沖縄、「豊かさ」、管理社会、受験競争、国際化、女性、人権などさまざまな側面からこの時代の本質的な特徴をえぐりだし、「戦後」ひいては日本の「近現代」そのものの意味を根底から問い直す。」

 さらに、その歴史について書く著者自身の立場にもわたしは魅力を感じます。自分について、プロローグに次のように書いています。

 「この半世紀は、わたくしにとっては、成人として生きてきた時期と重なります。その意味でわたくしは、この時代を造るに当たって、否応なく参加者あるいは加担者の一人でした。また、時代の造られかたについての批判者の一人でもありました。」  さらに、エピローグでは自ら歴史研究家となった動機を語った次のようなことばもあります。

 「どうすれば、歴史叙述のなかに私″を回復できるだろうか。自分がそのなかに身を置くことになった歴史学に、幾らかの違和感をもちつつ、年来そんなことを、あれこれと考えてきた。そうして歴史学は、「何をしたか」ばかりでなく、「どう生きたか」をも対象としなければならない、と確信するようになった。「大文字の歴史学」にたいして「小文字の歴史学」が、わたくしの志となった。」

 わたしは以前に同じ著者の『近代日本思想史案内』(1999岩波文庫)を読んだのですが、これまでの歴史の本にはない情熱を感じました。それがどこからくるのか分かったのは、このエピローグをよんだときでした。

●「生きる力」と歴史の知識

 教養というものは、一般には常識的な知識のことであると考えられています。しかし、もう一つ「身についたもの」という意味があります。そもそも教養とは、人格と一体化したものなのです。そうであるなら、教養としての歴史の知識も、当人が生きる今の時代を考えるための手助けとなるべきものです。

 今、教育の世界では「生きる力」ということが言われていますが、抽象的な訴えのように感じられます。人は常に特定の時代に生きています。自分の生きる現代という時代を知ること、そしてそれがどのような過去から生まれてきたものか知ることによって、未来への展望が開かれます。生きる意志は、抽象的な情熱から生まれるものではありません。時代を意識的にとらえて、その時代と向き合う態度から生まれるものです。

 わたしは、この歴史の本を、毎年推薦する図書の一冊に加えることにしました。そして、夏休み前の最後の授業で、学生たちに回覧して紹介しました。わたしの夏休み明けの授業は、日本の現代史からスタートします。それまでにもう一度読み直して自分用の索引を作り上げようと思っています。


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