コトバ表現研究所
はなしがい166号
2000.5.1 

 専門学校の新年度が始まって一ヵ月がたちました。このところ十代後半の若者の犯罪が目立ちます。この連休中にも、十七歳の若者によるバスジャックと高校三年生の通り魔のような殺人事件が世間を騒がせています。そのほかにも、若者による気になる事件がいくつも起こっています。犯人は、わたしの学生と同世代の若者たちですから、わたしも無関心ではいられません。

●青年と時代の不安

 最近の事件の背景として思いつくことは、時代の不安感です。世の中が不景気で、明るい展望の見えないときには、とかく異常な事件が起きるものです。毎日のように新聞やテレビで異常な殺人事件が報道されても、わたしたちはかつてのように驚かなくなっています。しかし、若者たちの行動には時代の風潮が反映されているのかもしれません。

 じつは、わたしは連休前の授業で、ドストエフスキーの小説『罪と罰』の話をしていたので、なおさら今度の事件が気になりました。主人公の青年ラスコリニコフが、高利貸の老婆を斧で殴り殺して金を奪うことから話が始まります。老婆の持っている金を貧しい民衆のために使うことが世の中のためになるという理由でした。殺人を罪とも思わない青年が、どのように罪を自覚し、どのように罪の償いをするのかという問題が提起された作品です。

 その日、わたしの授業は法と道徳とのちがいがテーマでした。社会生活において罪を犯せば、法によって裁かれ、罪を償うことになります。しかし、道徳やモラルの上では、当人に罪の自覚があるか、罰を内面的に受け止められるかどうかが問題です。

 わたしがあらためて気がついたのは、近ごろの犯罪者たちには、まったく罪の自覚がないということです。そんな犯罪者をいくら法で処分しても、罪の自覚がないのですから、また犯罪を繰り返すことになるでしょう。法的な処分にも、罰を与えて罪を自覚させるという教育的な意味があるのかもしれません。しかし、犯罪者とならないように、犯罪の意味を自覚させることこそ本当の教育なのです。現代の教育についての論議の中心はこの点にあります。

●専門学校生とインターネット

 さて、今年度の専門学校では、授業のスタートから、これまでにない経験をしました。最初の授業のとき、わたしは自己紹介でインターネットのホームページの話をしました。「ヤフーというページで、わたしの名を検索すると、わたしのホームページが見つかります」と手がかりだけ話しました。すると、その日のうちに四人の学生からメールが届きました。

 三年前にホームページを開設してから毎年、同じように紹介してきましたが、実際にメールが届いたのは初めてです。学生にもインターネット利用者が増えた結果かもしれません。今まではインターネットを家で見られるという学生は一クラス五、六人でしたが、今年は各クラス十人以上が手をあげました。

 わたしは送られた四人のメールに、その日のうちに返事を書きました。すると、三人から再び返事のメールが帰ってきました。インターネットのコミュニケーションというと、不特定の人たちとの交流と考えられるようですが、お互いに面識のある人たち同士がさらに深いコミュニケーションをとるために利用することもできるのです。

 また、インターネットというと、最新のコミュニケーションの形態だと思われるかもしれませんが、その原理は古いものです。昔からあった個人的な交換日記や、クラスで自由に書きあって読める学級日記と似ている面もあるのです。コンピュータの技術がどんなに進んでも、コミュニケーションの基本的な原理に大きな変化はありません。

●電子メールが育てる能力

 人間がお互いにコミュニケーションをとるために必要な能力とは何でしょうか。わたしがこの三年ほどインターネットを利用して感じているのは、やはりコトバの能力の重要性です。とくに電子メールのやりとりからそれを感じています。

 若い人たちとの電子メールのやりとりで気になるのは、「電子」に関することよりも「手紙」の書き方の問題です。若い人たちは、手紙よりも電話といった生活で育ってきています。いざ電子メールといってもなかなか書けないようです。日ごろのしゃべりコトバの延長では、ちょっと込み入った内容や微妙な心づかいを表現する手紙は書けません。しかし、インターネットの普及は若者たちに、電子メールを書く必要性と興味を高めています。それによって新たな文化が生まれる可能性もあります。

 一つは、手紙の変化です。ビジネスの要求である能率化にともなって手紙にも正確さと簡潔さが要求されます。電子メールでは、これまでのような前文や時候の挨拶の形式は省略されて、本当に必要な内容を表現するものになります。電子メールの普及によって一般の手紙の表現も変化し、より率直に書き手の思いを表現するものになるかもしれません。

 二つめは、若い人たちが電子メールを書くことによって文章表現能力を高める可能性です。これまで電話にたよってきた人たちも、電子メールへの興味を通じて、書くことに目ざめるかもしれません。

 わたしが見る限り、若者たちのメールの多くは、おしゃべりの延長です。十分なコミュニケーションはとれないので、メールによる話し合いではしばしば誤解を生じて、言い争いのもとになっています。現状を悲観的にではなく、発展的に見たいものです。若者たちの電子メールへの興味が強ければ強いほど、書く能力を高める原動力となると思います。

 では、どうしたら書く能力が高まるのでしょうか。文章を書く能力の教育も、人と人との向かい合いから始まります。対話によるコトバのやりとりが基本です。自分の思いを率直に語り、相手から聞くべきことを聞き、相手の疑問や質問に答えながら、自分の語るべきことを語っていくのです。

 人と人とが向き合う場で使われるコトバは音声言語です。声によるコトバのやりとりが思考を育て、文字言語による思考を可能にします。文字による表現と伝達も、声のコトバの響きを支えにしてはたらいています。ですから、人と人とが直接に声でやりとりできる教育の場が決定的に重要です。

 人と人とが向かい合うこと、音声のコトバのやりとりで教育すること、文字言語のコミュニケーションが音声に支えられるということの重要性が、もっともっと強調されねばならないと思っています。


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