コトバ表現研究所
はなしがい167号
2000.6.1 

 前号で、わたしの教えている専門学校の学生との電子メールのコミュニケーションにふれて書きましたら、別の学生・Mさんがインターネット上で読んで、電子メールで感想をくださいました。原稿用紙七枚以上になる長文です。ご自分の体験をもとにして、電子メールの可能性を書いています。

●電子メールの経験
 わたしがなるほどと思ったのは、Mさんが退社の経験にふれて書いたことです。電子メールには、仕事上の人間関係を越えて、私的な親しさを生み出す可能性があるようです。

「電子メールは、自分の気持ちを比較的素直に表現できるような気がします。本校に入学する前に、会社を辞めた際に電子メールで退職の案内を知人、関係者に送りました。当然一対一のコミュニケーションですが、多くの方から「なぜ、会社を辞めたのか?」という質問が寄せられました。私は返信メールで、正直に自分の将来の夢について書きました。そしたら、それに対して様々な意見を頂戴することができました。」

 また、「話すよりも書くほうが冷静に考えられる」という原則が電子メールに生かされた例もあります。

「同じマンションで騒音問題について話し合う機会がありましたが、問題を起こしている当事者から、電子メールで自分の所感を送ってきました。直接話し合うのはいやだから、電子メールで意見交換させてほしいということでした。その方は、「言葉」で争うよりも、「文書」で争うほうが、自分にとって有利だと考えたのでしょうか? そして、電子メールでコミュニケーションしてわかったことは、本人は非常に感情的になりやすく、リアルタイムで自分の考えをまとめるのが苦手のようです。しかし、文書にして読み返しながら自分の考えを整理していく方法ならば、冷静にコミュニケーションできるようです。電子メールをこのように活用している人もいるのですね。」

 Mさんの結論は次のようにまとめられています。

「電子メールは、手紙やFAXと異なり、「安易」に利用できる(字の汚さや、様式を問わない)点が、普及を早めているような気がします。手紙やFAXだと、もらった相手も返答するまで時間がかかるケースがあります。この「安易さ」が気軽に利用できる最大のポイントであると思います。また、その活用の有効性という観点からみれば、文書を書く力のある人は、力強い説得が可能なツールでもあります。電子メールでのコミュニケーションは、手紙を書かなくなった日本人の文書を書くためのトレーニングの場のような気がします。」

●「教養講座」と基礎的能力
 わたしは専門学校の「教養講座」を担当して、二十年になります。最初の依頼は、読み書きなど一般的教養を教えてほしいという注文でした。当時わたしは中学生のための補習塾で国語の講師をしていました。また、日本コトバの会にも所属して、日本語の実践的な能力養成の方法などを学んでいました。

 それで、専門学校では、コトバの能力を身につけることを中心にした授業を行うことにしました。「読み書き」の能力をつけるための基礎的な訓練法にはじまって、メモの取り方、本の読み方、文のつくり方などを話してきました。幸いなことに、学生たちからは「社会に出てからも役に立つ内容だ」という評価を得てきました。

 しかし、わたしとしては、なんとまあ、基礎の基礎のようなことをやっているものだという思いもあります。今でも、わたしの授業の内容が、ほんとうに学生たちの教養を高める力となっているのだろうか、現代における教養とはいったい何だろうかという疑問はいつも抱いています。

 今回、Mさんのメールを読んで思ったことは、新しい技術を操作するための基礎となる教養というものがやはり必要なのだということでした。

●生涯学習としての教養

 先日、中央教育審議会から、生涯を通じて教養を身につけることが大切だという答申が発表されました。たしかに、教養というものは、人生の一時期に学んで身につけられるものではありません。

 手近な国語辞典を見ると、「学問・知識などを身につけることによって得られる、心のゆたかさ」と書かれています。中心点は、「身につけること」であり、それが単なる技術でなく「心のゆたかさ」にまで高められたものだということです。

 毎年、わたしは「教養とはいったいどんなものか」と学生に問いかけます。そして、「教養と聞いて思いつくコトバ」を書いてもらいます。よくあがるのは「学問、知識、知恵、常識」などのコトバですが、「お茶、お花、花嫁修業」などもあります。なかなか一言では答えにくいことばですが、それだけ奥行が深いともいえるでしょう。

 教養そのものは各人によってちがうものだと思います。しかし、教養の基礎にあるものは、やはりコトバの能力を中心にしたものだと思います。わたしは、コトバの能力の基準について、およそ次のような基準を考えています。

読み――新聞を読んで理解し必要な情報を取り出せる。また岩波新書レベルの本を読み切れる力。
書き――原稿用紙三枚程度の文章が書ける。下書きならば十五分で四百字一枚くらい書ける力。
話し――おシャベリや雑談ではなく、すじや論理でまとまった内容の話を三分くらいでできる。
聞き――ラジオのニュースや講演などを理解して聞ける力。人の話に的確な質問のできる力。

 わたしが学生たちに教えてきたことは、教養そのものというよりも、教養を身につけるためのコトバの能力です。半年ほど前、『日本語練習帳』という本がベストセラーになったのは、多くの人たちが、自らの日本語能力=コトバの力に不安や疑問を感じていることの現れでしょう。

 これまでは、日本語の能力とは、漢字や単語の知識のように考えられてきましたが、近ごろは「読み書き」だけでなく「話し聞き」まで含んだコトバの能力が求められています。さらに、時代が変わろうとするときには、現代の社会について、政治や経済や歴史についての基礎的な知識も必要になることでしよう。

 わたしも専門学校の学生とともに、教養を身につけるためのコトバ能力を鍛えつつ、そのときどきに必要な教養について考えていこうと思っています。


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